2012年11月 のアーカイブ

11月14日 スゲロ

2012年11月21日 水曜日

イギリスの森嶋瑶子さんが帰国中なので、赤羽橋のスゲロというイタリアンレストランで食事。大変おいしいイタリアンである。なんと4時間もおしゃべりしてしまった。瑶子さんの従姉の谷井澄子さんと3人で、ロンドンオリンピックから最近見た芝居、戦前の暮し、医療過誤まで。お2人の記憶力と社会的事象についての飽くなき好奇心、そして出来ることはしよう、というボランティア精神に圧倒される。「ボランティアとは人に言われてすることでもないし、人を気にしてすることでもない。自分がしたくてすることなのよ」「朝日はどうなるのかしら。イギリスでは政治家の出自を書くのはかまわない。でも、だから彼はあれほど狡猾だのダーティだのは絶対書いちゃいけないの」
澄子さんにご馳走になってしまった。帰りの空に赤い東京タワー。やっぱりこっちの方がすき。

11月13日 ソワジックさん

2012年11月21日 水曜日

高野山の現場で息子と9ヶ月一緒に働いたと言う建築家で留学生のソワジックさんが来てくれて、超長い上野谷中建築ツアーをした。芸大赤レンガ-門-奏楽堂-池田屋敷門-国立博-表慶館(人工緑青で屋根がひどいことになっていた)-両大師-寛永寺本坊の門(なんだか黒光りする変な新しい感じになっていた)-東照宮(修復中)石灯籠、唐金燈籠-五重塔-五條天神-上野大仏-お化け燈籠-時の鐘-桜並木-徳川将軍御霊屋-国際子供図書館(安藤忠雄によるリノベーションをソワジックさん高く評価)-京成博物館動物館駅-黒田記念館-上野桜木会館-市田邸-大黒天-群言堂-カヤバでカフェ-よしだや-バスハウス-谷中コミュニティセンター-谷中銀座-某友人宅でパーティ。ソワジックさんはうちの娘より一つ上のフランスの女性。「ドイツも好きだけど、ドイツは学校が早く終わってしまうし、保育園が整備されていないので子どもを産んで仕事もするのは難しい。日本の女子大生はなんで仕事の夢を話さず結婚のことばかり考えているのかしら?」と言っていた。そのほかのべ3時間くらいはおしゃべりしてまた再来週、町を案内することに。それにしてもきょうのコースはパーフェクトだな。

11月12日 ジュリー

2012年11月21日 水曜日

この1週間、寝ても覚めてもジュリー。我が12歳(ジュリー18歳でタイガース)から20歳(ジュリー26歳でソロで一番売れてた頃)くらいまではテレビで見てずっとファンだった。その後、結婚してテレビのない時代が長く続き、子育てでそれどころではなく、いま、ユーチューブで音楽も画像も楽しめるという時代が来た。これも最初は原稿を書くのに、オペラやコンチェルトがどんなだったかを調べたりするのにつかっていただけなのだが、関連動画に飛ぶ癖がついた。同じ曲でもホロビッツとアルゲリッチとグールドがどうひくかが瞬時に比べられてしまう。それがおもしろい。最初にアーティストにはまったのは尾崎豊。弟がうちの息子を「尾崎豊みたいなヤツだな」という一言で気になってみていたらはまってしまった。テレビがなかったからリアルタイムでは知らない。きれいだねえ。どきどき。
それからジュリー。トークを聞く限りこのひとは至極まっとうで、配慮のある、弱者に寄り添える人だと思う。10代より、20代、30代末あたりが一番いいかな(デビュー20年のころのソバージュがすてき)。でも歌は今の方が間違いなく深化している。

11月11日 ニュータウン

2012年11月21日 水曜日

千葉佐倉へニュータウンを見学。玉家という「すごすぎる」鰻やに行った。この御宅は築何年ですか? ときいたらにっこりして「サア、125年くらいでしょうか」だって。
ニュータウンであった方は環境を整えて手入れをして資産価値を下げない、ということをしきりにいっておられた。ここはそれでも条件のいいニュータウンだ。中にお店もあればバス停もある。近くには城下町佐倉もあって125年の鰻やがある。
バブルのころ、住宅メーカーの社長が「お父さん、子供のために後10分がまんしませんか」という広告を出していたのを知っている。そうして東京のスプロールは止まらず群馬や茨城の奥まで東京通勤者のベッドタウンが作られた。私なんか、そうでなくても短い人生の一日24時間のうちの3時間も4時間も通勤に費やすなんて思いも寄らないが、そういう人生の人もいるのだ。前にテレビで水戸から埼玉東京を通って横浜まで片道三時間通っている人がいた。「何のために家へ帰るんです?」ときいたら「ネクタイを替えるため」と言っていた。
こうした郊外ニュータウンはいま値崩れが激しい。ドイツであったある専門家は「ゴーストタウンになりやがて荒野に戻る」と言っていた。買った人はどのくらい資産を減らすのだろう。これは政治の失態だ。国民の財産を守るのが政治の役目ではないか? レッセフェールに任せていたらこうなった。自己責任ですむ話じゃない。ドイツでは国民の財産を減らさないため、ちゃんと規制して新築は許可しない、古いアパートは省エネ改装をして間取りも変えて貸すなどの政策誘導をしている。あと10分なんて口車に乗ったらどんなことになるか、だれも政治家はいわなかった。

