2011年4月 のアーカイブ

震災日録 4月8日

2011年4月11日 月曜日

きのう夜中にかなり長く揺れた。東北はM7.4。また道路も寸断された様子。

インドは日本からの農作物を全面輸入禁止
韓国は放射能をおそれて浄水場にビニールシートをかけている。
アジア各地で日本に留学した人たちが支援の輪を広げてくれているいっぽう、日本政府や東電のまずい対応が不信をあおっている。原発のコストは安いというが、金でははかれないコストだ。

今日は落ち着いて仕事をしたいが、10倍に増えたメールが入るたび気になって仕事にならず。いわき市の地域紙仲間『日々の新聞』安竜(ありゅう)さんから電話。
「三陸と違って海際でない土地も広いので、うちは大丈夫でした。海のほうは大変な被害です。でも店もやっているし、生活もできています。ガソリンも普通に手に入ります。避難所には物資が過剰状態です。ただ欲しいものと集まるものが違って、お年寄りは賞味期限ギリギリの菓子パンをいくつももらっても、といっています。炊き出しと温かいおかずが喜ばれています。地震だけなら復興に入れるのですが、原発が不気味ですね。
これも風向きや天候次第ですが。でも34万人もいるのでみんな避難はもちろん無理。影響の大きい妊婦さんや乳幼児のいる方は心配です。放射能のことは考えないようにしよう、という風潮も高まって、「がんばろう、いわき」と掛け声をかけたりして、なんかいやな感じになってきてます。いわきからはなれた人への非難もある。
漁業者は打撃です。温泉は表向きは休業でも、原発協力業者さんは泊まって通っているようです。政府や東電も東京や福島市で会見をやっていますが、現場に来てやってくれといいたいです。とにかく情報が少なくて」ということだった。
今日も安竜さんは地域をとびまわっている。

いわきでは2010年11月にもプルサーマル発電による運転に対する反対集会が行われ、3月27日にも前知事佐藤栄佐久さんなどを招いてまさに「ふくしま原発40年--私たちの未来」が行われるところであった。(いまの知事佐藤雄平氏はプルサーマル推進派。なんせ福島・宮城は佐藤さんだらけです)。このイベントは中止。

私は以前、佐藤栄佐久前知事に文化政策について一回だけヒヤリングを受けたことがある。穏やかでえばらない印象の方だった。しかしその後、収賄容疑で逮捕され、知事を辞めた。収賄額は〇円で、原発に抵抗する知事を陥れるための「国家の陰謀」ではなかったかとする見方も強い。『週刊朝日』によれば、もともとは原発推進の立場だったが、チェルノブイリ事故の後に知事に就任、福島原発での事故隠しなどに多くの内部告発があり、それを知事が糺しても経産省はまったく反応なし。原発政策については県や市町村には何の発言権もなく情報も来ない。内部告発は保安院に対してもあったが保安院は何の調査もせず告発内容を東電に横流し。経産省大臣すら蚊帳の外におかれ、官僚と電力会社集団でしきっている、とのこと。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110330-00000301-sasahi-pol
http://eisaku-sato.jp/blg/
これを伝えた『週刊朝日』の編集長が今度は配置転換、一体どうなっているのか。

今日は福島について「フクシマ人」として書いてみました。丸森に行く時は新幹線を福島で降り、飯坂温泉や土湯温泉に寄ったりしていたのになあ。果物がとにかくおいしいところです。

夜、白山のジャズ喫茶『映画館』でスタンリー・クレーマー監督のアメリカ映画『渚にて』を見る会あり。いま見ると、怖くて震える。冷戦の中で1964年、第三次大戦が勃発、核による放射能汚染で北半球は壊滅状態、オーストリアのメルボルンにしか人間は生存していない。アメリカ軍の原子力潜水艦はグレゴリー・ペック演ずるタワーズ船長以下、メルボルンに到着、しかしシアトル辺から無線を受信、そのむちゃくちゃな打ち方から子どもが生存しているのではないか、と救出に向うが――。
終わっても声なし。ガソリンがないため交通は馬車と自転車になる。これいいかも。さいごに船長の恋人モイラが潜水艦を見送るシーンは松浦佐用姫そっくり。
たまたまコーヒーを飲みにきた韓国人留学生は『日本文学研究の大学院に受かったので私は日本に着いたばかりです。でも両親はいま日本に行くなんてと発狂しそうだった』とのこと。

震災日録 4月7日

2011年4月8日 金曜日

冷蔵庫にある食べ物を出す時、これは「フクシマ」前だ、これは「フクシマ」後だと選別している自分に気付く。2月末に丸森を退出する時に取ってきたフキノトウがなぜかまだ元気。フクシマ前なので、きざんで味噌汁に入れる。春の香り、でも依然寒い。

