2009年6月 のアーカイブ

6月14日

2009年6月14日 日曜日

日曜日、梅雨空。家でのんびりして、午後,NHK-BS2のベストテレビを見る。民放連ドキュメンタリーグランプリ「光と影ーー光市母子殺害事件弁護団の300日」東海放送、阿武野武彦と斎藤ディクターの作品。被害者家族の視点からの報道しかないなか、加害者の弁護をして脅迫にさらされる弁護団をあえて追った。同じ弁護士の橋本大阪知事が弁護団を非難したことも忘れないでいよう。森達也「A」などにもつうずる作品。民放連教養番組グランプリ「家族の再生ーーある児童養護施設の試み」毎日放送、家族のように暮らす舞鶴学園で育つ子供たち。ナレーションの少ない、間合いのいい作品。これだけモザイクをかけないで作品化するのに相当説得したのだろう。地方の時代映像祭グランプリ「夫はなぜ死んだのかーー過労死認定の厚い壁」毎日放送、この映像祭の審査委員長を私は務めている。完成度では問題があるが、トヨタ王国の過労死事件を扱った勇気。グランプリを取ったことによりNHKで放送されることの意義を考えると,心からよかった。トヨタやスズキがどんないいことを言っても,こういう事件があることを忘れないでいよう。ATPグランプリ「アンジェイワイダーー祖国ポーランドをとり続けた男」ドキュメンタリージャパン、取材費を使った大作でけっこうだけどなぜ、NHKは他の国の人権問題は告発できるのに,自国を対象にした番組はやらないのかという疑問が残る。充実した時間、しかしドキュメンタリーを見るのはほんとうに疲れる。

6月13日

2009年6月13日 土曜日

土曜日。安倍元総理が日本郵政の問題で笑顔で偉そうな意見を述べている。政権を投げ出した無責任な人間にそんなこと言われたかない。消えろ,といいたくなる。

6月12日

2009年6月12日 金曜日

仕事が混んで丸森に行くことを断念。寒さのため三年続きでスイートバジルは失敗だそうな。いいにおいだった葉っぱのことを思うと無念。『かんぽの宿』に関して鳩山総務大臣は世襲4代目で嫌いだけれど今回に限り,正しい。もひとつ新聞で、結婚前の女性を強姦して,自殺に至らしめ,前科もある男が懲役たった7年、飲酒運転で追突した車に乗っていた子供さんにが溺死した事件の加害者が懲役20年、こちらは悪意の故意はない。量刑がどうみてもおかしい。

6月11日

2009年6月11日 木曜日

朝から千駄木の太田さん,根津の宮本さんのはなしを聞きにいく。午後,津田さんのお茶室を拝見するところまではいけず。残念。夜,谷根千ゆかりの大黒昭さん、加藤丈夫さんとお食事。お二人とも開成学園の理事長を務められ,お話の面白い本当の紳士であった。そういえばお土産に買ってきた朝市の野菜はよかったが,ふぐのみりん漬けや以下のしょうゆ漬けは砂糖と化学調味料が多くて閉口した。悪気はないんだろうけどなあ。

6月10日

2009年6月10日 水曜日

輪島の朝市へ行くも休み。地物市がちらほら。ミズを買ったら農家の小父さんが「せっかく遠くから来てくれたんやから」と自作の白木の菜箸を4膳もくれた。こういうのが本当のおもてなしである。申しわけないとエンドウ豆も買うとまた二膳くれた。旅の情けが身に染む。宿の主人によると,日本海航行中の大型船の避難港として海を埋め立てているらしい。どうせ口実で公共事業がほしいだけ。ひどい景観になっている。白川義員さんは今日本の景観をとっているがとりたくなる風景がないと嘆いていた。

6月9日

2009年6月9日 火曜日

朝日で出す「海にそうて歩く(仮題)」の追加取材のため,正子さんに車を出してもらい,赤崎、黒崎。門前などにいくが、その後能登の地震があって八年前との変わりように絶句。あちこちに空き地があり,新建材の新しい家が建っている。総持寺の和尚さまも替わられたようだ。輪島もそう。でもすてきな宿に泊まった。民宿深三。深見三左衛門とかいう屋号だそうで,両親が定年後はじめた民宿を若夫婦が外から帰って継いでいる。初々しい宿。新鮮なおいしい魚が輪島塗の食器ででた。ご飯だけは塗りのおひつと塗りのお茶碗だと蒸れる気がするがあとは文句なし。

