2013年2月 のアーカイブ

2月17日

2013年2月26日 火曜日

挟土秀平さんという有名な左官の方から賛同のメール、茅葺き屋根の熊谷秋雄さんや滋賀の文化財修復管理の村田信夫さんからも、由布院の中谷健太郎さん、愛媛の五十崎の亀岡徹さんからも。う、う、う……。誰かが姜尚中さんの賛同をいただいて来た。東大では川本隆史さんや埋蔵文化財の原祐一さんも。
飲み仲間の鴨ちゃんは「いいから、牧野伊佐夫もいれといて」なんて簡単なこといってさ、でも後でちゃんと「牧野さんも遺跡を壊すのには大反対と言ってます」と返事くれた。
町並み建物関係は遺跡にあんまり関心ないのかなあ、とおもっていたら八女の北島さん、大島さんたちが揃って賛同してくれた。遺跡なのに、考古学はぴくりとも動かない。藤村作の旧石器時代の捏造事件のときにかなり勉強したが、あの事件を経ても体質の変わらないこと、あたかもとばくと八百長事件をへても相撲協会の体質が変わらないかのごとし。

2月16日

2013年2月26日 火曜日

きのううずまき堂の金井真紀さんが名簿整理でも資料の作成でも、なんでも手伝いますと言ってくれた。彼女とは去年の暮れに京都に瀬戸内寂聴さんのところにお話を聞きにいき、また鶴見俊輔さんのところにちょっとだけお邪魔した。その金井さんに八ッ場の帰り、上野の三橋であんみつを食べに入ったらばったりあった。デート中かと見たら、一緒にいたのは弟さんで、娘が八ッ場の遺跡の資料を渡したのである。人生は本当に不思議のうずまき……。
仕事関係の編集者の方々を巻き込むのは避けたいが、今回も自主的に皆さん、手伝ってくださっている。毎日、パソコンの前に15時間くらいいて、メールを回したり、お礼メールを送ったり、名前を取りまとめておくったり、肩書きを問い合わせたり、too much traficでわけがわかんなくなって来た。
ヤマサキの日暮里富士見坂の運動を私が手伝ってないのに、ヤマサキは私の呼びかけなどを谷根千ホームページの情報トピックスの欄に埋め込んでくれたので、軽く簡単に送れようになった。根岸の清水ますみさんからは「富士見坂の命がけのヤマサキさんに殉じる準・命がけ」という清水さんも、八ッ場のほうもたくさん広めてくれている。30年を越す同志、あんたがいるから私もがんばれるよ。

2月15日

2013年2月26日 火曜日

きのう、作家の黒川創さんとメールでおしゃべり。賛同は彼なりの考えがあっていただけなかったが、私が30代で彼が20代で、世田谷区の編集ワークショップのインストラクターをした時のことをまざまざと思いだした。だいいち、「谷根千」を京都で最初に発掘してくださったのは父上の北沢恒彦さんだったし、そこから鶴見俊輔さんにもお目にかかったり、北沢さんはロンドンの森嶋さんともつながったり、と人間の不思議な網の目と考えてパソコンの手が止まった。
私のメールアドレスがさらされないように、守本さんがyamba@yanesen.comというあたらしいメアドを作ってくれた。やまんばになった気分。
「ここまで来てしまったのだから、ちゃんとダムをつくってくれ、という『地元の声』とされているものは、ハラキリを途中でとめられている人が相手に介錯をせまっているような、悲壮なものに感じます」。黒川さんのメールの言葉を何度も読み返し、ちょっと意気消沈してしまった。でも、私は八ッ場ダムは間違っているし、作ったらもっと大きな禍根を残す、という自分の信念に殉じざるを得ない。躯体の強度、地すべりの危険、上流の火山の爆発、浚渫や保守管理、ヒ素と酸性水の中和、なにをとっても……。

2月14日

2013年2月26日 火曜日

むかし板橋区の環境問題の委員をいっしょに勤めたきくちゆみさんが賛同してくれて、呼びかけ人にもなってくれた。20年ぶりの連絡。前から交流のある劇作家の永井愛さんも呼びかけ人に。野田知佑さん、加藤登紀子さんと入れて8人。これでいいことに。それにしても肩書きっていやな言葉である。でも名前だけだと、いくらでも仮名を作れるのだし、アピールに賛同するには、その問題に対するある程度の知識と覚悟を持たなければならない。謙遜なのか、無名人です、あくまで一個人で、肩書きはありません、と書いてくる方もいて困る。かと思うと、編集者で「会社のお名前を出していいですか」と聞くと、「出してクビになった例はないですから」なんて答えが帰って来ると、うれしくなる。公務員の方には無理してもらいたくない。ジャーナリストには賛同より報道を。