「募金したいけどどこにしたらいいと思う?」と聞いてくる人が何人もいる。赤十字や赤い羽根という選択肢しか見えないらしいが、大きな組織はかなりの部分事務や人件費にとられちゃうよ、できるだけ小さくて信用できるNGOを選んだ方がいい、という。
お金はけっこう集まったらしいが、まだ被災者には届いていないそうだ。阪神淡路のときもしかり、集めるのはともかく配分が遅くてへた。被災地に入ったマレーシアの人がいっていたが、集積所にはものすごくある、おおきな避難所にもけっこうある、でも小さな避難所や避難していない人のところには物資が届いていない、と。ならユニクロみたいに寒い被災地で一番必要なヒートテックを何万枚と自主ルートで現物支給した方がいいような。足長育英基金や日本財団の動きは速い。日本財団はさすが船舶振興会だけに破損した船のためなら無利子で1億円融資するという。

テレビでは原発隠しのような、ほのぼのニュースとして、中高生が街角で募金している姿がよく流れる。息子曰く、「人の金をあてにするくらいなら自分でアルバイトするとか、お年玉出したりする方がいいのにな」。一理あると思う。
マレーシアの人は自国で日本人が受け入れそうな品を集めてきたのに、持っていくとマレーシアからきた水なんか飲めない、といわれたり、物資もこれはいらない、あれはほしいといわれた、とガッカリしているようであった。たしかに政府や東電があれだけ混乱しているのだから、被災地の小さな自治体の職員も混乱しているのであろう。でもでも、せっかく来てくれた海外の応援団によくない印象を与えたくない。

丸森旗巻峠の友人ようこさんから。

「こんにちわ。メールありがとうございます。
泣いたり笑ったり、怒ったりで、元気でやっておりました。

家も人も、たらふくコンビも無事なのに、原発のせいで、いろいろ不安で。
何にもできず、手につかず、情けない状態。あっという間に3週間。
緊張感が続いて、ここ数日ちょっとヘロヘロになっていました。

電話機が故障し、通信手段が携帯電話のメールのみ。
なんとか22日くらいに陸の(青葉部落内の)孤島から脱出。
ADSLの故障は29日に解消しまして、初めて被災地の映像をみて、
脳みそがフリーズして、現実逃避。

ジタバタしても仕方が無いですよね。
今、ここでできることをするしかない、です。割り切って。
冷静に、情報をキャッチして、今後のこと(畑とか、生活全体)を考えようと少しだけ前向きになりつつあるところです。

2011 0313 011 何も知らずに、外で日光浴 (被曝した??)
2011 0313 016 断水で、川へ水を汲みに行く
2011 0315 001 灯油、プロパンガス温存の為、外で炊き出し(何も知らずに…)
2011 0331 015 昨日の旗巻の夕焼けに燃える杉林

くじけず、凹まず、張り切りすぎず…
カンちゃんと支えあい、お互いに寄りかかりあって、ぼちぼちやっていきます…
森まゆさんも、お体、無理せずに…」(4・1)

震災日録 4月6日

2011年4月7日 木曜日

蔵でみた『ドキュメント・チェルノブイリ』がわすれられない。高木仁三郎さんの遺言というべき作品で、映像ドキュメントの荒川、吉川さんらが作成した。だいたいあのチェルノブイリの爆発のあと、作業員らがあんな軽装で後始末にあたったと言うのが信じられない。それをよくまた映像に撮ったものだ。撮った人は被曝でなくなられたとか。
福島の事故以来、世界が前と違って見える。その前には決して戻れない。ベラルーシのジャーナリスト、アレクシェーヴィッチは事故以降に生まれた人を「チェルノブイリ人」と名付けたが、私たちはみな「フクシマ人」となった。

東京電力は汚染水を垂れ流し、海を汚しつづけている。その映像は3月14日に九州水俣で見たチッソの排水溝とそっくりだ。通常の100万倍の放射能が10万倍のまちがいだと訂正されてあきれていたら、きょうは1億倍という数字がでてきて絶句。それでも「毎日食べつづけても年に0.6ミリシーベルト、ただちに健康に影響はでない」といういつもの話。全漁連の服部会長が「原発には協力できない。止めるべきだ」と怒るのも当たり前だ。東京電力側は「迷惑をかけて申しわけありません」といいながらどんどん垂れ流す。

汚染度が増す割合と反比例してテレビで震災や原発事故に付いてふれる時間は減ってきている。放水車も写さないし、ロボットや口径のおおきなホースも、鳴り物入りで紹介していたのにどうなったの? 続報がない。もう地デジになったらテレビはやめにして視聴料を返してもらおう。

丸森の隣町、角田の米農家、面川さんの大学生の息子常義さんが書いていること。面川さんは有機でおいしい米を作っているのです。明学の猪瀬さんの転送メールから一部を引きます。

