やっと涼しくなりました。
10月19日火曜日まで、記憶の蔵にて芸工展参加企画、矢萩多聞展を開催中。
まだ20代のアーティストですが、インドに9歳から住み、その後も行ったり来たり、
細密画です。私のことしの本『海にそうて歩く』『明るい原田病日記』文庫本『路地の匂い、町の音』なんと二回めの文庫化『抱きしめる東京』はすべて矢萩さんに装幀をお願いしました。谷根千の新しい事務所でもあり、ぜひおいで下さい。
10月21日からは恒例、団子坂シネマです。十月は毎日が祝祭、肝臓に気を付けます。
2010年10月 のアーカイブ
8月
2010年10月18日 月曜日8月31日
2010年10月18日 月曜日8月、とうきょうにいるときは毎日、プール。それくらい暑かった。
白山から千石へのみちは楽しい。大沢食堂のカレーラーメンも、柳麺の塩ラーメンも。
息子がタケイさん、といったら途中のおいしい肉屋でランプステーキを買ってくる。
ここの肉を食べたら他では買えない。早く涼しくなるように!
8月29日
2010年10月18日 月曜日リブロ池袋店で『望郷酒場を行く』のサイン会。日曜の昼にだ!人が来るわけないな。
終わって上の階のエスニックでビール。夜、谷根千が世話になった方の息子さんが亡くなり、お通夜に町屋へ。逆縁のつらさ、この世でもっともつらいこと。帰りにヤマサキと嘆きのビールを飲む。
8月27日
2010年10月18日 月曜日北里医大病院へ。かえり渋谷往きのバスに小学生の女の子が多数乗車。乗っても手すりにつかまらずぺちゃくちゃやっていて、運転手さんも困っている。ある年配の方が「みなさん素敵ね、もう少ししずかにできたらもっと素敵ね」と言っておりて行った。
別の方が「あなた方、どこの学校なの?」ときくと「言っちゃいけないことになっているんです」とものすごくこまっちゃくれた風に答えた。素敵な制服来て、徽章もつけて、SとTの組み合わせた字が入っている。たしかに昔、騒ぐと「お前ら、どこの学校だ!」とどなられたもので、私ももう一度。「どこの学校?」ときくと、輪をかけておしゃまな感じで「名前は秘密ですが、北里のバス停から坂を上がった学校です」というのでますます鼻じろんだ。見ると全員肩のあたりに赤いランプが点滅しており、これは子どもの居場所を親に知らせる探知器なのらしい。そこまで我が子大事なら遠くの学校に一人で出すなよ。後ろの席の女性が「誘拐とか、変な犯罪が増えているからでしょうが、こんなに大人を信用しないように育ったらどうなるんでしょう。気持ちを開くことのできない、世間の狭い人間に育つんでしょうね」と独りごとみたいにいった。本当にそう思う。学校と親は何を考えているんだろう。気になって帰って地図で調べたら聖心女子大の付属だった。
8月26日
2010年10月18日 月曜日半蔵門の洋食やさんで朝日の旧友脇君、吉村さんとワインでおしゃべり。脇君は大学時代の友達だが、就職しないで、五大湖のほとりの大学に留学して行った、その時のさよならーというときのまま。吉村さんは朝日で書評を書いていた時の厳しい担当者。疑問や表現をチェックしてくれ、書評はグンとよくなって感謝。
8月25日
2010年10月18日 月曜日漢方研究会。自分で鍼がさせるようになる。気持ちよし。
8月21日
2010年10月18日 月曜日松山の子規博に呼ばれて行ったがもう松山市内はほとんど観たので津和地島どまり。水着を持って行くのを忘れ、人気のない浜で一人で着衣水泳をした。
8月20日
2010年10月18日 月曜日このところ、森鴎外の舞姫などを子ども向きに翻案するしごとをしている。収入にはならないが勉強にはなる。
8月19日
2010年10月18日 月曜日高尾の駅舎にできた群言堂にて『しゃべる駅弁』を小林しのぶさんと。楽しかった。
8月18日
2010年10月18日 月曜日井上眼科にて遮光レンズの入った眼鏡を二つ作ることにして南雲さんが相談に乗ってくれる。パソコン用は老眼用。外歩き用はもっと濃くてしかし度が入っていないもの。
DVDで今度は『中国の小さなお針子』、これまた文革を描いた秀作。それにしても文革世代は私の世代だ。知り合いの中国人が「日本は南京で30万人は殺していないと思うが、文革では7000万人殺されている」といい、余りの数字に、ウソでしょ、と言ってしまった。4,500万という数字は見たことがあるが。
この日、島根の忠吉さん見え、内幸町のスペイン居酒屋へご案内。すぐにソムリエと仲良くなり、ワイン談義が始まる。決してえらそうでもない細身の忠吉さんだが本当のことしかいわないから、相手もすぐ、本当のことを言い出す。観ていて面白い。