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一年生日記  2003年1月
No.78  2003年1月10日(金)

あけましておめでとうございます。
といいながら、もう10日もたってしまいました。

毎年、年末に配達し、ぎりぎりまで走り回ってあたふたと正月を迎えるのですが、秋の号を出すときに、次号は正月明けに出すと予告をしていたのです。
ほっとして、正月を迎えるはずだったのに。

山崎一夫さんが1月1日の未明に亡くなった。
私の仕事のパートナー、家族よりも顔をあわせていることの長い山崎範子。
彼女から夫、一夫さんの様子を毎日聞いてはいたが。
11月中旬に検査入院したきりで、そのまま病院。
12月27日からは24時間そばに付き添っていた。
「新婚以来、こんなに一緒にいたのは初めてだった」
と、範子。

そして訃報。
あまりに病の進むのが早かった。
言葉もない。
子ども達にも報告した。

「はじめはちょっと怖い人だと思った」と長男。
「女の子にはやさしかった」とわたし。
自分の息子の保育園の運動会で、高いところから甘栗を食べながら観戦している姿が忘れられない。
第一印象は、あまり良くない。

北海道にも家族で一緒に旅行した。
大きな子ども達とお父さん2人は山登り組、小さな子とお母さん二人は散歩組。
山が好きな人だった。

海にも、山にも、バーベキューにも行った。
家にお邪魔しても何にももてなしてくれないのに、河原では山用の燃料で小さなケトルにお湯を沸かし、コーヒーを淹れてくれた。

子ども達にも、こんなに身近な人が亡くなるのは初めてのことだった。
葬儀の日まで、自宅にいるというので、子ども達はお別れに行った。
あゆみはおり鶴を折っていった。
まだ、あまり実感できていないみたいだ。

家では、お通夜に来て行く服のことでもめた。
黒や紺のワンピースが3着もあるのに、絶対に着たくないと言う。
ズボンと紺のトレーナーを着て行くからと。
範子も「あゆちゃん、赤い服でもいいからね」と言ってくれる。

そう、山崎一夫は喪服を持っていない。
一生、喪服もスーツも持たずにきた。

我が家のだんな様も、通夜は、一夫流に白いワイシャツをやめて、タートルネックのセーターだった。
まあ、いいか。
あんたの好きなようにしなさい。

夜、お風呂の中であゆみと話した。
親が子どもを思う気持ち、子どもが親を思う気持ち、兄弟、について。
家族の愛なんて言葉に出せば、「ちょっとやめてよ」 と思うかもしれない。
でも、どこにも売っていないもの、コンビニに行っても買えないもの。
電子レンジでチンできないもの。メールで送れないもの。

そして友達。
風邪をひいて寝ていたとき、「早く良くなってね」と絵のついた手紙をくれたむっちゃんの気持ち。
その手紙をもらったときのあゆみの気持ち。

いろいろ話しました。
そして、私達も、一日一日を大切に、そして家族や友達を大切に生きようと誓ったのでした。





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