2014年10月 のアーカイブ

7月31日

2014年10月8日 水曜日

お昼、紫式部文学賞に私の『青鞜の冒険』が決まったという連絡あり。七作品が候補だというので、もうあきらめていたので、失礼なことに電話口で「うっそー!」などと口走ってしまった。思えば50代、なんども候補にはなりながら、当たらなかったのに、還暦祝いかな、これは。審査員もほとんど存じ上げない。それがうれしい。朝日の田中優子さん、読売の角田光代さんほか、すばらしい書評に恵まれたことにも感謝したい。

7月30日

2014年10月8日 水曜日

東京駅の保存の歴史を書いたパンフレットが出るというので、その内容を見て驚く。

「雑司ヶ谷のご婦人方」ががんばって残したということになっていて、最初から参加していた私たち谷根千のグループのことが書いていない。気にされた事務局から別個加筆してくださいと連絡が来た。山崎にも転送。「先生が書くとそれがホントになるからね。パンフを作った功労はまゆちゃん、そして協力がサンドさんとひろちゃん。わたしにとっては三盛社とのやり取り、校正と配達の思い出、そして一番は装丁です。ヤマサキカズオのデザインの中でいちばん好きだ。全ページのレイアウトを家でやっていたのを思い出します。表紙に使った石板画の色に苦労しました。2色刷りの傑作です」

山崎の夫一夫さんが狭いアパートのテーブルで働いていた姿や、サンドさんと東京駅頭で英語の署名を集めたことや、前田好治さんに切り絵をお願いして、サンドさんと赤いクリスマスカードをつくった日々のことがフラッシュバックされた。

7月29日

2014年10月8日 水曜日

安野光雅さんに久しぶりにメール。セヴァン・スズキの伝説のスピーチを送ったら、とても喜ばれてこんど、紹介したいという。編集者の友人から赤い花の置物がとどく。生花よりよほど長く持ちそうだ。大勢の会が苦手な方とは二人で還暦祝いを口実に飲むことにする。

夜、西麻布に本を使って村おこししたいということの相談に行き、帰り、めっぽううまいベトナム料理を食べる。

7月25―28日

2014年10月8日 水曜日

恒例の谷根千夏の合宿@信濃境

ことしも手作りビールにベーコンに焼きたてパンに手作りバターにアイスクリーム。

私はひたすら飲んで食べるだけで、昼間はまた白骨温泉にいったり。

ゴロゴロしながら谷根千の歴史に関わる話や、知らない仕事の話を聞く。

池之端の人「おじいさんが池之端で骨董屋。仙台の人。ひげが長かった。父の方が先に死んだ。木村荘八の落款がたくさんあった。家と倉庫に二つ長屋を借りて、展観というのに出していた。店がないから暇だった」

宗教団体におつとめの人「エクソシストを紹介してください。あなたは私のことを盗聴しているでしょう、などといった相談がある。この世には妄想で生きているひとがおおい」

倉庫業の人「倉庫は機械もないし、土地と人と倉庫がすべて。海産物については冷凍庫業が別にある。昔は人足をどれだけ集められるかが勝負で、それは手配師、やくざの組織に頼るしかなかった。神戸港の躍進は山口組と深いつながりがあるのは事実」

信州の人「松茸ほりで1ヶ月、数百万稼いで悠々自適のおばあちゃんもいる。今年の冬はものすごい雪で陸の孤島になって、助けに行こうかと何度も電話をもらった」

古着屋さん「動坂上にある実家で古着商。お客は駒込病院の見舞いの客、きれいなものを見て気を晴らしたい。お爺ちゃんは神田の生まれの宮大工だった」

写真業の人「春の入学卒業式、秋の結婚式がシーズン。私立大学に出入りしていると校舎の新築などに100万単位の寄付を要求される。修学旅行は15万円ですごく高い。あれは旅行会社が高くしているが写真とる人も自費で払って同行する」

区議の人「いまは区議も前のような手厚い年金がつかない。海外視察もない。なんだか子どもが増えていて、真砂と本郷が合併したときは200人だったがすでに400人に増えた。文京区は600億もの黒字自治体。港、中央、千代田とか一人勝ちは東京だけ。復興予算は年単位で使い切れないと国の方で違う水路に流してくる。その予算で学校を耐震新築にしたりする」

7月24日

2014年10月8日 水曜日

渡辺仁の弟子が設計したアトリエが壊されそうという情報。渡辺仁が服部時計店や東博の設計者で千駄木林町に住んでいたこと、その息子が渡辺渡というアナキズム系の詩人であったことなど、一時にどっと思い出す。

7月23日

2014年10月8日 水曜日

戦前、日本橋に生まれ、お父さんが弁竹という高級なお弁当屋さんを経営しておられた女性にお話を聞く。明治座、歌舞伎座、そして役者衆、相撲などのお話。馬を持って賞を取った話など、興味の尽きぬ話を聞かせていただく。レストランのBGMが大きくて、録音ができないので、少し弱めてくださいませんか、というと外のお客もいらっしゃいますので、とのこと。もう一組は話に夢中で音楽など聞いてはいなかった。飲食店でBGMを流す事がサービスだと思っているのは由々しき事だ。有線放送の営業戦略に乗せられているのだろうか?

