7月23日

戦前、日本橋に生まれ、お父さんが弁竹という高級なお弁当屋さんを経営しておられた女性にお話を聞く。明治座、歌舞伎座、そして役者衆、相撲などのお話。馬を持って賞を取った話など、興味の尽きぬ話を聞かせていただく。レストランのBGMが大きくて、録音ができないので、少し弱めてくださいませんか、というと外のお客もいらっしゃいますので、とのこと。もう一組は話に夢中で音楽など聞いてはいなかった。飲食店でBGMを流す事がサービスだと思っているのは由々しき事だ。有線放送の営業戦略に乗せられているのだろうか?

夜、根津の海上海で編集者のみなさんが私の還暦をお祝いしてくださる。耳鳴りがするので大勢の会は話が聞えなくなる。程よい人数が集まって下さった。BGMもないし、冷房もそうきつくなく、料理はおいしかった。帰り、また「天井桟敷の人々」にいってワインを飲む。ママが珍しく居て、この店の歴史やいわれを話してくれ、みんな根津のディープな夜を楽しんでくれた。来られなかった方が赤いバッグを言付けてくれた。早速お礼メール。「思えば自分のおばあちゃんの還暦のお祝いには、クリスマスの包装紙で赤いちゃんちゃんこをつくり、それを着たおばあちゃんは本当にちんまり腰の曲がったおばあちゃんでした。でもそのとき彼女は10人の孫がいました。なんて育っていない私でしょう。しっかり目もかすみ、腰も痛く、歯にも来てますが、まだまだ悟りが足りない。これからもよろしくお願いします」