2010年3月 のアーカイブ

2月15日

2010年3月11日 木曜日

朝のうち、チェンマイでもっとも良心的で安い象のファームに行く。私は三度目だが付き合いで乗る。昼はおいしいカレー麺カオソーイを食べる、山のこどもたちが麓の学校に通うためにダイエーさんが作ったメタム寮に行く。最初に来た時よりずいぶん立派になった。日本大使館がみすぼらしい寮の建物を建て直してくれ、70人ほどの子供たちのベッドは埼玉県の浦和のロータリーが寄付してくれた。それからいよいよトラックの荷台で山に上る。チェンマイにいる日本人のおばあさんとカメラマン志望の若い女性が一緒に乗ってきた。ほかにも山へ帰る人とか、うるさいこと言わずに載せてしまう。こういう排除しない精神はすき。夕方、私が世界でやねせんの次に好きなバーン・ロチョウの村へつき、ダイえさんのお姉さんのご飯を食べる。槙のかまどひとつでこんなにおいしいのは野菜と肉に力があるからなのだ。調味料は塩しかない。あとはガピという塩入とうがらしを少し入れると抜群の味になる。

2月14日

2010年3月11日 木曜日

タイの山の村に持ってゆく衣類の入った大きな袋をキャスターに取り付け、自分の荷物は小さなリュックひとつ、6時にタクシーに乗って日暮里へ。9時45分の便でバンコクへ。タイ国際航空はとにかくサービスが良くて、食事を挟んでシンハビール、赤白のワインなどを飲んでべろべろになるうち、30運遅れでバンコク着。チェンマイへの乗り継ぎができなくなった。でも団長の槙ひさえさんは歴戦の強者、沈着に次ぎの便に変えてもらい、めでたく夕方にはチェンマイについた。いつもバンコクで一泊するため、空港から渋滞の中、荷物を持って移動する大変さがなく、一気にチェンマイまで行けるのは大変楽だ。迎えのダイエーさんも飛行機の遅れを気にすることもなく、「あしたゾウに何人乗りますか」とのんきなことを聞いている。学生たちと小松光一先生と合流、いつものすてきなレストランで食事、ことに魚のトムヤンクン風姿煮はおいしかった。餅米のカオニャウとシンハビールがあれば満足。若い人のようにないとバザールに行く気もせず、風に吹かれて足のマッサージをしてもらう。市場に面した野外の店で、胴元らしき大きな財布のおんな、物売りの少年、少年ジェッターみたいに遊び回るこどもたち、買物帰りのおじいさん、まるで移動演劇のごとし。

2月13日

2010年3月11日 木曜日

今日は横浜の放送ライブラリーでこの前の桜井均さんの編集したフィルムを見る会。放送人の会の主催。今野勉さんも来られる。ヨコハマの日本大通の歴史的建造物の並ぶ中に立派なライブラリーがあることにまずびっくり。ここならつとめたいなあ。山下公園がすぐだ。100人以上、観客が来た。東海大の水嶋弘通さんと桜井さんと私でパネル・ディスカッション。帰りに桜井さんの立命館の学生たちとあこがれのドキュメンタリスト萩野靖乃さんと中華街で食事。萩野さんは名作「密航」をとったディレクターです。桜井さんも萩野さんも下町育ちなので気が合うというか。桜井さんなんか開成、東大、NHKなのだが、やっぱりどこか「下町のきんちゃん」である。ものすごくエピソードを話すのがうまく、山本五十六の息子のはなしなんか、何度聞いても面白うてやがて悲しくて。

2月12日

2010年3月11日 木曜日

サトコはインド、ブッダガヤのこどもたちとウォールペインティングをするワークヨップにでかけてしまった。私は14日からタイとビルマなのでヒロシの引っ越しのためにひたすら掃除。ヒロシは15日に引っ越して16日からはニューヨークへいくらしい。ネット使いなので往復3万いくらのチケットをとり、四つ星ホテルを一週間、二人で6万円で予約したと言う。こんどは頼んでみよう。