「今感じているのは、メディアの情報があまりにも偏りがあること。被災地でよく取り上げられているのは、気仙沼、石巻、陸前高田など皆北部ばかりで、角田の隣町で同じく津波の被害が大きかった亘理、山元という南部の街の名前は一向に出てこない。街や住民の状況や復興が進んでいるかなどいずれの情報もわからない。家は朝日新聞をとっているが、毎日毎日亘理、山元の名前を紙面で探すが、いつになってもその名前は出てこない。同じく津波の被害にあったのに、街は北部の被災地と同じく大きな被害にあっていると言うのに。この間、父と一緒にその亘理まで被害状況を確認しに行った。海沿いの街は以前の面影が残らないほど無残に消えて無くなっていた。海沿いに近づくにつれ視界が開けてきて、周囲にあったであろう建物は、空爆があった跡のような瓦礫に変わっていた。そして、無造作に打上げられた車や船がその被害の大きさをより際立たせた。その光景を目にした時、声も出ずにただ眺めることしかできなかった。それから数日後、亘理の現状を目の当たりにして、何も出来ない自分に不甲斐なさを感じ、その気持を抱えながらトラクターで田おこしを行っているとラジオから亘理のいちご農家からのメッセージが読まれた。県内有数のいちごの産地だった亘理だが、この津波の被害で95パーセントのいちご農家が被害にあい、亘理のいちごブランドが壊滅の危機にひんしているという。農家自体の高齢化も相まって、今後の再建は難しいと話していた。でもその人のハウスは無事で、亘理のいちごを廃れさせないように、被災者に配ったり、出荷も再開している。亘理のいちごをこれからも残すため頑張っているという話を聞き同じ農業を志す者としてものすごい勇気をもらった。だが、そのような情報も一向に大手メディアでは語られずに忘れされている。南部の情報は皆原発にかき消され紙面に載ることはない。ただ政府からの情報をそのまま載せるだけで、助けを求めている人の声や被災に遭いそれでも立ち上がろうとしている人たちの希望の光すら原発問題の前に忘れされている。それを容認しているメディアに対して苛立ちを覚えている。そして何も出来ない自分が情けなくなった。その悔しさを噛み締めながら、それでも角田で以前と変わらず田んぼを耕せるありがたさ、日常を送れる喜びを感じながら畑に通っている。それでも隣町になにかできないかと考えながら」

わたしも同感です。宮城県南部に何かできないか。今考えています。もちろん、「原発をまずどうにかしないと被災地の復興を手伝う人もいなくなってしまう」とデモの参加者の意見も正論ではあるのだけど。

震災日録 4月5日

2011年4月6日 水曜日

窓を開けなくなって久しい。ベランダの水やりをしようと思って、開けたらカイドウの花が咲いていた。水もろくにあげないのに、けなげに。ごめんね、と声をかけた。桜は咲く。しかし底冷えのする春である。いつになっても寒い春。心が冷えているからか。

丸森の友人が、すばらしい夕焼けの写真を送ってきた。こんなに晴れて、こんなに世界は美しいのに(放射能は目に見えない)。別の知人は田植えの時期、種もみの準備をしながら涙をこぼしたという。一生懸命、農家をやっている人ほど今回のことがこたえないはずはない。愛する大地を捨てて逃げるわけにもいかない。港や船をどうにか復興しようとしている人々に、プルトニウムの流出はどんなにショックだろう。

そうでなくても2、3%しかいない農民ががんばってくれているからこそ、私たちは新鮮な野菜やおいしい米が食べられるのである。彼等がやる気をなくしてしまったら、私たちは食べ物がなくなる。安い中国野菜が入ってくるから大丈夫、といった妄言を許すわけにはいかない。遠くでできたものがどのくらい信頼できるのか。農薬や化学肥料で育った中国野菜と放射能を含む自国の野菜とどっちを取るのか。よくわからないけど。

関東の野菜をどうにか町で売れないか、と相談にきた人がいた。そこの県も品目によって出荷停止である。その品目以外なら私は食べてもいいけれど、たくさん仕入れて他の人にまですすめ、売り切る自信はなかった。福島の野菜を買って応援したいと思ってもスーパ-や小売店には並んでいない。卸のところで仕入れされないからだろう。

風評被害というけれど、放射能が降っているのは事実であり、野菜が汚染されているのも事実なのである。政府やNHKが正確な数値も明らかにせず「安全」「健康に問題はない」というから、消費者はますます疑ってしまう。自分で表を読む努力もしないといけない。これから死ぬまで放射能とはお付き合いがつづく。だから物理13点の私もこのところお勉強中。
(厚生労働省 報道発表資料 食品の放射性物質検査について)
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000016nd7-img/2r98520000017246.pdf

「原子力は安全」にだまされたからもう政府の安全宣伝は誰も信じないのだ。
それは科学でなくて、安全神話という宗教だった。原発は「事故を起こすまでは安全」だそうだ。「想定外」どころか、福島では共産党県議団が再三、津波が事故につながる可能性を申し入れたが無視された。地震学者も今日の事態を予想していた。
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20110329ddm004070015000c.html

それみたことかとはいえない。自分も油断していたから。松島湾で釣りをする時、「いま女川で事故が起こったら一発だね」なんていったり、相馬から常磐線で帰るときも、福島や東海村を通る時にひやっとしたりしたが、それ以上、行動しなかった。事故が起きたからみんな行動をはじめた。核と人間は共存できない。

原発を承認、時に誘致した自治体があるからこそ原発はできる。まずは地方議会で受け入れ反対、即時停止の決議をあげていくべきであろう。鹿児島県川内では

東海地震の予想される浜岡については
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000001104040003
http://fukurou.txt-nifty.com/fukurou/2011/04/post-e53b.html

大阪では
http://www.greenaction-japan.org/modules/wordpress/index.php?p=481

京都でも
http://www.kepco.co.jp/office/honten.html

わが谷根千では4月8日夜、白山のジャズ喫茶映画館で「アトミック・シネマ」があります。
スタンリー・クレーマー監督『渚にて』1959
http://www6.ocn.ne.jp/~eigakan/

