2017年3月 のアーカイブ

ヤンゴンに行けなかったの巻

2017年3月2日 木曜日

1月29日から旧友ジョルダン・サンドさんに誘われ、ミャンマーの首都ヤンゴンの下町の調査に行くことにしていた。とにかく出るだけで精一杯で、本の校正を一週間ですませ、28日の夜にはトランクに荷物を詰めて、と。朝になって、急に、ミャンマーってヴィザはいらないのかな、と疑問になる。やっぱりいるらしい。

前に陸路でタイから入ったときには現地で申請できたので、今回ヴィザを取らなきゃいけないことをすっかり忘れていた。でも当たって砕けろで、羽田に向かう。タイ国際航空でバンコク経由だ。カウンターで早速、「ミャンマー入国のヴィザはありますか」と聞かれて、「ないです、現地で申請する予定です」と言うと、「とんでもない、外交招待状のある人以外は無理です。こないだ来た人も家に帰っていただきました」と言われた。

「今から電子申請したら6時間以内にバンコクに着く頃は出てるんではないか」とか色々言ってみるが、「それも無理です。今日は日曜ですし」という。「じゃぁバンコクまで行ってウロウロしてます。そのあとの調査の予定もありますし」というと、順番に使う格安チケットなので、1でバンコクまで行ったところで2、3のヤンゴン往復が使ってないと4のバンコクから羽田には乗れないと言い出した。片道で買うとどうなるのって聞いたら100,000円はしますと言われたので、もうすごすご家に帰ろうかと思う。それでサンドさんに今回はリタイヤしますとメールしたところ、また戻ってみるとカウンターの女性が、電報打ちます、99%、帰りは乗れると思いますがそれなら行きますかと言われた。「いつもオタク使ってんだから頼むよ」と言ってそのままバンコクまで来てしまった。

羽田空港で河合桃ちゃんにバンコクの知ってる人を1人紹介してもらい、タイに詳しい槇さんに宿を取ってもらった。今までは誰かと一緒だったけど、初めて1人でスワンナプーム空港から空港シティーラインに乗ってペチャブリで降りてそれからMRTと云う地下鉄に乗り換えて北に上がったところのフェイクワンと言う駅に着く。そこからまた遠いので、スーツケースを引いて歩くわけにもいかず、シクロを雇って50 バーツが高いのかどうかわからないけどもKTゲストハウスに着いた。

まだ明るかった。緑に囲まれたとても静かで良いホテルで、広々していて、欧米人ばかり。家族連れもいる。NGOのメンバーも多いという。ただ欧米人がタイ人の彼女を連れているのもいる。のんびりするにはいいホテル。私は205号室で隣がプールだった。早速ドボンと1つ浴びて、これから後5日間、何もやることないんだ。と言っても、来る直前まで仕事ばかりで、風邪もひいていたし、胃腸の調子も良くなかった。これは神様のくれた休暇と思うしかない。

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街に何か食べに行った。かなり遠くの市場まで歩いたけど、あまりこれという店がなくて戻りがけにあった小さな街の食堂に入ったら、まぁ皆さん親切。空芯菜いためてくれと言ったら、これも入れるかといって豚肉を指差して、これがまたコリコリカリカリで美味しくて、ついでにふくろだけも入れてもらって、その炒め物でビールを飲んだ。ビールは大瓶だから全部は飲みきれなかった。それから卵焼きも作ってくれた。食堂の人がみんなまかない食みたいなのを食べてる。一人メインシェフみたいなおばさんがいて、あとは若い女の子たちがTシャツに七分丈のズボンで実によく働く。他にも体動かして働いてる人が多いので町中、非常に健全な気がする。直しやさんとか木工屋さん、自動車の修理やさんとかいろんなもの。家電線がものすごい数、張り巡らされているけど危なくないんだろうか。木の間も通ってるがあまり気にしてないらしい。素晴らしい夕焼けが見えた。あ、りすだ、電線の上張ってて危ないなぁ。

こっちに来て気がついたこと。地下鉄のつり革は真ん中にしかないので立ってる乗客が座ってる乗客の上に威圧的に覆い被さったしないのはいいと思う。みんなきちっと並んで乗るのもいいと思う。年上の人がいる時は若い人が席を譲るのもいいと思う。地下鉄の切符は機械より、窓口で買ったほうがいい。でもスクンビットもペップリーもフェイクアンもなかなか伝わらない。しかし地下鉄とBTSという高架鉄道が同じ券で乗れないのは面倒だ。

