2017年4月 のアーカイブ

ルアンパパンまで船で下る旅
2月4日 バンコク〜チェンコーン〜ワイサイ

2017年4月26日 水曜日

朝早い便のため、泊まった空港のホテルはフロントの感じも悪かったし、蚊もいたし、設備も良くない。外は飛行機の発着でうるさく、朝の5時に目覚まして、5時45分にサンドさん、志保子さん、Duangさんと集合して6時のバスで空港へ向かった。7時半の便でチェンライに飛ぶ。そこからバスに乗って1時間半で国境の町チェンコーンまで行って、そこでラオスの国境を超えた。麻薬を持っていて捕まった女性の写真が大々的に貼ってある。やるなよ、ってことか。

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ラオスの色は紫と黄色とブルーとグリーン。通貨単位はキープで、一万円を替えると80万キープとかある。そこからまたバスに乗った。紹介されたプーキーさんに会う。精悍な顔の美男子だ。NGOの仕事をしていてお父さんは地方公務員で、家でお米を作っている。軽トラに荷物を乗せ、5人乗りでワイサイの彼の家まで行く。Duangさんが荷台に乗る。気持ち良さそう。家の裏の林の中にピクニックランチが用意されていた。これは今まで食べた中でも五本の指に入る気持ちの良い食事である。そこらへんを走りまわっている鶏の焼いたのと魚の焼いたの、それからラタンを茹でて、皮をむいたものが出た。このラタンは苦味があって、歯ごたえも良く、お醤油みたいなタレにつけて食べると大変美味しいし、体にも良さそう。

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最後に菜の花のたくさん入った鶏がらのスープが出た。これは滋養があって安心なので野菜とともども、胃を壊したサンドさもたくさん食べた。ラオスのビールはさっぱりしてて東南アジアで1番おいしいと言われている。お父さんが53でお母さんは40代の終わり、プーキーさんは30くらいだろう。中国人が入り込んできて大規模なビジネスを展開し、カジノまで作ろうとしてると眉をしかめた。プーキーの家ではお米、それも焼き畑で陸稲を作って売っている。お金がないとき、お母さんがラタンを売りに行って12ドルもうけたことがあった。食用ラタンはよい値で売れるそうである。2番目の弟に子供は何人かいて、今日もたくさんの人たちが寄ってきてご飯を食べていた。

おばあちゃんが赤ん坊を抱いている。男の孫同士が喧嘩したらおばあちゃんがしかった。近所の助け合いが生きてるようで、今日はこの畑をやったら次は隣人の畑を手伝う、というような協力関係ができている。そこで3時間も休んだ。鶏スープの鶏は土佐ジローぐらい美味しい。黒い鳥と言って1キロで12ドルする。噛みごたえのあるものでした。お別れを言ってまたトラックに乗る。いい季節で土曜日だし、結婚式をやっていたが、全くの西洋スタイルだった。それからサンドさんが必要な帽子とライターを2つ買って、メコン川の切符を買う。一人2500バーツくらいだった。そして今日泊まるホテルに行って休んだ。

その後町のリバーサイドレストランで夜の食事をした。トムヤンクン、卵焼き、パッタイなどを食べる。ホテルで休んだのだけど、夜中に大火事が起こり、三軒先まで燃えて、これはこっちにも日が来るかもしれないと、荷物をまとめ、逃げ出す用意をしてずっと見ていた。消防がなかなか来なくて、でも死人が出なくてよかった。

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2月5日 メコン川下〜パクペン

2017年4月26日 水曜日

翌日プーキーさんが来て一緒に麺を食べた。とってもおいしかったけど、とても高かった。水も付いて1人100バーツくらい。この国境の町ではキープもバーツも使える。その店には一族が来て朝からお酒を飲んで歌を歌っている。美空ひばりにそっくりな髪の毛アップにして、眉毛を切り替えた女の人がマイクを持って離さない。眉毛を引いて、目張りを入れ、真っ赤な口紅を塗り、髪の毛をアップにして花の飾りをつけたりしているのでひばりそっくりに見える。

