2013年12月 のアーカイブ

12月15日

2013年12月25日 水曜日

昼過ぎより「まちや紳士録」の東京初の試写が谷根千記憶の蔵で。若い伊藤監督が妻とともに八女に住み込んで撮った伝統的建造物群保存地区の一年。松川八洲雄「ムカシがきた」「飛鳥を造る」など単立の文化財の修復や再建を扱った映画はあったが町並みと人々の暮らしに光を当てたのはこれが初めてか。古い町を新鮮と感ずる若いIターン者。原発避難で新しい仕事を作ろうという家族。建物を直す職人さんたち。雨が振れば庭があふれ雨漏りがし、湿ればナメクジが出る驚き。でも若い彼らは、何代も続く町人、町医者のような建築家や元公務員のような人々に見守られ町に定着して行く。

衝撃の話題作や大傑作とはいいがたいが、見ていて気持ちがよくなり、少し自分の暮らしを考え直す。そういう映画だ。八女に行きたくなるし秋の人形芝居も見たくなった。

12月14日

2013年12月25日 水曜日

ものすごく仕事が混んでいるから週末は静かにしているつもりが、急遽、新宿へ「東電テレビ会議」を見に行く。これ東電はずっと本店と福島第一と福島オフサイトセンターと新潟柏崎刈羽原発と福島第二とテレビ界線で結ばれており、今もそうかもしれない。ポレポレ東中野の福島映像祭で見逃したので。「本店本店、たいへんです、三号機が爆発しました」といった吉田昌郎所長の僻語だけが伝わるが全体はどうだったのかということ。よく公開したなとも思うがこれでも49時間中10時間のみ。その中の四時間分を人名などは責任者以外ピー音で隠している。しかし当時福一でがんばった社員は消してほしかったかどうか?

臨場感がすごい、資材班、復旧班、電源班、福利班などがそれぞれ広い中にいる。被災直後の混乱の中、現金がない、被爆を恐れて誰も水や資材を届けてこない、仕方ないからいわきまで迂回して福一から6時間かけて買い出しに行く。本店はそれに気付かない。社員のマイカーのガソリンを抜き、バッテリーを直列で並べ、動力にする苦労。ベントや注水にしゃかりきな吉田所長に、総理官邸との交渉やプレス発表の確認作業までが覆い被さる。刻々、状況の悪くなる格納容器。

必死の作業ではあるが、それほどのことはできていない。こういう過酷事故の備えがまるでなされていないことに驚くばかりだ。バッテリーやオイルやケーブルがなぜ備蓄ないのか?

消防車といってもがれきと水の中をどう動くのか? 震災時の自衛隊の美談はさんざん聞いたが、ここでは被爆を恐れて指揮官が出さない。いざというとき動けない自衛隊は国民をすくえるのか? 用語も含めわからないこともたくさん、何度でもインターネットで見よう。

12月13日

2013年12月25日 水曜日

文化庁へ、要望書と質問を持って行く。

要望は重文聖徳絵画館と神宮外苑の風致築への国立競技場の影響がないように奮闘してほしいということ。質問は現在の1958年築の国立競技場を文化財として認識しているのかということ。青柳長官に直接お渡しできた。大和参事官はアゼルパイジャンでザハの最新作を見学したそうで画像も見せてくれた。

文部省の建物を登録文化財にするまでの苦労などいろいろ聞いた。公共建築を文化財していないし登録するのが一番難しいそうだ。夕方、PBOの委員会。

12月12日

2013年12月25日 水曜日

毎日の取材、猪瀬都知事はなぜ前回433万票も取ったのか、と聞きにきたが、私にもわからない。石原の禅譲、5年かけて選挙対策、震災のときの美談、高速道路公団などとの烈しいやり取り、対立候補にパンチがない? 私の周りには一人も猪瀬さんに入れた人はいないのに。

ノンフィクション業界の仲の悪いので有名な二大巨頭、佐野真一さんが橋下問題で凋落する中、都知事選に圧勝して明暗を分けたかに見えた猪瀬さんを誰も助けない。日頃の傲慢さの報いともいえるが、ここまで来ると、他の政治家に比べれば金脈もそうないようでお気の毒。猪瀬が退任したあとに出てくるのが、石原ジュニアと東国原というのでは悪夢。なんて話はしなかったが。私には週刊誌3本連載で原稿料がいいという話をした猪瀬さんが「生活に不安があった」には目を疑った。他のライターが笑うだろう。いや泣くだろう。

まあ都知事選は魔物だ。清潔で人柄がよいだけの人に勤まるとも思えない。

12月11日

2013年12月25日 水曜日

朝、川崎市の文化講演会で大杉栄について話す。帰りに武蔵小山の温泉に入る。

夕方、浅草ですばらしく頭もよく色気も貫禄もある芸妓さんと引き合わせていただいて食事。すっかり乃り江さんのファンになってしまう。

12月10日

2013年12月25日 水曜日

日本ナショナルトラストの理事会。

12月7日-9日

2013年12月25日 水曜日

国立競技場問題のためおくれにおくれている年末進行の原稿を書きまくる。

12月5日-6日

2013年12月25日 水曜日

毎日映画コンクールの試写。今年は水準が高い。

12月2日-4日 塩原・那須・福島

2013年12月25日 水曜日

2、3と塩原、那須に行く。塩原塩の湯の明賀屋にとまる。丸森の菊池さん夫妻と真理ちゃんの話を聞く。泉質よし、食事ちょうどよし、宿の人感じよしのいい宿。別館はまるで宮家みたいな洋館。二日目、那須のペンション、ここも6つもお風呂があった。新幹線で福島へ、放送局との懇談。いわきで感じた分断、温度差、風化を乗り越えるために放送局の人々は戦っている。福島中央テレビはたまたまカメラを遠くに構えていたため、三号機爆発の映像を撮ることができた。しかし何が起きたかわからなかった、という。東電や政府は持っていたのに、スピーディの情報がもっと早く住民に伝えられていれば、風向きの来ない方に避難できたのに。

12月1日 蘆花公園から本郷

2013年12月25日 水曜日

世田谷文学館で幸田文展の監修をさせていただいた縁で、青木玉さんのお話のお相手を務めることになり、この数日胃が痛かったが、久しぶりにお会いする玉さんはすごくきれいなお肌で、小豆色の着物をお召しで、深々と聴衆にお辞儀をされるのであった。いくらでもお話が出て、あと5時間くらい聞きたいことがあったが、向島辺りで時間切れ。それでも聴衆と駅で会うと「本当に聞きたいことを聞いてくださって」「大阪から出てきた甲斐があった」などとねぎらっていただいた。

この日、東大で槇文彦、磯崎新、原広司という三巨頭座談会があり、急行したため、申し訳ないことになった。建築の若い学生などは喜んだようだが、わたしにとってはあまり実りの多いものとはいえなかった。槇さんの「漂うモダニズム」については了解、しかし国立競技場についてはほとんど発言なさらなかったし、磯崎さんの時代による映像と建築の位置についてもちょっと外連味を感じたがまあ了解可能。しかし原さんは何を云っているかわからず。数学と宇宙研究の発展による空間の変容について話しておられたのだけど。磯崎さんの「オリンピックは都市が立候補するもので国が口を出すものではない。(正論)自分がザハだったら契約違反で訴えるかも」といったコメントはちょっと参考になった。