駅にはバイクの黄色いジャケットを着たお兄ちゃんがいて、どこまででも乗せてってくれる。にいちゃんはヘルメットをかぶっているが客はかぶってない。こっちは20 バーツ。1日10回人を乗せて200バーツ、百回で2000バーツ。バイクは恋人どうして乗ってるのもいい。

またソイという横丁沿いに運んでくれる乗り合いのトクトクのようなものがある。少し余分に出すと荷物を家までお届けてくれたりする。これも便利な交通手段。

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部屋は650 バーツ、エアコンを使うと690 。あー、12時間も眠って膀胱炎になりかかっていたのも治って風邪も少し良くなった。

1月30日

2017年3月2日 木曜日

9時になったらもういいかなと思って、前にお世話になったNさんの友達のKさんと言う方に連絡した。Nさんは旦那さんがこちらで広告会社を経営していて、息子さんはチュラロンコーン大学生のものすごい美男子だった。チュラ大というのは、バンコクにある東大みたいなものだ。イタリアンでランチして、3時間もエステをして、ジム・トンプソンのアウトレットに連れて行ってもらったりして、バッグパッカーの私はバンコクにこんな優雅な生活があるとはと驚愕したのだった。そのNさんもすでに東京へ帰られたという。

そのまたご友人のKさんと、MRTに4つ乗ってBTSに乗り換えて1つのファランボーン駅で待ち合わせした。とても要領の良い教え方なのでいけると思う。

伺った話では、Kさんは関西出身で、旦那さんは建設会社のオーナー。彼はバンコクで生まれたそうだ。戦後にご両親がこっちに来て仕事を始めたそうだ。

旦那さんは日本で勉強したのでその時知り合って、こっちに来てもう30年以上いるという。娘さんと息子さんが高校も大学も東京、ご自分の親も東京で行ったり来たり。でも旦那さんのお母さんにしてみれば、もう60年以上住んでいるので、バンコクを離れる気はないらしい。

私が650 バーツの宿にいるって聞いたらのけぞっていた。朝は35バーツ出街角の麺屋で食べたと聞いても驚いていた。その屋台もすごくきれいなお姉さんとおばあちゃんと2人でやっていてすごく親切でおいしかった。

「私はそういうところには行ったことがないからほんとにバンコクの狭い社会での中で生きてるだけなのよ」とKさんは言った。「特にボランティアとか何か社会的文化的な仕事してるわけじゃないし」。

チェンマイの奥地のラフ族の話をしたら、「ほんとにそういう話を聞いてびっくりするわ」という。正直な方だ。それでこれからお友達と一緒にご飯を食べましょうよと言うので、エンポリアムの下のホテルで待ち合わせした。この辺は駐在員や日本人在住者の多いところ。その中の1人はこのホテルの最上階にお住いだとか。3回目の駐在というSさんはマッサージも好きだし、ジムトンプソンの家でボランティアガイドをしていていろんな情報を教えてもらった。それからもう1人は小柄で綺麗な人で猫が病気になったので心配をしていた。もう1人は艶やかで、大柄で優しかった。

皆の服はカジュアルだけど、どっかに光物のベルトとか指輪とか銀色の靴とか履いていて、おしゃれでバックはみんなプラダとかヴュトンとかブランド品を持っていた。せっかく日本人が来たんだからと言って、ちょっとおしゃれな郊外の1軒家のタイ料理に連れてってもらった。割ったら300 バーツだからそんな高くはなかった。1000円位。適当にいろんなもの頼んでもらったけど全ておいしかった。特に憧れの茄子のたたきが食べられた。私はスイカジュースを飲んだ。そこに来ているタイ人は裕福そうで、みんな尊敬されていた国王の死を悼んで黒い服を着ていた。

バンコクは暑いが、クーラーが寒いのでみんな席につくとさっさとカーディガンとか羽織るものを取り出す。さすがに長いだけのことはある。私だけ寒かった。観光客は何色を着てもいいそうだ。または黒い喪章をつける。王妃も体調が悪い。来月行われる葬式には退位したがってる、高齢な天皇皇后の見えるという。確かにタイと日本の皇室には長い友好の歴史があった。次の王様のことについては皆あまり話さない。