2月11日

2010年3月11日 木曜日

建国記念日。昔の明治節。5時から蔵で研究会を始める。映像ドキュメントの桜井さんがつないだフィルムを見て話し合う。一本はリゾート法の二十五年を検証したもの。もう一本は山田洋次監督「家族」を背景に、1970年頃の日本列島を振り返るドキュメント抄。伊王島の炭坑が廃坑になって生活が立ち行かなくなった夫が倍賞千恵子の妻と笠智衆の父を連れて、新天地北海道へ酪農をしに一家で日本列島を横断するロードムービー。リアルタイムで見た時、なんで赤ん坊を万博なんかに連れて行ってミスミスしなせちゃうの、と頭にきた。お父さんも旅の疲れか、北海道についてまもなく死ぬ。最後は牛の子が産まれるハッピーエンドになっているが、国策に追われて家族を二人も失う悲惨な話。そこに桜井さんが炭鉱事故、福山コンビナート、大阪万博、四日市の公害、東北の出稼ぎ、酪農の大変さ、八郎潟干拓中止などの象徴的なドキュメンタリーを差し込んでみせてくれて、高度経済成長の影が際立った。
それにしても万博、高校の級友たちはみんな行ったが、私はもうばかばかしくて行かなかった。バッファロー作戦とか言う入場制限、だけど入場してしまった人々は実に明るい目をしてお目当てのパビリオン(わ、なつかしいことばだわ)に一目散に駆けて行くのだ。庶民というものはどんなに為政者に騙されてもあきらめずに駆けて行くものだなあ。無自覚と言うか、忘れっぽいというのか、鈍い分したたかというのか。団体旅行で万博に来て、「これで大東和戦争の仇が取れた」みたいなことをいい機嫌で語る親父なんか、まさにそんなかんじ。
とにかく蔵は寒く、荒川さんちで鍋。この研究会は町のアーカイブとして何を残すか、がテーマなので当分、一般公開はしない予定。もう人を楽しませるためにイベントをやることには疲れていまった。参加し、フィルムの編集とか、何か寄与してくれる人だけを募集中。

2月10日

2010年3月11日 木曜日

今日は大変。正午、東京ロータリークラブの昼食会でお話。ロータリーは前にも何度か御邪魔したが、こではロータリーの中でも歴史が一番古く、帝国ホテルで300人規模で、キッコーマンの社長さんはじめ、大手企業のオーナーが多い。外国人もいるので通訳がついた。その通訳の方は前にワールドサッカーの時、ビザカードのVIP向けの下町ツアーをご案内したときと同じ通訳さんであった。あとでやねせん町の関係者もロータリアンらしく、挨拶に見えたので、釈迦に説法とはこのこと、冷や汗。そのあと2時半からNHKで短歌の番組にでる。好きな歌としてシベリア旅行中の与謝野晶子の歌を紹介、最後にもう一首、あきこが産屋にいるときに大逆事件で知人の佐藤誠之助らが刑死したことを詠んだ歌を紹介した。「坂の上の雲」が明治の明るい面、日露戦争に勝っていけいけどんどんの明治を描くなら、NHKで大逆事件のことをいいたかった。ごくささやかな抵抗だけど。夜は大学出たての頃勤めた出版社の先輩、憧れの人に合う。ちっとも変わらず相変わらず素敵だった。

2月8日

2010年3月11日 木曜日

遊んでばかりもいられない。やっと2月は前に東京新聞に連載した「東京どんぶらこ」を書き直し、書き足したりして内沢旬子さんのイラストでちくま文庫にしなければならない。それから集英社文庫のまとめ。ポプラ文庫の倉沢さんと今日は白山こもり亭で飲む。このかたも千駄木在住。時間を気にしないでいい。「抱きしめる東京」「路地の匂い、町の音」を文庫にして下さるそうです。眼の調子がわるく、仕事が前の半分も進まないとすると、調べものの単行本はなかなか出ない。文庫化の話は嬉しい。まず体をなおす方が先決だ。

