2013年1月 のアーカイブ

12月30日~1月6日

2013年1月11日 金曜日

1年間の働き過ぎか、まったく元気でず。くたくたとお風呂に入ったりベッドにはいったりしている。お正月は岩波新書『震災日録』の校正でおしまい。

6日、沢田研二さんのコンサートの券が突然手に入り見に行く。私としては11月の国際フォーラムよりこっちの方が好み。すこしやせたような。白いひげを蓄え、ステージを走り回った。山本太郎の応援演説のとき、ヒゲジュリーを見てこの感じでコンサートもすればいいのに、と思っていた矢先。
勝手にしやがれ、カサブランカ・ダンディ、サムライ、TOKIOとかつてのヒットもサービス、でも私は「桜舞う」からの3曲にジーンとしたのだった。
老境に差し掛かった男が、愛する妻を置いて先にゆけない、という歌。これはいまのパートナーへのおもいか。昔の恋人へ、何もしてあげられなくてごめん、という2曲目は前のパートナーへの挽歌か?
いまの人を大事にしながら、前の人を疎略に扱わないというのはおとこ気だとおもう。なんとなく森鴎外が前妻赤松登志子がなくなったとき書いたものを思い出す。「物を書いて弔うてやることもできぬ。かわいそうなことと存じ候」日記にのみ「嗚呼、これわが旧妻なり」と鷗外は書いた。
沢田研二は前夫人の死に一切コメントしなかった。これも樋口一葉の死後、余分なことを言わずに沈黙を守った半井桃水を思わせる見事さである。でもどこかに、今の妻へ配慮しつつ、いったんは暮しを共にした人への悼みをしのばせたように思えたのだ。
そして三曲目は、海辺の被災地で、原発から逃れた避難地で、苦しい越年を下であろう人たちへ「無事でいてほしい」、という応援歌であったように思う。

12月29日

2013年1月11日 金曜日

千葉の家を11時に出る。海際の漁師集落沿いに走ることに。勝浦の手前で官軍塚というのがある。これはここで戊辰の戦闘があったわけではなく、官軍の船がここで遭難して百三十五人がなくなったと言う。それは熊本の細川家は藩主の弟、津軽藩が五稜郭を攻めなやんでいるのを知って送った援軍だが、そんな藩主同士の思惑でここでなくなった藩士があわれ。それにしても房総の外海は波があらいのだなあ。その手前にはフィリピン総督ロドリゴが乗った船が帰任途中に遭難し、たくさんの乗組員がなくなっている。

12月28日

2013年1月11日 金曜日

朝、9時の出発で妹たちと浪花の家を久しぶりに見に行く。途中道を間違え、市原へはいったので養老温泉でくろ湯につかり、とてもおいしい自然薯定食を食べた。喜代元という旅館で、ごく良心的な値段だった。といっても東北の立ち寄り湯が300円から500円なのに、千葉では800円から1200円もする。ここは900円。いすみ市役所の税務課に行って固定資産税について聞く。「土地は安くても建物がコンクリートなので評価額が高い。建物については全国一律の評価。使わないからとあわてて売らなくてもいすみ市の空き家対策で、貸家バンク制度もある」などとても親切に的確に教えてくれた。なんだかいすみ市に定住したい気持ちになってくる。さらに「いすみ市で楽しく過ごす情報を差し上げます」といって飲食店のガイドや文化財マップなどいろいろパンフレットをくれた。こういうたらい回しにしないで、税務課だけでようが足りるということは文京区役所ではありえない。立派なものだと感心。御宿まで買い物に行く元気なく、大原の魚屋さんで、ヒラメの刺身、タコを買う。ちょうど茹でたてのがあった。店を守る同年輩の女主人、「この一年で大原の魚屋は3軒やめた。跡継ぎがいないもの。一日中吹きさらしのところで水を使って冷えるし、肩が動かない。うちの祖母も母も40そこそこでなくなった。来年来たら、ないかもねえ」小さなイワシのこを向いて酢漬けしたのがおいしいがこれも手で向く大変な仕事。

12月25日

2013年1月11日 金曜日

中国人の友だちがパスポートの後に中国の領域が印刷されているのに変わった、と言って恥ずかしがっていた。「日本はいる時にこれ見せるの? エーっつ」その地図では尖閣も台湾も中国領土の中にはいっているらしい。

12月24日 これから起りそうなこと

2013年1月11日 金曜日

④沖縄宜野湾市長選挙では「基地反対は挨拶代わり」と言っていた。衆院選は『脱原発』が挨拶代わりになって争点は見えづらくなった。⑤友人の弟の配偶者の兄は原発関連で仕事がなくなった。原発なくなって困っている人も相当出ることまで思いをいたして、それでもこりごりと言わなくては。⑥わが亡き後に洪水は来れ、未来のいのちに今の生活を優先させるのか? それにしても被曝労働や使用済み核燃料の始末についてなにも論議されなかった。問題はすべてそう簡単ではない。からまりあって、底には日米安保が通奏低音としてある。でも日米安保とまでなると論議しようとする主体の数はぐっと減る。⑦国土強靭化のかけごえのもと、八ッ場ダムも大手を振って再開され、トンネルや橋や道路の改修、そして沿岸には海も見えない20メートルの防波堤防潮堤が建てられていくのだろう。大赤字財政のくせに公共事業ばらまきがはじまりそう。所詮近代技術、鉄筋やコンクリで国土を改変し、守れるものか? 沖縄のユタに聞いたら「オレの肩や足をよくも切ってくれたな」と神様はおいかりだそうだ。
天皇は誕生日に「放射能で避難し、仮設で冬を越す人々を忘れない」「沖縄の人の苦しみをみんなで分かち合おう」といった。政治家よりよほど信頼できる。普天間、辺野古、高江の『お言葉ツアー』を企画しようかとサトコ。

12月23日 衆院選と高江のヘリパッド

2013年1月11日 金曜日

断片的感想①、都知事選に投票した人が664万7744人、なのに衆院選は525万6655人、というのをいかが見る? ②、3−40代夫婦の40%近くがセックスレスと東京新聞、男性は仕事で疲れているから、女性は面倒くさいから、これもいかが見る。③、2、30代の女性の半数が結婚したら家庭に入りたい、といっているらしい。これいかが見る。いろいろ考えなくてはならぬことが多い。

きょうはジャズ喫茶映画館で『フツーの仕事がしたい』とオスプレイが来ると言う高江の『標的の村』を見た。どちらもすばらしい。住友セメントとその下請け会社の労働基準法違反、労働組合法違反はおかしい! 国がアメリカ軍のためにヘリパッド基地を整備する、そこには世界で一番危険なヘリ、オスプレイが来る、自分たちの村と暮しを守ろうと座り込みをする住民はごぼう抜きに去れ、国から告訴されるスラップ裁判(権力者が弱者に対して行う威嚇と分断のための裁判)とんでもない話だ! 見た当日は当事者気分になれる。でも時とともにだんだんうすれていく、これなんとしょう。しかも病気と歳のせいで記憶力悪いし。