チェルノブイリ後に汚染地で生まれた少年はいった。「かくれるところなんかないんだから。勇気をもたなくては」。
そのとおり。原発のない沖縄に逃げる人もいる。しかし米軍機事故や米兵のおこす交通事故、レイプと危険は多い。狭い日本、かくれるとこ探してどこへ行く。

*****

私が客員所員をつとめております明治学院大学国際平和研究所は緊急声明を発表しました。この声明の文の練り上げには私も3月31日の会議に参加しました。大事なことが含まれていますので、全文をブログでご紹介します。

http://www.meijigakuin.ac.jp/~prime/message/seimei/seimei_earthquake.html

明治学院大学国際平和研究所(PRIME)
東日本大震災に関する声明

このたびの東日本大震災の犠牲になられた多くの方々に追悼の意を表し、被災された皆様に対しお見舞い申し上げます。

私たち、明治学院大学国際平和研究所(以下PRIME)は、明治学院大学の学部組織から自律し、学外の研究者や市民活動家にも開かれた平和研究組織です。世界平和実現の条件を研究し、学内外の平和研究者、NGO・平和運動関係者と学際的交流を行うことを目的として、 1986年に設立されました。普遍的視点からの地域的研究、社会性あるいは時代性のある研究、学際性の高い研究を重視しながら、平和の諸問題に取り組んできました。

私たちは、2011年3月11日に発生した東日本大震災及び原発事故によって、この地域にすむ人々の生命と生活が著しく損なわれると同時に、社会全体の安定と多様性が危機にさらされていると認識しています。

1.安全地帯への避難を
福島第一原発で、放射性物質の流出が起こっています。今も、放射線にさらされながら周辺地域に多くの人々が取り残され、今後の推移によっては生命への危険も否定できない危機に瀕しています。迅速な避難策、特に乳幼児や妊婦、病人を、一刻も早く福島第一原発から遠く離れた場所に、コミュニティの絆に配慮しながら、避難させる必要性を強く認識します。政府や関係機関には、早急な対応を要望します。

2.正確な情報を
こうした事態についての関係諸機関の情報伝達は十分とは言えません。政府及び地方自治体は、生命の保全を第一とする正確な状況分析と情報開示をおこなうこと。被災の状況や、原発や放射性物質の流出をめぐる正確な情報を提供すること。以上を要求します。

3.差別なき支援を
その際に、地震、津波、放射能汚染に直面する人々が置かれている状況は、居住地域や、その人の年齢、性別、障害の有無、国籍の違い、来歴などによって異なり、個別の背景に応じて丁寧にケアしていく必要があります。

4.私たち大学は状況分析と提言を
市民社会は、「非常事態」や「自粛」の雰囲気に流されず、社会的に弱い立場の人々への目配りをし、少数意見への寛容性を失わずに、草の根のレベルで連帯と信頼を築く必要があると考えます。
私たちは、東日本大震災と原発事故がもたらした深刻な危機は、経済的成長に専心し、格差を拡大し、環境を破壊し、弱者を切り捨ててきた近代日本社会のあり方と密接に結びついたものであると考えます。震災復興において生命と生活の保障とコミュニティの再生が急務です。このような社会の再建のために叡智を集める必要があります。その際には、経済成長に依存する社会のあり方を検討して、新たな生産と生活のあり方を模索する必要があります。私たちは、原子力発電への依存から脱却し、核のない社会を実現する決意です。こうした営みは、現存する政治や経済の仕組だけではなく、広義の研究や教育のあり方に対しても批判的な問い直しを必要とします。

5.開かれた言論と自由な批評を
大規模災害時の社会においては、被害の増大を食い止め、復興を進めるために、開かれた言論と自由な批評が保障されなければなりません。しかし、政府とメディアによる情報管理や、国民の一致団結を求める社会的風潮によって、自由な言論と批評が妨げられる危険があります。批評や批判を封殺することのない、開かれた議論と表現の場が必要です。

PRIMEは以上のような課題を解決する使命を負うと考え、人々の平和と安全を第一に尊重する立場から研究教育活動を進めていくことを宣言します。

2011年4月1日
明治学院大学 国際平和研究所(PRIME)

震災日録 4月4日

2011年4月4日 月曜日

今日は平凡な一日にしたい。
ブータンの王様は8,000万円、義援金を送ってきた。経済的に見れば最貧国なので大変な額だ。私は5年前ブータンに行った。彼等はGNPでなくGNH(国民総幸福量)という指標を使っている。金があり、便利で、ぜいたくができても心貧しく、不幸せな人も多い。足ることを知り、居心地のいい場所とやりがいのある仕事と友だちがいる、それで満足したい。若い人達がそんな風に生きられる手助けをしたい。

八ツ場ダムはこれからも反対したい。政府や東京電力は水力発電のために必要だと言い出すだろうが、あれはもともと首都圏の洪水調節のために計画されたもので、必要性をでっちあげるために、ごく少量の水力発電を後からこじつけてきたもの。