2月4日

2010年3月11日 木曜日

スポーツクラブもなかなか通えない。今日からは鳥取県鹿野町というところで3日間、ぶっとうしに町作り合宿がある。いまどきそんな長いのがあるかよ、とかえって興味を持ち、行ってみることにした。鳥取はまず行かない、今回三回目。百聞は一見にしかず、素晴らしいところだった。小京都と言ってもいい。中世に亀井家が創った城下町、広い堀、材の贅沢な清らかな町並み、それを守ってきた人々。壊される製糸工場を買い取って「しかの心」なる喫茶店搗き集会所に、古民家を改修して「夢こみち」なる地元の主婦たちに夜お食事どころに、おなじく「夢本陣」という手造り工房に。それぞれみんな採算をとっている。その町作り中心メンバーの一人、小林清さんが千駄木を根城に東京でビジネスもされていることから今回のお招きとなった。二年前には山﨑範子が御邪魔したそうだ。その他、すぐ近くに廃校になった小学校を根拠地に、「鳥の劇場」という素晴らしいレベルの演劇集団がいるのもすばらしい。今回は合宿に先立って何とその劇場でブレヒトの「肝っ玉おっかあ」を一部、新訳で見せてもらいました。すごいところだ。外来者も友だちの結城さん、松場登美さんがみんなを笑いの渦に巻き込み、竹富島の狩俣先生、鳥取大の家中先生、と楽しいメンバーで疲れたが有意義な三日間でした。
一番面白かったはなし。狩俣先生のお父さんの時代は竹富では商品経済がまだなく、明日運動会というので、お父さんのお母さんは前の日から、糸を紡いで機を織り、それを裁断して運動会に着用するパンツを手縫いで作った。それをはいて徒競走に出たら、途中からパンツは裂けはじめ、ついにはびりびりにやぶれてしまい、観客は大笑いだったとか。なんていい話でしょう。

2月2日

2010年3月11日 木曜日

近所のオアシスに行く。東急系のスポーツクラブで、妹や弟も入っているのだが、原田病にかかって以来、まだスポーツをするほど体力が回復していないので、整体や食事療法のみにしていたが、体を動かしたくなった。さまざまな教室があり、ためしに出てみるが弟が通っているエアロビクス系はリズムに乗って動きが早くとてもついて行けそうにない。音楽も大きくてうるさくて。で、ベリーダンス、本場では胸も腰も豊かな人がおどっているが、こちらは柳腰の美女ばかり、そこに私が混じると美女軍団と一頭のクマというかんじ。フラダンス、これもスタイルのいい美女ばかり。でも年配者も多いので、さっそくフラのスカートを買ってきておどっている。みんなの色とりどりのスカートを見るだけで楽しい。太極拳、気功もいい。ヨガもいい。そんな東洋ふうの動きのゆっくりした運動が今のところ楽しい。そのあと30分ほどプールで泳ぐ。弟を紹介者にしたら、そちらにプレゼントが行ったようで、「つづけるんだよ」という携帯メールがきた。さすが、弟だわ。

2月1日

2010年3月11日 木曜日

伊勢神宮と言うと皇室関係、団体客ぞろぞろ、という印象であったが、朝、まだ暗いうちに内宮を訪れると、森に鶏の鳴声がこだまして、徐々にあけて往く空、五十鈴川のきよらかな流れとまるで違う印象。ナポリ郊外ポンペイの遺跡を観光客のいない月の夜に訪れたことを思い出した。朝ご飯の後、東洋大学の学生たちと外宮、二見が浦を見て、そこから一人で名古屋へ。ミソカツ弁当を買って新幹線に乗り込む。ホームにはきしめんの立ち食いもあり、しまった、こっちにするんだった。