2009年10月 のアーカイブ

10月30日

2009年10月30日 金曜日

午後、念願の阿武隈川の船くだりをして、浅瀬で上がって来た鮭が背びれをぴちぴちさせて産卵しているのを見た。海から52キロ、最後の力を振り絞ってお母さん鮭、子供の産まれるのも見ないで死ぬ。子供は勝手に育つ。そういうものだ。

10月29日

2009年10月29日 木曜日

ずっと本を読んで過ごす。零戦対原爆、勝てっこない。日本で兵器を開発していた科学者が戦後次々、ノーベル賞を取る。うちの縁戚の水島三一郎とかいう人もチームの一員だったような。ヒロシさん曰く、オバマが核廃絶をいうのは、核兵器よりもっとすごい兵器をアメリカが開発したからだ。ほんとか?かも。

10月28日

2009年10月28日 水曜日

ずっと太平洋戦争の本ばかり読んで、眼が痛い。最悪なのは辻政信、インドネシアへ行った今村均は行った先もよかったけど立派、かわいそうなのは本間雅晴、フィリピンでパターン死の行進の責任を取らされて。でも、そもそもマラリアやアメーバ赤痢で弱っている敵兵を何万人も捕虜にして後方へ輸送しなければならないなんて、そんな無理な話があるだろうか。もちろん死んだ兵士たちは一番かわいそう。緑山のヒロシさんが水木しげる『コミック昭和史』を貸してくれ徹夜。独りの庶民の歴史と戦争を重ねた名著。

10月27日

2009年10月27日 火曜日

緑山のひろしさん、しのぶさんと山形蔵王にお風呂に入りに行く。観光案内所の女性、感じ悪し。パンフくれるだけ。きくやで冷たい鳥そばを食べる、おいしい。そこで今日は風がすごくて蔵王の大露天風呂は寒いかも。ひなびた湯なら内湯もあるし源七の湯がいい、とおそわる。これくらいのこと、観光案内所で教えるべきだ。すごいいい湯。入り口のおばさん、あたし独りで、ここを離れられないから、湯船の葉っぱをこのバケツにいっぱい拾ってくれれば牛乳あげるよ、というので、しのぶさんと必死で拾う。楽しかった。ついでに網で虫も全部取って、達成感で牛乳を飲んだ。

10月26日

2009年10月26日 月曜日

雨。畑仕事が出来ない。夕方、新地の荒整体院に行って、帰りに、ひなにはまれなレストラン緑山さんで「まかない料理ですよ」という豪勢な料理をいただく。ヒラメの刺身、すじ肉の煮込み、鳥のコンフィ、丸森ダイエット計画早くも崩れる。澤地久枝さんの本、端から読み出す。森熊猛という画家から谷根千にお手紙をいただいたことがあったが、このかたは小林多喜二の妻であった人とその後、結婚していた。あれだけの心理的外傷を背負った女性を背負ってゆくのはすごいことだと思う。

10月25日

2009年10月25日 日曜日

仙台文学館。『女三人のシベリア鉄道』にちなんで、与謝野晶子の一人旅を語る。スライド大盤振る舞い。今は松本清張展を開催中。清張さんは、あんまり読んでないような気もしていたが、『霧の旗』、『砂漠の塩』、『絢爛たる流離』、『古代史疑』、『昭和史発掘』、結構読んでいた。立派な字を書く人なのに驚いた。夕方、大好きな高橋広子先生のお宅で旬のはらこめし、いただく。真理ちゃんと丸森へ帰る。

10月24日

2009年10月24日 土曜日

今日も早めに仕事を済ませて谷中を見て歩く。ジム・ハサウェイさんの路地奥の展示が楽しい。前には幼児だったお嬢さんが中学生で、すっかり大人びていらした。上野谷中の時空を飛んだ絵も素晴らしいが、あいだに昔の絵はがきが飾られている。百年前、上野の景色でアメリカに送られたはがきが地球を一周して今、ここにある、スゴイよね、とジムさん。ロングドレスの家族写真はジムさんのご先祖。

「どこ?」
「ニューヨーク州の田舎」

「町の名前は?」

と言ったら、ジムさんふざけて
両手で頭に角を出し、それから私を指差して

「鬼、あんた!」と叫んだ。

「オニアンタ」という町だそうだ。

この日。松山巌さんと芸大・台東区の主宰するアート展で話す。昭和20年、愛宕山の路地でうまれ、石屋の父を持つ松山さん、昭和二十九年、動坂下の長屋で生まれ、歯医者の父をもつ私。やっぱり30年代の子供は楽しかった話から始まり、高度成長、バブル経済、小泉内閣の新自由主義でどのくらい町のすき間がなくなり、空がせまくなり、子供が息をつけなくなっていったか、といういい感じのころ、雨が降って、おしまい。それにしても、言問通りぞいの不思議な特設お茶の間で話しにくい舞台ではあった。終わってほっとした。