夜、根津の海上海で編集者のみなさんが私の還暦をお祝いしてくださる。耳鳴りがするので大勢の会は話が聞えなくなる。程よい人数が集まって下さった。BGMもないし、冷房もそうきつくなく、料理はおいしかった。帰り、また「天井桟敷の人々」にいってワインを飲む。ママが珍しく居て、この店の歴史やいわれを話してくれ、みんな根津のディープな夜を楽しんでくれた。来られなかった方が赤いバッグを言付けてくれた。早速お礼メール。「思えば自分のおばあちゃんの還暦のお祝いには、クリスマスの包装紙で赤いちゃんちゃんこをつくり、それを着たおばあちゃんは本当にちんまり腰の曲がったおばあちゃんでした。でもそのとき彼女は10人の孫がいました。なんて育っていない私でしょう。しっかり目もかすみ、腰も痛く、歯にも来てますが、まだまだ悟りが足りない。これからもよろしくお願いします」

7月22日

2014年10月8日 水曜日

目は不調。恵比寿の呉先生に鍼をうってもらいにいく。混んでいて4時について30分待ち、そのあとも3時間近くかかった。7時半に終り、8時すぎ帰る。アトレで夕飯の買物をし、430円くらいの惣菜を二つ買うと消費税8%がついて1000円を越える。2店で2000円。高いなあ。でもおいしかった。サーモンの春巻きと香菜とささみのサラダ。息子にはニシンのマリネとハンバーグを買って来たのに、もう待ちくたびれて、近くの食堂に行ってしまっていた。

7月21日

2014年10月8日 水曜日

休日。午後、東大に美学会の新国立競技場の話を聞きにいく。槇文彦さんの基調講演は冴えまくっていた。美学会に合せてラテン語の美ということばについて、美しさという意味とデライト(喜び)という意味の両方あると。建築、そして建築が作る空間が美しさとともに喜びを与えるのが建築家としての無上の喜びであると。しかし今回の新国立は巨大さ、壁のように続く壁面、人工地盤と暗い地下、樹のない列柱の谷間など空間はそこにいる市民に何の喜びも与えないであろう、と。それにしても教室が寒かった。ノースリーブや半袖の女性は震えていた。上着を持ってくればいいじゃないか、という人があるが、なんで夏は暑いのが当たり前なのに、室内をあんなに冷やす必要があるのか。自衛のためにまた荷物が増える。若い登壇者は出てくるだけで勇気も居るのだろうが、あまり噛み合ない話でペダンチックだった。

帰り仲間と森川食堂で一杯。手羽先餃子、シラスのオムレツ、海鮮サラダ、すべて豪華でおいしい。学生向き定食屋なので、おばさんの長っ尻は無用と1時間ほど。

7月20日

2014年10月8日 水曜日

母とちっとも話をしていないので、千葉で手に入れたヒラメの頭を煮付けにし、豆あじを唐揚げにし、地たこと一緒に持っていく。午後、少し遅くなったが、槇事務所でのブレストに参加。建築について勉強になる半日。帰りにイタリアンにいくはずだったが豪雨のため車で渋谷まで送ってもらい、家で残り物でワイン。たこ、なす、椎茸、茗荷をニンニクで焼いてみた。

秋のある講演は小さな町からで、共感もあって少ない謝金で引き受けたのだが、担当者は引き受けたとたん、あらゆる雑事を要求してき、しかも講演だけでなくシンポジウムにも参加せよというので、この金額ではとうていそんなことまでできない、と断る。公務員のなかには「安く来てくれる講師がいい講師」と考える人が多く、また自分たちはボーナスも退職金も年金ももらうのに、フリーランスの暮らしの組み立てを考えてくれない人が多い。大学の給料をもたっている人たちと一緒にされては困る。

7月19日

2014年10月8日 水曜日

やっと締め切りが一段落したと思ったら、つぎはどっと校正が来る。最初に調べをいい加減にしておいた分、校正に手間取る。スポーツ法学会の発表の直しが今頃来て丁寧に直すと1日かかる。口述筆記より自分で書いた方が早い。さて送ろうともう一度見直したら、長いので各自半分くらいにせよ、と但し書きがありへなへな。それならもっとばさばさ削るのだった。もう一度やり直し。「本当に」、「やっぱり」、「非常に」はきっと講演するときの私の口癖なんだろうが、こんなの最初から削ってくれればいいのにな。