町中に張り巡らされた電線。その醜い景観もさることながら、こんなに電線があっていいのか。たしかに皇居周辺とか外国人のよく来るところはどんどん地中化されているが(地中化がいいとも思わないけど)。
病気をしてから耳鳴り、頭痛がひどく電磁波の勉強をした。町中に住民に知らされることなくNTTの携帯基地がつけられている。放射能も危険だが、電磁波だって数々の障害を引き起こす。がんも含めて。杉並のゴミ焼却所の近くに家を買ってしまった知人はそのことを気に病んでいたが、ローンもあって移転できなかった。そして結局がんで死んでしまった。危ないと思ったら自主判断で逃げるに限る。

午後3時蔵で「アトミック・カフェ」ならぬ「ニュークリア・シネマ」。原爆と原爆に関する映画など。「ドキュメント・チェルノブイリ」(1976年)高木仁三郎解説。いままさに同じことがこの国で起こっている。チェルノブイリはソ連という強権国家でソ連軍の決死隊が中に入って危険な作業をした。福島では民主主義日本は自衛隊に「中に入ッて止めろ」とは言えないのだから、やはりこんな制御不可能な危険な原発を許容すべきではない。

モクレンがそろそろ終わり、白い花は波にさらわれた一人一人に見える。

震災日誌 4月3日

2011年4月4日 月曜日

大阪大学鷲田清一総長の卒業式式辞には励まされた。被災者と被災者でないもののどうしようもない「隔たり」。その中で控えめに、普段通りの生活をすることの大切さ。「ここにいるよ」ということ。いつでも替わってあげられるように控えていること。リーダーにならずときにフォロアーに徹すること。松下幸之助氏がいったリーダーに必要な三つの条件とは意外にも「愛敬」「運が強そうなこと」「後ろ姿」。そして梅棹忠夫さんのいう「請われれば一差し舞える人物になれ」など印象的な引用をしながら、これほどの品格の演説をなさるとは。

第2回おにぎり握り隊・支援報告(山﨑範子より)

4月2日の「光源寺おにぎり握り隊&物資仕分け隊」、前日準備から最後の搬送、お掃除までのお手伝い、ありがとうございました。
65名の方に来ていただき、午後4時までに下記の物資が用意できました。
◎大塚モスク経由で届けられるもの
おにぎり 1220個(米60キロ)
その他食料(ミカン・イチゴ・米・しょうゆ・油・インスタント食品など) 13箱
靴 7箱
衣類(下着・靴下・子供用洋服など)12箱
マスク(50枚入り×40箱) 5箱
*おにぎり、牛乳、果物に食料を乗せるだけ持って、昨晩のうちに仙台に向けて出発しました。
*今日のいわきには下着が足りないので下着を全てとその他の食料、靴なども車2台で運ぶ予定です。

◎NPOパレスチナ子どものキャンペーン経由で届けられるもの
絵本・マンガ 4箱
おもちゃ(ぬいぐるみも) 2箱
文具(紙芝居も) 1箱
この募集の詳細はこちらです。 http://ameblo.jp/ccp-tohoku/
4月5日まで募集しています。直接送付される方は詳細をお読みください。

◎3月26日&4月2日にいただいた義援金
光源寺さん経由で、あるいはおにぎり握り隊の方々に持ってきていただいた義援金 248,000円
バンバンバザールさん経由でいただいたマスクの売上24,800円

被災地での支援の報告は、届き次第お知らせします。
要請があれば、来週土曜日も光源寺さんをお借りして、支援の一端を担います。
よろしくお願いします。
山崎範子noriko□yanesen.com(□は@に変えてください)

丸森の友人からのメール。
「今日、仕事で山元町に行って来ました。
テレビや新聞で被災地の様子を見る事は出来ますが、実際に自分の目で見ると、その凄まじい状況にあぜんとしてしまいます。
普段は見えない所からでも、海が見えました。

まゆみさんも、もう少し落ち着いたら、ぜひお出で下さい。目で見て、この状況を書いて下さい。どうやって、避難したか、脱出したか、どう死んだか。みんな、話したい、聴いて欲しい、と思っています」
もうすこししたら、避難所などお訪ねしてお話し相手になれればと思います。

震災日誌 4月2日 夜の部

2011年4月4日 月曜日

首相が復興計画について発表した。高台に町を作り、海際の漁港や田畑には通う、という。福祉の町作りをすすめたい、とも。全体像わからず。
震災以来、漂流していた犬が救助された。何を食べて生きていたんだろう。
東北・関東大震災が東日本大震災と呼称が変わった。

昨日、地域の理科系の友人たちと飲みながら聞いたこと。東大では原子力研究をしたい人が近年少なく、「環境」とコース名に付けた。しかし脱原発するためにもこれから永劫に原子力の専門家は必要になってくる。ドイツが原発を止めたけどそれは隣りのフランスから原発電力を買えるから。アレバのCEOとサルコジが来日したのは善意でなく商売ではないか。山の中に原発を造ることはできない。冷却水がないんだから。ガイガーカウンターは売り切れ。レントゲン検査よりずっと微量、という発表で検査を怖がる人が出れば癌の発見など遅れる。経済は悪くなると言うが、復興景気で土建業界はよくなるのでは。「東電社長はどうしているの」「計画入院」「副社長も出てこなくなった」「輪番会見」と、冗談でもいっていないとやっていられない、まさに「アスピリン・エイジ」。帰ってひさしぶり頭痛薬を飲んで寝た。