みなさん、しっかりした甲斐性のある夫を持ち、異国でこういう風に日常を生きていく人達もいるんだなぁと感慨深かった。皆さん親切で韓国エステの店を予約してくれて、3時まで時間があり、ショッピングも興味ないし、別の足裏マッサージの家に時間つぶしに入ったけど、ここは300もとった割にほんとやる気のない女性が何かいやいやもんでる感じで良くなかった。

その後行ったところは1000バーツでものすごくいろんなことをしてくれた。顔に様々なクリームを塗ってほっとく間に足を揉んだり、腰を揉んだり背中を揉んだりするんでもう1時間半でくたくたになった。お茶も出してくれて韓国人のマダムもとても感じがよく、英語も上手でまた来たくなるような店だった。

帰りにダブルダブルツリーのホテルを抜けると、今度はヒルトンに繋がってて、ヒルトンを抜けたらもうエンポリアムがあって、そこから駅に直結してた。でもこんなビル街はあまり興味がない。国王の喪に服してる割には、中国の春節なので真っ赤な飾りがいっぱい付いている。駅はすごく簡素な作りで、暑いから風が吹き抜けて日本みたいに閉鎖的じゃない。BTSは窓口は両替だけであとは機械でコインで買えという。間違って15ですむところを31も払って16 バーツ損してしまった。

駅からまたバイクに乗ってゲストハウスまで帰ったけど、夕方でものすごく渋滞しているところをすり抜けすり抜けていくので、私は何度も隣の車に足を擦りそうになった。少し休んで、近くのイサーン料理の小さな店に行く。表に素焼きのポットが並んでいる。すき焼きと言われたけど、これはどう見てもしゃぶしゃぶ。とてもおいしい。家でもやってみたいが、このみかんの葉っぱとレモングラスと生姜のような香草がないとこんな味は出ない。白菜、空芯菜、春雨、鶏肉も豚肉も牛肉も、さらにイカとエビも入っていても盛りだくさん。東京のコカレストランなら3000円コース。全部卵で絡めてあるので、それを入れると卵がぶくぶくと固まってなかなかおいしい。スープも飲みほしたらお腹いっぱいになった。これとビールで210 バーツ、700円くらい。

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1月31日

2017年3月2日 木曜日

ホテルに帰って、浅田次郎の文庫本を読みながら9時には寝てしまった。夜中に起きてまた2章ぐらい読んで、起きたら8時だった。それで昨日のKさんにお礼の電話をしたところよかったら今日も来ませんかと言うことになり、11時ぐらいに家を訪ねることになった。習字の自習教室をやっているらしい。11時ごろに豪華な名前のマンションに行きました。

古いけどおちつけて広い部屋。夫婦2人で住んでいて8階にはお母様。もうひとりのTさんの旦那さんは台湾の方のようで台湾生まれで、今お父さんが90でバンコクにいるので、動けないし置いても帰れないのでずっといるという。もう1人来ていたAさんの旦那さんも会社のオーナーで、郊外に1戸建ての家にたくさんの骨董品があるので、ミニミュージアムみたいになってる。建設や食品や部品や化学関係で、日本人がいろんな会社を経営しているようなのだ。

皆さん1番心配なのは医療で、「日本人はあんなに安く医療が受けられることを当たり前に思ってるけどそんな国は世界中にない」「ゆりかごから墓場までのイギリスでもがんがわかってもお金がなければ診察は1年先になるので、やっぱりお金を払っていい病院に行く」「タイでも30 バーツ診療とかいうのタクシンがやったけども重病で30 バーツで済む話はない。だから日本から来る時は傷害保険に入ってきた方が良い」などと口々に話していた。

今日は日本人が多いホテルで昼ごはんをしようというので、どんなに高い店かなとちょっと心配になったが、298バーツでめちゃくちゃ何でも食べれるビュッフェで結構おいしかった。

それからもう暇なんだしと、近くのワットポーの出店に行ったけど、足裏のマッサージが250バーツ、タイマッサージが300バーツ、合わせて2時間のところ1時間40分しかやってくれない。観光化と流れ作業化が進んでいる。だからチップあげなかった。