6月8日

2009年6月8日 月曜日

朝6時半、金沢着。近江町市場に行って朝ご飯を食べようと思うが、目当ての店は開いてない。親切に教えてくれる人があって玉寿司の支店いきいき亭へ行く。家族経営で,海鮮どんのカニはふうわりカニの味がし、いかはこりこり、まぐろはとろり、おいしかった。あとではいってきた東京からの9人が「入れる入れる」などと無理に乱入し、気を使って先客のご夫婦が席を立とうとするや「そこ空いた」と図々しいので東京ものとしては恥ずかしい。はなしを聞いていると教員か公務員の研修旅行のようである。私も気もそぞろででると前の八百屋のおばちゃんが「おいしかった?」と聞くので「うん、おいしかった」とこたえると、「そりゃ、よかったな,ありがと」ときた。この人の方がさっきの九人より100倍人間が上等。結局,文学館を尋ねるも泉鏡花と徳田秋声は肌に合わないことを確認。でも金沢で会う人,みなやさしき。
夕方に七尾に行き、一本杉町会長、北林昌之さんが北国新聞の風雪賞を取られたお祝いの会に出席。人徳か、百数十人集まる。この町会長,反骨の人で,役所と因習と戦うこと30年、一目置かれるまでになった。口癖は「どもならん」。男ぶりと行動力、責任感で町内に女性の追っかけ多し。でも本当に支えているのは彼女らのご主人方かも。

6月7日

2009年6月7日 日曜日

谷根千を映像で記録してくださる方々を案内しての朝からまち歩き二回目。前回参加者がほとんど来たのは前回が楽しかったためならん。東大の大学院生も二人また来た。途中ラッキーにも三崎坂で菓子屋さんだった田辺さんに会い,谷中墓地の空襲で焼けこげた桜の木など案内していただき,インタビューもできた。田辺さんの体調を考えるともうしわけなし。なんだかんだで五時まで。天空句会に参加できず。帰ってまたしごと。10時半家をでて,11時3分の夜行北陸で金沢へ。とちゅう長岡で長い停車。目が覚めたら糸魚川辺りがよあけまえの群青色の空,いか釣りの漁り火が瞬き,列車は海沿いを走っていた。夜汽車の醍醐味だ。

6月6日

2009年6月6日 土曜日

海の残り物でシーフードカレーを作る。昼はキスの天ぷら。ゆうがた、一年に一度の楽しみ、水族館劇場の「メランコリア」を大観音光源寺へ見に行く。日本に数少ないアジル。講演を許す和尚夫妻のふところ、檀家としても心強い。桃山邑はもともと九州の炭坑あたりを箱車で巡演していたらしい。当地にたどり着いて10年,地元のサポーターも増えた。古本のほうろうさんなど店そっちのけでチキンライスとビールの露店を境内に出して,パンフへも寄稿している。今年の芝居は海辺の町、新潟の監禁王子を思い出すストーリー。故郷に捨てられた、微かな哀しみ、とるに足りないわたしたち、といった台詞はルサンチマンそのものともいえるが、すくなくとも負ける側に立っていたい私にはぐっとくる。でもなんといっても一トンの水が降ってくる見せ物の醍醐味、こたえられない。

6月5日

2009年6月5日 金曜日

毎日の内藤麻里子記者が「女三人のシベリア鉄道」のインタビューに来てくれた。おおむかし、書評委員をしていた時にはよく会っていたけど、あいかわらずさっぱりした人。
食事もせずにいえへ帰る。きょうはタイをさばく。頭は潮汁にし,よるはアクアパッツァ。栗本薫さん、山田紫さんなど同時代の表現者の死はこたえる。栗本さんは一つ上,同じ早稲田なのに,在学中から野間新人賞を評論で取ったりして、二十代に一度インタビューに行ったが、こちらは主婦、あちらはプロという感じでまぶしかった。「私は一時間に13枚は書けるわよ」といわれたのをおぼえている。
お母さんは谷中の山田抄太郎先生の弟子で一度,お手紙を下さったことがあった。箏曲なのに三味線と私が書いたことについて間違いを指摘してくださったのだ。