2012年12月 のアーカイブ

12月22日 バンドワゴン効果

2012年12月25日 火曜日

まわりでは自民党に入れた人はまずいない。みんな「がっかり」「寒い年の瀬になった」などとメールに書いてくる。「よほど少数派なのだと思い知りました」というのも。そうかな、自民党に入れたのは比例で27%くらいでしょ。維新は20%、公務員の特権排除とか、住民の一番よく見ている所の不満に切り込んだ。
二大政党制も右と左とはっきりしていればいいが、自民と民主の二大政党制なんかいやだなあ。
共同通信に問われて、自民大勝の理由を1、小選挙区制の選挙制度の欠陥。2、民主党への懲罰、日本人のちょっとやらせてみて、だめならこわごわ元に戻る、これ技術開発もみんなそう。3、「自民300をうかがう勢い」「地滑り的大勝か」などという記事を書きまくったマスコミのバンドワゴン効果。と答えたのだが。
3について捕捉。東大新聞研にいたころ、選挙の心理学を教わった。ポール・ラザースフェルドは『ピープルズ・チョイス」という社会心理学の本で、ある候補が優勢と伝えられると『勝ち馬に乗る』効果が生まれる、といっている。バンドワゴン効果、新聞などではアナウンス効果という。いまごろ地方の公共事業に群がる連中は「先生に入れましたよ〜」とか揉み手をしているのであろうな。日本には判官びいきという美徳もあったのに。今回、これは効かなかった。強い日本、をのぞんだのかね。

12月21日 スマホでご飯たきますか?

2012年12月25日 火曜日

東京新聞、一面に家電の会社員のロングインタビューあり、これ最高におもしろい。
パナソニックが、SHARPがどうしてだめになったのかよくわかる。技術者がどんどん進化した凝った家電を作っても、私みたいな機械音痴はめんどくさくて買わない。「スマホでご飯たきますか?」には思わず笑った。遠隔操作でスマホで炊けるのだそうだけど。
液晶テレビも買う気がない。つけてすぐ映らなくてイライラする。その上、ついてみるとコマーシャルだったり、テレビショッピングだとか、お笑いだとか見るに堪えず。ドラマに興味ないし、テレビは不必要。どうしても見るべきエヌスペなどは誰か録画して貸してくれる。
共同通信、わたしの発言を相当カットはしていたが、歪曲はしていなかった。誠実なまとめだと思う。私の発言についた見出し「得票議席に反映されず」「改憲手続に反対」領土問題は冷静に外交努力を」「公共工事は借金ふやす」
しかし被災地の復興や教育問題、まちづくりについてはばっさりおとされていた。選挙戦と同じ、課題山積なれど触れられず。
井堀利宏さんは「民主党は経済では失政はしていない」「公共事業のばらまきには反対、汗をかかない交付金はずさんに使われがち」とおっしゃったのにカット。いい所なのに。夜、四代目けいすけで久しぶりにつけ麺食べていたら、亜紀書房の足立さんたちに見つかり、運良く忘年会の二次会に参加。

12月18-20日 北陸温泉と鉄道の旅

2012年12月25日 火曜日

朝、4時起きで、大阪まで行き、サンダーバードであわら温泉、山代温泉泊まり。
さらに七尾経由、和倉へ。そこからのと鉄道で穴水へ。初めてだが金盛さんというカメラマンの方と氷雨の中を歩き続けた。おかげでニューヨークで買ったアグのブーツ、おしゃかに。『旅と鉄道』に乗る、じゃなかった載る予定。
静岡の鍋倉さんから。「おはようございます。今朝の静岡新聞の鼎談拝見しました。森さんの静かな声の心配の気持ちが伝わりました」どんな紙面になったのかわからず。