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それからまた例の街の食堂に行って、ビールを飲みながら若い女の子が一生懸命切ったり炒めたり煮たりしてるの見てたら、涙が出そうになる。ちょうどバス停の前なのでバスから降りた人も何か買って行く。オートバイの兄ちゃんも買いに来る。みんなビールなんか飲まない。定食のカオパット、炒めご飯を食べている人や、パッタイ、台風の幅広麺の焼きそばを食べている人も、テレビを見上げながら食べて出て行く。

2月1日

2017年3月2日 木曜日

今朝は朝早く起きて、8時にホテルの食堂でパンとトーストとコーヒーと卵を1個食べて出かけた。8時台の地下鉄は混んでいる。みんな整然と並び、無理には乗らなくて次の待っている。

スクンビットでサイアムセンターという古い古い様式の建物のミュージアムにいく。100バーツ。キャベツ畑と呼ばれるスアンパッカード宮殿へ。行ってみると朝香宮邸という感じ。そこはすごく広かったけどもバッチャン焼きと古いものがたくさんあった。以前はキャベツ畑だったそうだが、ビル街になっているのに驚いた。それからサイアムで乗り換えて、ナショナルスタジアムでおり、これで3度目、ジム・トンプソンの家まで、わりと簡単についた。

ものすごい混んでいるが、日本人は私しかいない。中国人とフランス、ドイツ、英語と日本語のツアーがあるらしい。なかなか美人で丸顔の人が日本語で私1人に説明してくれた。その話によれば、ジム・トンプソンはアメリカのデラウェア州の人で、奥さんと別れて、東南アジアに来て、シルクに魅せられて、タイシルクを産業に育てた。もともとは建築家だったので、川に面したこの土地に、家もデザインして作った。いろんな寺の扉とかみんな持ってきちゃって、床には大理石を敷き詰めて、自分の集めた骨董品を飾ってとんでもない家をつくった。雇い人は料理1人とあと2人ぐらいだったとそうだ。

インドネシアやマレーシアも行って、マレーシアで1960年代に行方不明となって、生きているとしてももう100は過ぎているんだからこの世にはいないだろう。昨日会った人は私にジム・トンプソンを書いたら面白いわよ、と言っていたが、吉川勇一が訳した伝記もあり、松本清張が「熱い絹」と言う小説を書いているらしい。

それから気持ちの良い1階のハスの花の池に面したレストランでバジル炒めの豚肉でご飯、シンハビール、これは400バーツも払った。

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それから今度また水路をつたってどこまでも行ってみた。なにせ暇だ。終点で降りたらどうもここから国立美術館は近そう。今日もう3つみたのに、まだ2時だ。何も交通機関がないからトクトクにのったら100 バーツもとられた。最初は200というので、50といったら、タイ人でも100 はもらうんだとか言ったけど、だったら最初から100と言えって感じ。ミュージアムは王様の喪に服すためと修復中で半分位。でもこれだけみれば十分。いろんな仏像があって時代によって顔が全然違う。それから王様の神輿とか、輿とか、みんな見てヘトヘトだった。そのあともバスもわからないし、トゥクトゥクにまた乗るのもシャクだし、とにかくカオサンを抜けて元の船着き場まで戻る。昔はカオサンの200バーツの安宿に何度か止まったが、もういい。だらしない格好で、酒を飲んで、怠惰に生きているだけの連中が沈殿してとぐろを巻いている薄気味悪い感じの街。

生オレンジジュースを飲んで船にのったらすごいきもちよくて、川辺が1番緑が多いと思う。たった11バーツで降りたらなんとペップリーの駅前だった。あと4つ乗ればフェイクアン。そして例のバイクにまたがってホテルに帰った。また例のよく働く少女たちの店で今度は海鮮炒めを作ってもらう。私だってビール、でも大瓶一本は飲まない。

2月2日

2017年3月2日 木曜日

バンコクの木造の古い建築といったらあれを見なきゃね、というので、思い切ってタクシーでウィラメイクと言う宮殿に行ったら閉まっていた。乗せてくれたタクシーの運転手はとても親切で、彼のせいでもないのにすまながっていた。それで波止場まで行ってもらう。チャオプラヤー川を船で降りる。昨日の船旅に味をしめたわけ。どこかで気に入っていた赤い帽子をなくしてしまったらしい。タクシーかな、波止場かな。やりたいとすればこの船の運転手。車掌さんもかっこいい。船から飛び降りて、桟橋の杭に綱を巻く。呼吸など颯爽としている。三島由紀夫の暁の寺に出てくるワット・アルンで降りたら一見してわかる日本人の写真家がいた。今回はバンコクだけをとって歩くそうだ。