11月10日 東京駅

2012年11月21日 水曜日

きょうは茨城のニュータウンを見学。毎年見て歩いているが、たしかに空はひろいし、緑は多いし、庭はあるし、家は大きいし。でも露地はないし、居酒屋はないし、図書館も郵便局も遠いし、自分が住む気にはならない。居酒屋のない街には住めない。すいません。帰りに高速が事故渋滞し、大月敏雄さんとおしゃべり。彼が大学院生のころ同潤会アパートを蚊取り線香をつけて調査していた時からの知り合いだ。集まって住むことの専門家だが、東北の被災地にベランダのついた長屋のような仮設住宅をつくって喜ばれた。いまは大槌町に通っているとか。性急な高台移転について感想を聞くと「あれは土木の発想で、都市計画ではないですね」と明確な答え。おお、そのとおりだ。東京駅に着く。正面は人でごった返し、まるで天安門広場のよう。

11月9日 天中殺、最後はアワビ付き

2012年11月21日 水曜日

朝。クロワッサン誌が『千駄木の漱石』のインタビューにきてくださった。その後、歯科にいくも予約取れていないことが判明。ぐったりして動坂食堂に飛び込み、自らを慰めるため天丼を頼む。「ぱりぱりの穴子、ぷりぷりのエビ、しゃきっとした小松菜のみそ汁、調度いい塩加減の白菜の漬け物」に気を取り直し、午前中からビール片手に新聞を読むおじちゃんに癒される。あらまほしき人生。しかしこの日、どうも調子が出ず、約束を申し訳ないが日延べ。そこに石巻から魚が届き、結局家族で金目鯛の煮付けとホタテの刺身、アワビのバタ焼きを食べるという超贅沢な一日になってしまった。北上のジュリー横山宗一さま、ありがとうございます。横山さんの追分温泉は大人気旅館を震災後その日のうちに避難所にしてしまった稀有な例として感謝されています。石巻へ支援に行かれる方などはぜひご利用ください。
避難所となった人気温泉 石巻市北上町追分温泉にて[映像 谷根千]
【宮城】峠の湯 追分温泉 – 旅館復興サポータ制度『種』

11月8日 仙台

2012年11月21日 水曜日

石巻河北新報の写真のコンクールの審査。去年よりずっといい。復興を題材としているか? 記録性があるか? ということが気になる。ちょっとした日常を写したものの方がきっと後では分からなくなる。よくあるイベント写真も多いが。
帰り、結城登美雄さんに電話してみた。すぐ出てきてくれてホテルじゃなく露地の居酒屋で飲もうと角を曲がったとたん結城さんの目がウィンドウに釘付けに。この凧、あいつのじゃないかなあ。しかもそのオフィズは私の旧友、芸大時代に一緒にいろんなことをした横山芳一さんの設計事務所だったのだ。結局、二階にいた横山さんを誘い、なつかしやという横町の店でいろんな話で盛り上がり、帰るのは最終ののぞみ。

11月7日 石巻

2012年11月21日 水曜日

今回はみんな忙しそうだし、仙台日帰りにしようかと思ったが、熊谷さんに「くるんでしょ」と念押しされてしまったので朝の新幹線で。松島の駅で大内さんが待っていてくれた。米農家の大内さんは移転や年を取って耕作しない農家が増えたためなんと20町歩も作付けしたそうだ。「無農薬のひとめぼれが今年はうまくいった。おいしいです。そのうち5町歩は塩害でだめでした。塩害処理した水に塩が入っていた。宮城県は漁業の復興ばかり言って農業は見捨てられている気がする」
沿岸部はコンクリートの礎石も見えなくなり、草原、荒れ地に戻っている「ここにも町並みがあったんだよ」と言われてもわからない。元気を出して先に自費で再建した人が行政の建築規制に怒っている「今頃そんなことを言われたって」。沿岸でもお金のある人は仙台や盛岡に移ったとか。そのために都市部の地価はあがっているとも聞いた。

11月6日 ジュリーと都知事選

2012年11月21日 水曜日

1日家で仕事。ジュリーの動画を見てばかりいて仕事すすまず。若いころほんとうにきれいだな。
http://www.youtube.com/watch?v=dUUbO3zCdbQ&feature=related

それにしても都知事選も湯浅誠さんに出てもらいたかったなあ。山崎が出ないと言う弁を送ってくれた。「現在の石原新党、橋下維新といった流れに何らかの違和感を抱いているとしても、同時に社会運動や市民活動にも違和感や拒否感を抱いている可能性は少なくない」よ、ホントに、というコメント付き。
http://yuasamakoto.blogspot.jp/2012/11/2012116.html

11月3日 ジュリー

2012年11月21日 水曜日

きょうは小学校の友だちのミッキーが奥さんと准ミスインターナショナルの美しい方と、ジュリーのコンサートに行くけど、と誘ってくれたので東京フォーラムへ。かつてのジュリーファンも私と同世代で開演前はトイレに長い列。「おしっこちびる年になっても恋はするもんだよね」いいねえ。たしかにはじまると一列目が立ち上がり、だから二列目も立ち上がりだから三列目も立ち上がる他なく、四列目も立ち上がらないと見えないし、とドミノ立ち。シートを買ったのでなく、立ち見席か。
帰り、動坂の鳥清で焼き鳥とフグを食べて昔話。お客さんもいなくなったので、ヤッちゃんがサクソフォーンを吹いてくれた。昔の友だちはいい。おたがい今の白髪や贅肉のむこうに子どものころの面影が重なる。仕草や声はちっとも変わっていない。ジュリーもそうだ。昔を重ねられることの、時代を思い出すことのなつかしさ、すばらしさ。でもそうだけはいっていられない。ジュリーも「我が窮状」「恨まないよ」「FAPP」を歌って時代に流されないで生きている。どれも体にはいってくる歌でつい口ずさむ。

我が窮状 Julie – YouTube