12月17日 選挙戦を振り返る 

2012年12月25日 火曜日

共同通信に頼まれ東大教授(経済学)と学習院大学教授(東大卒・法学)との選挙を振り返る鼎談に出た。専門について分析的にとうとうと語るお二人を前に、普通の市民としての思いを語った。記者の質問に順番にこたえるというもので、ある方が「安全な原発は再稼働すべきだ」と発言した時に「安全な原発ってあるんですか」とは口を挟めなかった。敗北感募る。鼎談とはいえない。ただその方のいう「老朽火力を今フル回転してどうにかもっている」ということの是非は確かめねば。安富歩さんの『東大話法と原発危機」を再読。安富さんも自然エネルギーで全部まかなうのは無理、天然ガスが大事と考えておられるようだが。関良基さんの講演おもしろい。ああ、東大話法!
八ッ場ダムと東大話法〜利根川・江戸川有識者会議の欺瞞〜 – YouTube

12月16日 暴走老人の読みかえ

2012年12月25日 火曜日

蜜柑狩り。かえりは東海道線で3時間かけ帰る。きょうは選挙。私は不在投票をすませてある。夜、ヒロシと選挙開票を見る。家族全員、死票となる。4割の票数で7割取れる、という小選挙区の魔術。まさにそのとおりになった。中選挙区に戻してほしいが望みうす、完全比例にするとか、選挙区の死票を比例に回すとか。ただし私は今回選挙区は白票、入れたい人がいなかった。
猪瀬直樹さん都知事に。5年間、選挙準備していた人には勝てない。まあ石原よりはずっとましとおもう。もともと官僚批判をしていた人だし。極左だったはずだがなあ。選挙もうまかった。モダンなかんじの夫人が、夫の好奇心旺盛さやいいパパぶりを語ったり、本人もマラソンに出て健康を強調。一番すごいと思ったのは「暴走老人」を「人がなんと言おうと信念を貫く頼れるジジイ」とプラスイメージに変えてしまったことだ。

12月15日 ジジイでもダンディ

2012年12月25日 火曜日

きのうの夜、ジュリーが荻窪駅頭で山本太郎の応援をした。山本太郎はわかりやすすぎだと思うけど、脱原発一本槍な議員が一人国会にいてもいい。
ジュリーはMCうまいからな。2時間でもはなせます、と京都なまりで。うっとり。
荻窪の従姉の陽子ちゃんは昔からのジュリーファン、絶対行ったに違いない。いっていることを活字で何度も読んだが、すばらしい。
「むかしジュリー。いまはジジイです」
と聴衆の笑いをとり、「原発を止めることが一番大事。それをしないうちは経済も何もはじまらないのだ」とズバリと言ってのけた。
この日、静岡興津の山梨さんの蜜柑畑で前夜祭。東金の農業家たちも来る。

12月14日 神楽坂で打ち上げ

2012年12月25日 火曜日

きのう『千駄木の漱石』の打ち上げに神楽坂のトキオカにいったら嵐山光三郎さん、坂崎重盛さんにお会いし、お二人のデートの邪魔をして?しまった。
洒脱で酸いも甘いも悟り切ったおじさまとカウンターに並ぶのはすごくしあわせ。嵐山さんの『漂流怪人・きだみのる』(本の窓)連載がおもしろい。
双葉町の誇るべき井戸川町長を追い落とす策動あり。すごく高い放射線量を公表せず4月に入るまで妊婦・乳幼児を避難させなかった飯館村の菅野村長よりよっぽどまともな政治家に思えるがなあ。