オリエンタルホテルの船着き場で降りてホテルのレストランに行く。川が見える。カオソーイとオレンジのカクテルを飲んだ。そのカクテルがものすごい量でなかなか減らない。ついに酔っ払ってしまった。ウェイターはさすがオリエンタル、周りが欧米人ばかりで、でもどんな人にもすごく丁寧でユーモアのある対応している。そこからタクシーに乗ったが、ファランボーンの駅まで渋滞だった。始発駅から地下鉄にずっと乗って、家に帰った。夜はイサーン料理屋に行って、ソムタムという青いパパイヤを削った辛いサラダでビール。トマトやナスの小さいのや、エビのペーストなどが入っているらしい。それだけではビールが飲みきれず、隣の人が食べていた豚の薄切りを頼んでみる。大正解。辛いタレにつけて食べたおいしかった。

もう浅田次郎の「天切り松」は読み切ったので、昨日から、高井有一さんの「この国の空」を読んでいる。ご存命の時に映画化されるというので文庫本が新版で出て、それをいただいたのに、読んでいなかった。名作だと思う。荒井晴彦監督が私の大好きな長谷川博巳と二階堂なんとかいう女優で映画化されたんだそう。建物疎開や配給、隣組、空襲、その他戦時中の東京での暮らしがきっちり書き込まれ、勉強になる。

街で聞く話に、妻子を田舎に疎開させた中年男と、夫を戦争に取られた若い奥さんができちゃった話をよく聞いた。その時は私も30そこそこで、ちょっと不潔に感じたものだが、確かに、お互い寄る辺のない身で、隣組で協力しあったら、そこに恋情が芽生えるのも致し方ないと思う。しかし、男が38歳の所帯持で、女が19歳というところがちょっと男性目線か。それとせっかく教員になろうとした娘を、母親が止めて、嫁に行かそうとするところなんかは、ちょっと封建的だと思う。うちの母はこの主人公の娘より3つ下で、戦後歯医者になったし、伯母はこの娘さんより4つ上で、女子大を出て文部省に努め、終戦の時は日本放送協会のアナウンサーだった。みんながみんなこんな風に母親が旧弊なわけではない。

2月3日

2017年3月2日 木曜日

もう何もやることがない。読む本もない。朝から部屋で青空文庫の子規を読み返し、それをノートに取りたいのでノートを買いに行ったついでにビールも買ってきた。ホテルのレストランでパッタイを食べたら、大変おいしかった。小さな子供を4人も連れてアメリカかヨーロッパから来たらしい親子、生まれでまだ首も座っていない赤ん坊を連れてきているのもいていい度胸だと思う。

それからプールサイドで読書ざんまい。プールサイドを渡る風で寒くなってしまった。このホテルは中国人のオーナーで隣にまたもう一棟ホテルを建てているが、そのために私の部屋からの眺望は全くなくなっている。工事音もうるさい。東京よりもバンコクの街は騒々しい。鳥も鳴くけど、車もバイクもとんでもない音を出す。

4時半過ぎにホテルを清算して、午後5時半ぐらいに空港に着いた。東京から飛んできたサンド夫人志保子さんはミーティングポイントに5時半に現れたが、コンケンからわざわざわたしたちのたびに付き合うため、来てくれたイサーンの農民ドアンさん、サンドさんもなかなか来なかった。明日朝の便が早いので、空港の近くと言ってもかなり遠いホテルに指し回しの車で着いたのは8時半。それから食事をした。

サンドさんはミャンマーでアイスクリームにあたって胃が壊れたのでチキンスープのみ。私と志保子さんはビールで5種類位のご飯を食べた。やっぱり人数が多いと種類が食べられる。空港ホテルはフロントの感じが悪かったし、蚊もいたし、設備も悪い。5時に目覚まして5時45分に集合して6時のバスで空港へ向かった。ヤンゴンはやっぱりとっても良かったらしい。まだ開発や観光化が進む前にヤンゴンを見ておきたかった。いや、また近々、行く話はありそうだ。イサーンやチェンマイの山奥にはバンコク経由で行くけれど、この所、バンコクの喧騒を避けて、街には入らなかった。久しぶりに良い休暇となった。

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