水についてはペットボトルの水を使ったり水道水を使ったり、イイカゲン。なんと1年前にいただいた神戸ウォーターが30リットルも放置してあったのだ。

宮城県で放射能値を測定していなかったとの件、池田香代子さんのブログにもあった。
丸森からは情報が知りたい、というが、震災でパソコンが壊れたり,携帯が壊れたりしてよその家に送って、という人もいる。東京にいるとむしろあふれかえる情報に嫌気がさすが(本ブログもそのひとつかも)、まったくなくて苦しむ人もいる。
その転送先になった方からのメール

「私は 今、安置所の当番があります。
(亘理と山元で見つかった方の安置所です)
子供が4人 まだ引き取り手が見つからず……すでに2週間たつのに。
大人は3桁の方がまだ引き取り手が見つかっていません。
安置所にいると……親族が見つかって泣く方、見つからなくて泣く方……とても辛い空間です。
日常が 普通の日常に戻る日が待ち遠しい日々です」(29日)

おっと地域の大事なことも書いておかなくては。下宿本郷館は長年、壊すのは時間の問題、と言われてきたが、今また危機。坂の途中、石垣は別の人のものらしく、壊してマンション建ててもワンルーム、今のまま耐震補強してシェアハウスにでもした方がいいと思う。
関東大震災にも今回の地震にもびくともしなかった。
阪神淡路のあと、耐震性に問題がある、と文化財を壊すのに「地震」が使われた。今回もそれに注意しなければならない。

谷中コミュニティセンターも建て替えになるらしいが、長年の経緯を知っている建築家が地域内にいっぱいいるのに、区は単なる競争入札で安いところにおとすつもりらしい。そういう経済優先のやり方の転換点だというのに。今のセンターを作る時、100回以上の住民参加の会がもたれた。そんな経験も生かされない。

大観音光源寺にて、「おにぎり握り隊」が今日も1220個のおにぎりを握った。谷根千のネットワーク再起動、根津の渡邊米店がお米を半額で、バンバンバザールさんはジュースや下着、マスクなどたくさんの品物を寄付や原価でわけてくれた。それを大塚モスクの方達が被災地へ届ける。みんなテキパキと働いた。「義援金だけでは実感がない。こうして握ると気持ちが落ち着く」という人も。

震災日録 4月2日

2011年4月4日 月曜日

3月27日の銀座デモでは警官に「あぶない」「車を通して下さい」といった制止にあいながら、後ろ向きに歩きながら、写しながら、インタビューもした。道は車のものでなく人間のものなのに、と腹が立った。「映像ドキュメント」http://www.eizoudocument.com/で観られます。そこで聞いた意見をまとめておきます。

*チェルノブイリから20年反原発でがんばってきたのに、この数年油断していたと思う。F
*さんざん活動してきて今更という感じだけど、しょうがないから来ました。M
*細かいことはわからないけど、怖いから参加した。M
*危険だなんてわかりきったこと。この期におよんで原発を止めないなんて東電もいい度胸しているよね。M
*子供たちにつけをまわすのはやめてほしい。小さいほど影響が多いんだから。M
*思った通りのことが起こり、口惜しくて外へも出られなかったけど、いまやっとみんなと一緒に声を上げることができた。F
*いったとおりじゃない。40年前から言ってきたので、想定外などとは言わせない。代々木公園に何万も集まって「まだ間に合うのなら」と思ったけど、あのあとしゅーんとしてしまった。原発は温暖化を防ぐクリーンなエネルギーだというブラックジョークが広まりすぎて、おそれていた以上のことが起こっている。今この時点でも情報開示がなされていないのは腹立たしい。しかし市民メディアが成熟しているのが唯一の希望。F
*柏崎とかいろんなところで事故が起こったのに、老朽化した福島を止められなかったのが口惜しい。今は歩くだけです。F
*東電が許せない。F
*腹立たしいの一言。国にも、電力会社にも、それを許した自分にも。M
*いま赤ちゃん二人を取り上げてきたところ。助産婦なんで。赤ちゃんこそ希望なのに。こんな時代に生まれて来てくれて、ありがとうとしかいえない。F
*妊婦です。食べ物にいつも以上に気を付けています。仕事もあるので逃げるわけにもいかないし。F
*福島からの電気を享受してきた自分が許せない。M
*原発は必要ない。風力や水力でじゅうぶんやれると思う。私はアメリカ人ですが、オバマ政権だって電力会社と結びついて原発を推進している。でもアメリカのほうが日本のメディアよりはまし、枝野官房長官の発表も何も言わなくてひどい。M
*家族で来ました。本当のことをいって下さい。子どもは影響を受けやすいので。
*メディアは嘘はついていないとしても言うべきことをいっていない。周りの人が危機感を持っていないので自分たちが異端者のように感じる。M
*水が飲みたい。給食も食べたい。小学生
*怖くて少し京都に避難していました。このままうまく収束したとしても、今脱原発に方向転換しないかぎり、もう日本に安心して住んではいられない。F
*原発には反対です。他の自然エネルギーとかに転換すべき。今のNHKの報道は国や東電の言うことを伝えるだけ。よくなっているのか、わるくなっているのか、どのくらい我慢すればいいのか、まったくいわない。当面は人体に影響はない、というけどそのうちどのくらいの影響が出てくるかわからない。経済が悪くなるというけど、その前に子どもがいなくなったらどうするの。F
*だまって原発が死んでくれるのを待っているしかない。スリーマイルを越えてチェルノブイリ化しているのではないか。被災地の皆さんにはわるいが、救援活動のテレビなどは見ていない。原発が決着しないと、救援すべき人達もいなくなってしまうから。M
*原発を推進してきた自民党の政治家、東電のOBなどにホースを持たせて排水処理などをやらせたい。防護服くらい着せてもいいから。M
*わたしはコストパフォーマンスなどの点で原発容認派ですが、今の事態は安全とばかりいっていておかしい。アンチテーゼとしてこういうデモも必要。M
*反原発を言う団体もばらばらで,もう少し横の連携をつけて情報を出してほしい。F
*東京電力は情報隠しが多い。今の報道はまったくうそだと思う。M
*ずっと反対してきたのに。チェルノブイリの頃、子育て中で、子連れで参加した。
*こうなるのはわかっていたが、55基のどこでいつ起きるのかは分からなかった。F
*あまりにも無関心すぎた。無知すぎた。東電ってがっかりだね。これから無力感が続くことが怖いから、今日は参加した。M
*しかたがないです。どうしようもない。長引くでしょう。デモをしても空しい。もう終わりだと思う。M
*今考えているのは、自分はこれからどうしたらいいかということ。毎日それを鬱々と考えている。M
*福島でこんなことが起こったんだから、ほかの老朽化原発、敦賀とか、すぐ止めなくては。東海地震を考えると浜岡も止めるべき。M