12月13日 谷根千の様変わり

2012年12月25日 火曜日

谷中出身、62歳の方より谷根千宛にメール。アドレスがないので返信できない。「時々実家に帰ると、人はぞろぞろのべつ幕なしで、谷根千マップを持った吾人が闊歩されており、ウサギ小屋の住人としては受忍の限度です。また、谷中銀座を始め商店街は旧来の店は閉店し、殆どよそ者がやっているような気がします。実際は『武藤書店』の御主人のように知己の方々は鬼界に入られてしまったのかも知れませんが!
 谷中の五重塔が凛として聳え、人の往来が増えるのは、お彼岸とお盆の年3度というような往時環境を回復して頂きたいと考えています。『谷根千』はお袋が読んでいたものを時々寸読いたしておりましたが、『谷根千』の思想からはどう見ても現状は別次元に来てるのではないでしょうか?」
このようなご意見を最近あちこちでききます。私たちは谷根千の歴史を掘り起こして定着するのが目的でしたので、今起こっているような観光化を引き起こすつもりはありませんでした。観光化を私たちの責任である、というのは自動車を発明した人に交通事故の責任をとれというのに等しいナンセンスです。
とはいえ、谷根千の現況を憂慮はしています。しかし一見、観光地に見えますが、そのなかでじっくりと相互扶助と風通しのよい共同体、居場所づくり(社会的包摂)を続行している仲間もたくさんいます。

12月12日 村長の講演 

2012年12月25日 火曜日

そういえば先日、内子に行ったら飯館村長菅野さんの講演があったらしく、それを録音したものを聞いた。最初はあげてよせてブラの話、それからまでいな村づくりの手柄話。こんなのをよくも聞いていたね、内子町民。講演料は村長のふところへ、でしょうか? 飯館村村長がブラの話をしている場合かいな。
毎日の自分の考えと政党の考えがどのくらい一致するかという毎日ボートマッチ・えらぼーとをやってみた。http://mainichi.jp/votematch/
自分と一番意見が合うのが新党大地、次が国民新党という結果、でもこの二つの党についてほとんど知らないし顔も浮かばない。

12月11日 彰義隊遺聞の遺聞

2012年12月25日 火曜日

湯本の福住を湯福、塔ノ沢の福住を塔福とよぶ。湯本から何代か前に塔ノ沢がわかれ、経営も変わった。こういう場合、普通は仲が悪いものだが、この二つは仲が良くて、紹介されて塔福さんも見せていただくことができた。湯福の先代も塔福のいまのご主人も立教のOBでそれも仲のよい理由とか。湯福が木戸孝允、伊藤博文、徳川慶喜ら政治家の宿とすれば、塔福は幸田露伴、島崎藤村、川端康成、林芙美子と文人の宿。阪妻の宿でいまでも田村高広さんがお泊まりになるそうだ。登録文化財・奈良屋旅館が登録抹消して売られ壊されたのは相続税がからんでいるらしい。こうした文化財を残そうと思えば税金上の基盤も作らないと。

彰義隊の須永於菟之助は伝蔵と名を変えて仙石原で牧場をしていた!
『彰義隊遺聞』で渋沢栄一の従兄弟たちの運命を書いた。尾高藍香は富岡製紙工場の初代場長となり、のちに岩手の七十七銀行頭取として養蚕を伝えた。彰義隊頭取だった渋沢成一郎は喜作と名を変えて横浜の生糸検査所所長として絹や糸の輸出に尽力した。もう一人の従兄弟須永は明治13年、渋沢栄一、横浜の渋沢喜作、益田孝らの出資をうけて荒れ地だった仙石原を開墾して牛乳の牧場耕牧舎をつくった。土地は湯治の神奈川県例に渋沢が言って無性に近く払い下げをうけたらしい。総面積737町歩、牛200頭、馬60頭、牛乳やバターを作って売ったり、乗用馬を育成したりした。これは箱根に外国人避暑客が多く、湯本富士屋ホテルなどに泊まっていたからか。恊働したのは松村泰次郎、そして蜂蜜生産のためにはいったのが新原敏三というのだが、この人、芥川龍之介の実父である。耕牧舎は明治15年に北豊島郡金杉村56番地(下谷区中根岸13)に支店を、16年には京橋区入舟町8丁目1番にも支店を開くが、ここが芥川の生まれた所で、いま碑が立っている。聖路加病院の近くだ。須永は区長も務めたが、明治37年、胃がんで逝去、63歳、38年に耕牧舎は整理、東京支店は新原敏三にゆずられた。芥川は母親が精神に異常をきたしたため母の里芥川家の養子になった。