2010年12月 のアーカイブ

12月

2010年12月30日 木曜日

家の前の駐車場が月極でなくコインパーキングに半分なった。なぜかな。米屋さんで宅急便は便利だわ、と言ったら、だからみんな宅急便で米を買って米屋が立ち行かなくなるのよ、といった。そうかも。
最近、雑誌の取材で顔写真をメールで送ってくれというのが多い。そのぶん、フリーのカメラマンのしごとは減っているに違いない。

うちのテレビはNHKーBSの1と2しかみられない。1はほとんどみるものはない。朝の「おはよう世界」と夜の「世界のドキュメンタリー」くらい。旅先で民放をみるともっとみるべきものはない。民放はものを売るためと、大宅壮一の言った通り「一億白痴化」のためにある。地デジになったらテレビをやめてNHK視聴料を二万数千円うかそうか、一年の年収にくらべて視聴料は高い。
久しぶりにみると民放の一時間ドラマに昔は2度くらいしかコマーシャルがはいらなかったが今は4、5回ははいるような。

国会の審議に応じない議員がいるのはいいが、その分歳費から日割りでさっ引くべきではないか。文京区の議会の傍聴に行ったことある? と聞かれ、ないと答えたら、一度行ってみな、みんな昼寝してるから、と言っていた。今度行ってみよう。

運転する友達が、「あ、わ印だ」というから、なんか春画でも見えたのかと思ったら、わナンバーはレンタカーで道を知らないから急に曲がったりして恐いのだそうだ。

11月30日

2010年12月30日 木曜日

根津教会でウードというアラブ楽器の音楽会。ウード奏者はフランス、日本などで演奏している。そして10戦争で両親が劣化ウラン弾に被爆し、生まれたときから目の見えないムスタファは素晴らしいアーティストだった。おわって映像ドキュメメントのなかまと小松で飲む。

11月29日

2010年12月30日 木曜日

相撲のガバナンス委員会。

11月28日

2010年12月30日 木曜日

午前中は仙台空襲記念館を訪ねる。1000人が亡くなったとか。しかし歴史的建造物がないことを空襲のせいにしてはいけない。県立博物館も内容があった。支倉常長とかもっと勉強したいな。午後はメディアテークで仙台市長奥山恵美子さんと読書について対談。私の本もよく読んでくださったし、生活感覚もあり、いままでで一番政治家らしくない政治家。好感を持ったが、それが問題だと言われます、と市長。

11月27日

2010年12月30日 木曜日

仙台へ早めに着いて、一人で地下の寿司やへ。そのあと仙台文学館で『即興詩人』に付いて講義。帰り、仙台で一人で牡蛎、マテ貝などで一杯。明日もあるのでライブラリーホテルに泊まる。ここはとてもいい。へやはマッサージ機つき。朝ご飯がおいしい。

11月25日

2010年12月30日 木曜日

丸森へ。真理ちゃんと丸森のラーメンを食べたが辛かった。東北は何となく辛い気がする。畑の始末。いまあるのはねぎと白菜のみ。

11月24日

2010年12月30日 木曜日

中島岳志さんが蔵に来て、そのあと安田邸を案内する。中島さんは安田善次郎を殺した朝日平吾の伝記を書いている。しかも安田邸は彼が前に書いた『中村屋のボース』の中村屋の相馬愛蔵・黒光夫婦が東京に来て初めて持った家の後である。千駄木林町18番地。

11月23日

2010年12月30日 木曜日

高幡不動まで宮脇檀さん設計のニュータウンを見学に行く。夜は母と食事。メールを久しぶりにあけてみると、明石町小学校が解体されて瓦礫の山となっているという。日色さんは、まるで関東大震災後の東京みたいだと書いていらした。メディアはこの問題を50回も取り上げたというのに、中央区長を動かすことはできなかった。

11月22日

2010年12月30日 木曜日

高知の安芸市から帰る。ごめん・なはり鉄道は本数が少ない。そのうえ、列車がとおっても駅名がみえない。それでも一本まえのJALに乗る時間に空港についた。しかし得割切符なので、いったん払い戻しをするのに手数料3000円。正規運賃との差額を6000円と払わされ、けっきょく一便変えただけで9000円もよけいに払うことになった。

 なぜ2、3分ですむ変更の手数料は3000円もかかるのか? 窓口の人がそんなに給料をもらっているとは思えない。だいたい東京-高知の正規料金が34000円とはどういうことか? へたするとニューヨーク往復できるよね。

11月21日

2010年12月30日 木曜日

高知へ。安芸の土居家中という侍屋敷の町並みを見学した。案内してくれたのはほとんど公務員か公務員OBであった。伝建になっても集落内には土産物屋や喫茶店には入ってほしくない、とみな言っていた。が、それは生活に不安のない人たちだからいえることだ。ここはもともと侍屋敷だから子孫は公務員が多い、公務員も住民なのだ、と言っていたが、なるほど江戸時代の士族はいまでも地方公務員になっているのである。階層のシャッフルが行われていないのは不公平な気がした。

そこから畑山の圭子ちゃんの家に行った。この人は愛媛の宇和島からずっと海沿いにいった遊子というところの漁師の娘である。早稲田の政経の後輩でもあるのだが、学生時代からふるさとの段畑の保存運動に関わってきた。東京で就職せず愛媛新聞の記者になったと思ったら、何年も立たないのに、土佐ジローなる鶏を飼っている男性と結婚してしまった。母親と同い年だそうである。びっくりした。いまは畑山温泉の女将にして、とりの飼育と農業をしている。会ってみると、うーむ、いい男を見つけたと言わざるを得ない。