2月13日

2013年2月26日 火曜日

あしたの会の最初のころ、都市計画家たちが八ッ場の再建に協力してまちづくりのイメージなどを書くのに協力してくれたことがあるという。いっぽう国交省や県はクアハウスだの、ダイエットバレー構想だの。30代以上の女性をターゲットに長期滞在でやせさせるためのエステやサイクルセンターを作るのに予算を付けようとしたりした。またこんな荒唐無稽なプランを書いたコンサルももうけたんだろうね。だれだ? 通販生活や東京新聞、かがり火、NHKなども報道や記事にすることを検討中と言う。いっぽう東京駅のスレートのときもそうだったが、それぞれが自分の思い入れを書いて拡散するので「森さんがヤンバダムに反対する賛同者を集めています」というようなツイッターも出回った。主婦、年金生活者、会社員、といった肩書きを書いてくる方もいて、どうにか文化関係の活動なさっていることにしてくださいとメール返信も大変。

2月12日

2013年2月26日 火曜日

それぞれ提案がある。八ッ場の見学会をしたらどうか、うちの店で映画会をしてもいいよ、など。どれもたのしそう。鞆の浦の運動、川辺川の運動にも学ぶべきことは多い。鳥取県の県営ダムを片山知事は中止してあやまって歩いた。そのくらい責任をとる県知事や官僚がいないのだ。どんな間違った政策を遂行し、税金をどぶに捨てても責任を問われないで、退職金や年金をもらえるというのが、日本のシステム。徳川時代の官僚は間違ったら切腹したのだがなあ。
セネガルのユニセフにいる横関さんからも賛同。上の階の飲み仲間、うちの旦那はアフリカ研究者なのよ、としか知らなかったが、お正月にも一緒にワインを飲んだポールさんはロンドン大学の教授だったとは、ちっとも知らなかった。ロンドンの森島通夫先生の奥さまの瑶子さんからも、ドイツでお話を聞いた「ミミズのカーロの」翻訳家今泉みね子さんからも、海外から一杯賛同が来た。

2月11日

2013年2月26日 火曜日

今回は遺跡を守れというアピールなのだけど住民のことを考えないわけにはいかない。60年間ダム計画に振り回されて来た住民。もう亡くなったり、移転した方も多く、残っているのは4分の1、あらためて「国民を幸せにしないことばかりやっている国家」に怒りが湧く。もちろん「あしたの会」は住民の生活再建法を掲げてはいるのだが。だからこそこんなことにならないように、各都県でもずっと裁判をして来た住民がいるのだが。「八ッ場住民がかわいそう」だから正しい意見を表明してはいけない、「アピールするなら住民に責任をとれ」みたいないい方はおかしい。住民をこんなことに追い込んだのは誰なのか、責任をとるべきなのは国と県と長野原町だ。
だれかが「勝てない運動に関わるばかはいない」と言っていたが、そうなのかな。最後の悪あがきになるのかな。いや、勝てなくてもやらなくちゃ、おかしいと思ったら。目をつぶると岸田衿子さんと田中正造が浮かぶようになった。

2月10日

2013年2月26日 火曜日

「科学者の会」や呼びかけ文の添付ファイルが重すぎるので開けなかったり、はじかれることが多く、もういちど軽いのを作り直す。ふう。小泉和子先生から「私もローテクでこのパソコンが古いので、確認のため再度、賛同のお返事をします」とメールをいただいたが、わたしのパソコン技術でこんなことできるのかいな。でも渡辺さんは群馬だし。利根川下流の有識者会議などで飛びまわっている。こまったこまった。どんどん賛同来る。他に呼びかけてくれる人も。前田哲男さんは「大飯再稼働とおなじく民主党失敗の象徴」と。劇作家の坂手洋二さんと翻訳家の金原瑞人さんが呼びかけ人になってくださった。勇気百倍。
「科学者の会のかたがたのお名前に信用があるのだと思います。それと総選挙で無力感と挫折感を感じた心ある人たちがそうだ、八ッ場で何かできるかも、と思ったのだと思います」と洋子さんにメール。

2月9日

2013年2月26日 火曜日

メールでの呼びかけに答えてくれた第一号は油井文江さん、私が22歳で最初にPR会社に入った時の上司。ニュースレターの書き方を教えてくれた恩人だ。「双葉から遠くはなれて」の舩橋淳監督は3号。石見銀山の松場ご夫妻が4、5号。
平野甲賀・公子夫妻も。信頼するかたがたが信頼して賛同してくださったのもうれしいし、久しぶりに連絡の取れた方もいる。

2月8日

2013年2月26日 火曜日

「有名な呼びかけ人を集める必要もない。ほんとうにそう思った人が運動を起こす。差別しないでみんなの名前を載せる。その中に有名なひとも混ざっている、そんなふうに、新しい動きを作って行けたらと思います。
とりあえず私は自分の関係者に私とアーサーさんの名において呼びかけます。
そんなに動けない、動く気のない人を前面に出すことはない、とも思いました」