11時に出発すると言う船が全然出なくて、どんどんどんどん観光客を乗せる。後から後からリュックを背負った若者が来る。まるで船が重荷で沈んでいくようなのが怖かった。儲けるだけ儲けようと言うつもりらしい。結局たくさんのグループ、英語を話す若い兄ちゃん姉ちゃん達を乗せて出発したのが12時。ところがこの若者たちのマナーの悪いことったら大変なもので、ビールを飲みまくり、そのたんびに手洗いに行き、お手洗いは300人の乗客に1つしかなく、いつ行っても5人くらいは並んでいて大騒ぎ。「何人なの?」とサンドさんに聞くと、若者相手の国際ツアーじゃないのかな」と言う。

私たちの席は1番前で良かったんだけど、後から乗ってきた人にどんどん占拠されてきた。川沿いの景色は、豚がいたり鹿がいたり、バファローがいたり、のんびりして代わり映えがしない。緑の中を走り、途中から両岸ともラオスになった。住民で、大きな家具やベッドを下ろして、迎えに来た人達とゆっくり運んでいくのが見えた。パクペンと言う中継地についた。ほんとにひなびた岸辺の小さな村で、泊まったホテルも悪くはない。坂に沿って一本の道しかなく、レストランは船の人たちでいっぱい。味はなんとなくお味噌っぽいというか、トマトケチャップ入れたような濃い味付けだった。

サンドさんはまだ胃の調子がいまいちなので生野菜は気をつけて、あげた春巻きとかスープとかそんなものを食べた。

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2月6日 パクペン〜ルアンパパン

2017年4月26日 水曜日

ゆっくり寝て次の日朝8時半に起きて麺を食べに行く。1番に市場で鳥の焼いたの、豚の焼いたのなどを船の中の昼食のために買い込んだ。ネズミとかカエルとかを焼いて売っていた。おばあさんたちは近くの村から頭に紐でかけて荷物を運んできた。ほんとに素朴な村だった。近代は市場の前にATMの機械が2つあるのだけ。山の上のほうに住んでる家は高床式で草ぶきだった。その日は予定どおり朝9時に出発。昨日の乗客が2手に分かれ、うるさい若者たちはもう一つの船に行ったので、やれやれ。でも船の持ち主なのか、ローカルピープルの女の子達がすごく威張っていて、我が物顔だった。ご飯は最後尾の景色の良い所に行って川を見ながら食べた。朝のうちはかなり寒くてイタリア人で子供三人の家族は寒い寒いと言っていた。前の1等席に座ったけどその分、風が強く寒いらしかった。

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私の席は景色がそんなに見えないけど、寒くはなかった。私もヒートテックの下を履いて、あったかいマフラーも出した。思ったより早く、ルアンパパンに夕方4時ぐらいについて、それでシーロー(トゥクトゥク)に乗る交渉がまた大変、1人25,000キープで4人で100,000キープとか言うからすごく高く感じる。訳がわかんなくて、でも計算すると1人4ドル位。8人載せないと発車しない。そして確かに20キロもないけど、町までは歩いてはいけないくらい遠かった。

私たちが泊まるホテルはリバーサイドの良いところにあるコロニアルの建物だ。中国風のちょうちんがついているのはあまりいただけないけど、部屋も緑の壁で古風な扇風機が付いていてなかなかいい。アメニティグッズや石鹸も今までのところよりずっといい。いつもタオルが白鳥の形にたたんであるのがおかしい。

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夜はナイトマーケットに行って、フンパンさんと言う若いビデオジャーナリストと会っていろんな話をした。彼はLooking Forと言うおじさんと自分の家族のことを作ったショートフィルムを作ったばかり。おじいさんは植民地時代の人なので、フランス語ができてフランス語を学校で教えたそうだ。ルアンパパンは前に来た時よりはるかにいいホテルなので、なんだか印象が良い。夜リバーサイドホテルのレストランでご飯を食べて、春巻きもラオス風のソーセージも、袋茸の炒め物もおいしかった。

