12月30日~1月6日

1年間の働き過ぎか、まったく元気でず。くたくたとお風呂に入ったりベッドにはいったりしている。お正月は岩波新書『震災日録』の校正でおしまい。

6日、沢田研二さんのコンサートの券が突然手に入り見に行く。私としては11月の国際フォーラムよりこっちの方が好み。すこしやせたような。白いひげを蓄え、ステージを走り回った。山本太郎の応援演説のとき、ヒゲジュリーを見てこの感じでコンサートもすればいいのに、と思っていた矢先。
勝手にしやがれ、カサブランカ・ダンディ、サムライ、TOKIOとかつてのヒットもサービス、でも私は「桜舞う」からの3曲にジーンとしたのだった。
老境に差し掛かった男が、愛する妻を置いて先にゆけない、という歌。これはいまのパートナーへのおもいか。昔の恋人へ、何もしてあげられなくてごめん、という2曲目は前のパートナーへの挽歌か?
いまの人を大事にしながら、前の人を疎略に扱わないというのはおとこ気だとおもう。なんとなく森鴎外が前妻赤松登志子がなくなったとき書いたものを思い出す。「物を書いて弔うてやることもできぬ。かわいそうなことと存じ候」日記にのみ「嗚呼、これわが旧妻なり」と鷗外は書いた。
沢田研二は前夫人の死に一切コメントしなかった。これも樋口一葉の死後、余分なことを言わずに沈黙を守った半井桃水を思わせる見事さである。でもどこかに、今の妻へ配慮しつつ、いったんは暮しを共にした人への悼みをしのばせたように思えたのだ。
そして三曲目は、海辺の被災地で、原発から逃れた避難地で、苦しい越年を下であろう人たちへ「無事でいてほしい」、という応援歌であったように思う。