くま推奨店 其の四
もちろん打ち上げをしようと、というか松山さんは単に飲みに来たらしく、4時から飲める所と言ったら日暮里駅前のそば屋、「川むら」しかない。幸い一席空いていて、おししいツマミさまざま、銘酒喜楽長でたのしい。ことにみんなが気に入ったのはとうがらし入卵焼き。絶品ですな。ここも谷根千をずっと置いて下さり、広告も下さった。私の店選びは人柄主義。どんなにおいしくても感じの悪い店には入りたくない。ここを仕切っているかっこいいお姉さんは、店主のホントのお姉さん。気っぷのいい方です。先代のころは普通の町のそば屋さんだったが、今は川むらでチビリ、がこたえられなく墓参りの回数が増えましたという人もいるくらい。

10月23日

2009年10月23日 金曜日

夜、岡本宮之助さんの新内を上野桜木市田邸できく。岡本文弥師匠の聞き書きをやっていた頃、美青年であった宮之助さんも渋い貫禄ある新内を語る人になった。今日は珍しい口語文の「耳なし芳一」、コラボレーションの現代美術家馬渡吟治朗さんの人形にぴったり。平家物語の怨念と幽霊が立ちこめる空間。樋口一葉「十三夜」になってほっとした。 

そういえばお関を乗せた人力車はこの辺りを通ったはず。玉の輿に乗った女の哀しみと、零落した男の苦しみと、かつての恋人の情念がより合わさって誠にその場、その地にふさわしいものであった。

くま推奨店 其の三
同じく聞きに来ていたサトコと、言問通りをくだりながら、一杯やろうということに。今の余韻では、やっぱり日本酒。「みちのく竹家」へ。初期の頃、谷根千に広告も出して下さっていた店。今は一階は豆腐料理屋になり、家族で二階で秋田料理、二代目さんが活躍の時代になった。なんだか居間のように落着ける。トンブリやミズ、キノコで秋田の酒を飲み、しめに、きりたんぽ鍋を一人分、ちょうどよい量だった。昔、ご主人が大きな網で銀なんをあぶっていた姿を憶い出す。これもセンチメンタルジャーニー。

10月22日

2009年10月22日 木曜日

きょうは芸工展の夜店通り方面を見てこようと思って、仕事が一段落したのででかける。根津のりんご屋さんは詩人で、その詩の展覧会をすずらん通りのアパートでやっていておもしろかった。ここもかわってないなあ、創刊以来毎号80冊買ってくれた美奈子に恩義があってつい行っちゃうけれど、ほかのお店にも入ってみたいものだなあ、と思って歩いていると、ほかのスナックのかたから、モリさん、長いことご苦労様と声をかけていただき嬉しい。

くま推奨店 其の二
すずらん通りでおなかがすいたら、「鳥ぎん」の白い暖簾が出ていた。 ここも長く来てないなあ。昼もやっているんだとガラーリ。おじさん変わってない。20分かかりますよ、というので、その間、道灌山通りにちかいUbatamaにいって芸工展のオリジナルTシャツのことなど聞いていた。店主は芸大出身で新国立劇場のバレーの衣装などを作っている。遠くから見る観客には見えないかもしれないのに、手を抜かずに素晴らしい絵を施してあってビックリした。

さて、ちょうど五目釜飯が炊きあがった頃、鳥ぎんにもどる。味はまったくかわっていない。おじさんもほとんど変わっていない。

「むかしはよくお子さん連れて来たよねえ」

「うん、この裏にすんでたから」

「いまはどこ?」
「白山のほう。おじさんはどこの生まれ?」

「岩出山、宮城県」

「そう、東北の方かと思っていたんだ。私、いま宮城で畑やってるの」なんて話している。

「そういえば、結婚式の晩も二人で来たよね。あんなラブラブだったのに別れちゃったんだって?」釜飯がのどにつまり、絶句。優しいおじさんのおいしいお店です。釜飯1050円。

10月21日

2009年10月21日 水曜日

携帯電話は前、一円とか、ゼロ円とかのがあったのに、この前買ったのは六万円もした。ヒロシにいわせると本体は高くしてサービスのほうを安くしたそうだ。

FAXは本体が安いので買ったら、トナーが高い。感熱紙方式では何年かすると薄れて読めないので、トナー式にしているが、しょっちゅう行っている暇がないし、五つ買ったら本体より高かった。ひどい話。

新しい店は中濱潤子さんにまかせて、昔からあって流行とかかわりなく静かに愛されている店をこれから簡単にご紹介します。

くま推奨店 其の一

きょうは芸大の元倉真琴さん、評論家の松山巌さん、台東歴史文化協会の椎原晶子さんと打ち合わせをかねて、三崎坂上「筆や」に行った。墓地に入る角で、その前は川島珈琲店、個性的なママは岩手のほうで相変わらず文化活動をしているとか。その前は高山筆店という画材屋で、そこの息子さんがやっておられる。外観も芸術的だが、中は狭いけれどカウンターとテーブル席がふたつ。何時も混んでいる。目の大きなふっくらしたご主人と、よく働く親切な奥さんと。房総直送のおいしい魚料理などなんでもおいしい。坂の上にはそれほど飲食店がないので助かるお店。