次ぎの反原発デモは4月10日に行われます。自分も行きたかったのに、という人多数。情報をお見逃しなきよう。
4月3日日曜日午後3時。谷根千・記憶の蔵で『ニュークリア・シネマ』の映画会あり。
『ドキュメント・チェルノブイリ』ほか。先着30人まで。探してきて下さい。

震災日録 4月1日

2011年4月4日 月曜日

今日は少しさかのぼって書きます。えーと。わたしは3月11日に千駄木の記憶の蔵で仕事をしていて、川本眞理さんと遅いランチを「日だまり」に食べにいって震度5に遭遇したのでした。12日から九州へシンポ参加と取材の予定がありました。どうしよう。乗るべき飛行機はキャンセル、翌日、なんと片道4万円のANAを予約して九州へ。行ったらあまり帰りたくなくてぶらぶらして、21日朝の便で帰ってきました。帰ってきたら500のメールが入っていました。

ヤマサキの当日の様子

「わたしは荒川の鉄橋付近の電車の中にいました。しばらく閉じ込められましたが、赤羽から歩いて帰宅しました。
JRは全て不通で、あまり情報もなく、帰途の途中の駒込駅などはシャッターを下ろして、トイレ提供もないのに驚きました。
いくつかの自動販売機が無料になっていました。都立高校、大学は開放しています。
喫茶店、居酒屋、コンビニはおおむね営業時間を延ばし、トイレ利用などを案内してあるところもあって感激しました。
道路は帰宅者の行進が夜半まで続いています。金曜日のせいでしょうね。わたしは逆方向に歩くので、人並みを掻き分け、いろいろ見ながらで、赤羽−根津まで2時間半かかりました。
帰ってみると、家の中はめちゃくちゃ、牧が片付けていました。あの家が建っていたことに驚きました。ちょっと嬉しい。
家具は倒れていませんが、本と食器が散乱していました。
隣の銭湯の煙突にひびが入り、途中に穴が開いて我が家に向かって傾いでいます。夜9時過ぎに、根津小に避難するように役所から連絡ありました。避難所を見に行って、そこも楽しそうでしたが、PCを使えないので家に戻っています。
そうそう山崎家はみな元気で大丈夫よ。心配ありがとう」

仰木の当日の様子

「家では線香立ての灰が床に散乱。ピアノの上から楽譜がどさっと落ちていました。ガスが止まり、サンドさんの家から返ってきたホットプレート鍋で夕飯を作りました。
昼は安田邸にいましたが、すべてのガラスがガタガタすごい音で鳴るので、どこに逃げようかと考えていたら、中庭で庭の工事をしている職人さんたちが、家の中は危ないから外に出るようにと声をかけてくれ、靴下のまま外へ避難しました。その中の一人のお兄さんが、ずっと手を握っていてくれたので、本当に心強かったです。椎の木がものすごく揺れ、驚きました。二階の座敷の照明器具が落下し、破損。下にいた人はものすごい音がして、土煙が出たと言っていました。壁土がほとんどのところで落ち、じゃりじゃりしています。明日は片づけをし、一般公開はしないことになりました。安田邸の資料の中から関東大震災直後の手紙が出てきたばかりでした。子ども二人は母が心細いようなので、泊まりに行き。残り二人と、テーブルの下に布団を敷いて寝ることにします」