2月7日

2017年4月26日 水曜日

朝食はホテルで。トーストと目玉焼きとコーヒーとフルーツなど。川の見えるバルコニーで。

街を歩き回る。世界遺産になって二十年、この町は前に来たときよりも良い方に変わっているように思える。一番、植民地時代の建物が多い高台の通り、ほとんど綺麗にリノベして高級ホテルやレストランになっている。町歩きを楽しみ、お寺もずいぶん見た。お寺の壁画は戦争についてのものが多い。ヘリテージセンターに行くと、世界遺産の範囲はもっとずっと広く、沼や水辺もある。伝統的な家を教えてくれて行ってみたが閉まっていた。ミュージアムも見る。昼は20,000キープであまり美味しくない麺を食べた。カオソーイだと言ったが、タイのイサーンで食べるカオソーイとは全く違う。夕方、フンパンさんの家に招かれ、ビールを飲みながら彼の作ったヴィデオを見た。ちょっとドキュメンタリーとは思えない、ノスタルジックな劇場映画のようだった。

彼は広い庭の居心地の良さそうな家に二人の子供と住んでいた。祖父の死に際し、一時お坊さんになったという。

夜は、フランス料理とラオス料理のフュージョンの店に行った。かなり洗練されて、見栄えも良かったが、素朴さはない。しかしここはラオスの若者を飲食店で働く人に育てるという使命を持っている。Tシャツの背中にはティーチャーとかスチューデントとかアルファベットで書いてある。若者の教育と自立を促すレストランで面白かった。

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2月8日

2017年4月26日 水曜日

ホテルの朝ごはんを食べないで、高台の美味しい麺やさんに行く。ぴったり8時に店の人が現れ、湯を沸かし、お皿を積み重ね、野菜を切り、肉を湯がき、麺を茹でる。その手順の儀式のようなすばらしさに見とれる。とても美味しかった。午前中はクッキングスクールに参加。ジョルダンは料理が好き。英語をよくしゃべる、冗談ばかり言うインストラクターが、まず市場に連れて行ってくれる。買い物をして、緑あふれる蓮池のほとりのスクールで、5種類もの難しい料理を作った。バッファローのサラダとか、レモングラスの中に鳥のひき肉を詰めて蒸したものとか、魚を葉っぱで巻いて蒸したものとか、お米はカオニャウという私の大好きなもち米。参加者はドイツ、スイス、ブラジル、オーストラリアなどの白人ばかりで、弁護士や医者がいた。スイスの人は私のつけている病人ヘルプマークが赤十字とハートマークなのだが、「スイス大好きってことでしょ?ありがとう!」などと話しかけてきた。確かに。これで席を譲ってもらったことは二度しかないけどね。

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午前中かけて調理。そのあとビールで試食、欲張ったけど食べきれない。
腹ごなしに山に登る。そこからの景色は素晴らしい。夜、空いているレストランがなくて、またリバーサイドの中国料理で、前に食べなかったものを頼んだ。ナイトマーケットはどこも同じようなものばかり売っている。イサムノグチみたいな竹ヒゴのランターンとか、切り紙残ったのとか。ただし、裸電球で目が眩しく先に帰る。

2月9日

2017年4月26日 水曜日

朝のバスで陸路、タイのロエイという町まで乗る。7時間かかる。

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バスはオンボロで、休憩のランチも化学調味料で閉口したが、ドライバーが実に頼りになりそうないい顔をしていて、これなら事故も起こさないだろうと思えた。あっという間に7時間が経ち、ロエイのバス停に初めて会う佐伯馨さんが待っていた。佐伯さんはいろんな仕事をしたのち、かなり前にルアンパバンの語学学校で日本語を教えていたことがある。Duanngさんとも長い友達で、ロエイまで迎えに来てくれたのである。この町にも佐伯さんの友達がいて、その一家で今日は晩ご飯をご馳走になる。とっても美味しかったが、何を食べたかまでは記録しなかった。それより、家族の楽しそうな暮らしに驚いた。お父さんやお兄ちゃんが、庭の隅でドラムを叩いてギターを弾いて、歌を歌って、ビールを飲んだ。こんな生活ができるなら最高!

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