その12日朝にこんなメールが知人から来ました。
「地震の揺れによる直接的な被害は免れたとしても、福島第一、第二原発が冷却機能を失いつつあるという事態は深刻です。
 近隣3km、または10kmの範囲の住民に避難指示が出たとのことですが、炉心溶融という最悪の事態になれば、福島県内は人が住めません。関東・東北一帯も放射能被害は甚大なものになります」
まさにそのとおりになりつつあります。それにしても反応が早い。

3月14日にはニューヨークのジャパン・ソサエティから支援基金の資金提供先を探すメールあり。これも早い。

有用なサイト 
ドイツシュピーゲルの飛散予測
http://www.spiegel.de/panorama/0,1518,bild-192707-751072,00.html

「失敗は伝わらない」
http://www.youtube.com/watch?v=qkLqVr_Qk_w&feature=youtu.be

3月23日にはワシントンのジョルダン・サンドさんからメールが来ました。
東京大学大学院時代、谷中の大円寺境内にすんでいた人で、谷根千英語版のエディターです。
「お手紙ありがとう。大変不安な状況ですが、皆さんはとりあえず元気にしているようでほっとしています。なんと異常な世の中になった、というおもいが先に起きますが、よく考えると実はこれはいわゆる「先進国」で暮らすわれわれみんなの現実だということも認めざるを得ない気もします。放射性物質を放流したり、環境を破壊したり、採掘燃料のために戦争を起こしたりする、これが先進国というものです。しかし、遠くにいながらこんな言い方をすると、東北で今現に苦しんでいる人たち、また原発事故のせいで不安に駆られている人たちはあまりにかわいそうです。とにかく私も事故の収束と 避難している人たちの安全を祈りながら胸を痛むほど無力を感じます。

避難所の人たちの話をぜひ集めてください。話す本人たちにとって慰めになるし、被災地域外にその現実を伝える意味もきわめて大きし、大事な歴史記 録にもなると思います。

ジョージタウンの学生たちが組織した支援団体 Japan Disaster Relief Committeeの一回目のミーティングに今日参加してきました。小さなカンパ箱を持った学生が構内に立っているだけで、一週間ですでに数千ドルを集め たらしいです。なにかがしたいと切実に思っている学生が多いです。アニメ・ファンが日本語の学生になり、今度は活動家になる、という経路を見て面白いです。

では、自分の身の安全を第一にしてください。山崎さん、仰木さんにもよろしく。

さんど」

震災日録 3月31日

2011年4月1日 金曜日

『即興詩人のイタリア』文庫本の校正。こういうときほど、落ち着いて仕事をしよう。仕事は慰め。きのう、内澤さんと話したことだけど、こんな時、作家は何ができるのか。
明治の文学史の本など、いま出しても売れるのかなあ、とも思う。反対に震災でやることがなくなった人も増え、不安を沈めるために本は売れ行きが落ちていないと言う。

石巻市大川小学校に関する記事はネットによれば、河北新報は早くから取り上げているし、このところ全国紙にも上がってきた。正確には108人中21人死亡、行方不明56人とのこと。考えるだけで気が萎える。学校は河口から5キロも離れ、避難所にもなっていたと言う。早速ネットで「人災だ」「校長は何をしてたんだ」「すぐそばに裏山があるじゃないか」といった書き込みがされているが、自分は安全なところにいて人を非難するだけの連中には腹が立つ。
海外や沖縄にいて原発のひどく悲観的な警告を書きつづっているブログなども気分よくない。
「正しく不安を持つこと」は必要だが、いま原発の状況は言われていることのもっとも楽観的なことと、もっとも悲観的なことの間のどこかにあるのだろう。これは桜井均さんの意見。
謹んでご冥福をお祈りします、心より追悼の意を表します、といった企業広告その他の頭につく決まり文句もいやになってきた。企業という集合体が「心より」と言えるのだろうか。心は一人一人の中にあるものではないか。「ご遺体」も引っかかる。心のこもらない敬語だ。わたしも遺体という言葉がつかえず「亡くなった方たちが見つかった」というふうにしか書けないけど。それにしても頻繁に使うからか、「し」と打つと『死』がすぐに出てくるようになってしまった。

「23区が計画停電にならないのは許せない」という意見がある。その気持ちはわかるけど、たとえばうちの周りだけでも、東京大学、東京医科歯科、都立駒込病院、順天堂、日医大、日立病院、杏林病院、三井記念病院などあり、停電になるとこれらの病院の医療はストップしてしまう。御用学者のいるどこぞの研究室のコンピューターなんぞ止まったっていいけどね。いや、こまる。東大原研もけっこうな量の危険物質を抱えているはずだ(浅野地区には放射性物質のマークや立ち入り禁止の看板が多い)。東大病院はかつて医療用のラジウム廃棄物を裏庭にぽんぽん捨てていた。そんなことについて谷根千で取材したり、説明を求めたりしたが、都も区も「東京大学が安全と言っているなら安全」という対応しかしなかった。文京区のわが地区の避難場所は東京大学である。しかしあそこには実験用動物もおり、細菌や科学薬品もいっぱいあるはず。その実態も公開されていない。関東大震災のときも科学教室から薬品が燃え上がり東洋一の図書館をはじめ、かなり火災が広がった。だからわたしは谷中墓地に逃げるつもり。