2012年1月 のアーカイブ

震災日録 1月15日 どんどやき

2012年1月26日 木曜日

小正月。おんな正月とも言う。前日、こどもたちはわら靴に藁の合羽をきて「あわんどり へんどり、天竺まで立ち上がれ」とうたって歩いた。粟食べる鳥、稗食べる鳥、どこかへいってしまえ、という歌。森鴎外の『山椒大夫』でも老いた母が佐渡で雀をおっているシーンがある。「安寿恋しやほうやれほ、厨子王恋しやほうやれほ」
藁束を高く積み、そこに去年のお守りや習字をつけて焼く。そこでほしいかを焼き、甘酒もふるまわれた。お昼はすばらしくおいしいそばをいただいた。
かえってきたら放射線値の高いところでどんどやきをすると拡散に繋がるという誰かのブログを読みました。
夜、海の汚染をしらべたNHKを人のテレビで見る。ドキュメンタリーに定型的な「見つめています」でなく「最新報告です」というアナウンスがよかった。10時からは菅原文太さんが旅人で自由民権と東北のことをやっていた。いまの津波、そして原発立地も戊辰戦争の負け組、東北に対する過酷な処分に端を発している、という論点をよく聞く。
戊辰戦争の研究者としてはかなり当ってはいると思うけど。「白河以北一山百文」という差別に抗して河北新報はできた。そして福島では河野広中、三浦文治、刈宿仲衛などが自由民権の狼煙を上げ、憲法を構想した。タイムリーな企画だし、久しぶりに色川大吉さんに画面でお会いできた。中央の代弁者県令としての三島通庸に泊原発再稼働を許した一見かわいい経産官僚高橋晴美がかさなる。県知事は中央官僚の天下りであってはいけない。地元の声の代弁者であるべきだ。

震災日録 1月14日 越後妻有の林間学校

2012年1月26日 木曜日

新潟の妻有で開かれている冬の林間学校で町づくりの話をしてきた。石巻、福島、郡山、いわきからの親子も来ていた。うーむ、今までで一番難しいお話でした。福島の子どもたちはもう大人のいうことを信じていないのかもしれない。
いわきからきたお母さんは切なくてこわくて海辺には近寄れなかった、といっていました。中越地震で大変な被害を受けた松之山周辺の人たちがあたたかく迎えてくれました。こころづくしの野菜の粕漬け、そうめんカボチャの酢漬け、豆など体によさそうなお料理がとってもおいしかった。夏の妻有は何度も来ているが、3メートルも雪の積もった新潟もまた得難い体験でした。おおたか静流さんとごいっしょ。楽しい方でした。ファンを大事にされるのにも見習わねばなあと。夏のページステキです。
http://www.youtube.com/watch?v=lwmPvXEZNiY

震災日録 1月13日 あくまで敵を間違えないように!

2012年1月26日 木曜日

1954年に杉並婦人団体協議会の会合があった。奥むめお参議院義員の講演が終わる頃、1人の女性が立ち上がった。和田堀の鮮魚商菅原トミ子。「第五福竜丸のことでマグロに放射能が含まれているというので、魚が売れなくて困っています」と彼女は言った。そのあと「これは風評被害なので魚を買ってください」とは彼女は言わなかった。「私たち杉並魚商組合では原水爆実験禁止の署名に取り組んでいます。1人でも多くの方に署名していただきたいんです」これは『原水禁署名運動の誕生』(丸浜江里子著、凱風社)という本に書いてあるそうだ。これから読むつもり。トミ子さんは敵を間違えていない。
福島の人から「東京のための電力なのに」「私たちは東京のためにひどい目にあった」という発言を何度か聞いた。気持ちはワカル。でもそういわれると福島と東京の住民は連帯できなくなる。正しく「東京電力のための電気」といいましょうよ。地方にお話に行くと感ずることだが、東京の住民はみんな六本木ヒルズに住んで、毎日新宿で朝まで遊んでいるかのように思っている人もいる。谷根千に来てみてよ。けっこう狭いアパートでしょぼい暮らししてるから。敵を間違えないように。そうえなくても向うは分断を図ろうと思っているのだから。

震災日録 1月12日 野村かつ子

2012年1月26日 木曜日

野村かつ子のことを調べている。消費者運動家だが、1970年頃は原発反対をすでに訴えている。成分表示、単位価格表示などを持ち込み、ラルフ・ネーダーを日本によんだ人。ネーダーは市民を「パブリック・シチズン=政治や環境に興味を持ち自ら社会をよくすることに関わる人」と「プライベートシティズン=自分と家族さえ幸せならいいと考える人」に分けている。震災と原発事故以来、この分離がかなりひどいことになっていると思う。
野村かつ子は戦前から京都で生協運動の走りに参加し、戦後は戦争未亡人の職業安定のため機械編みを普及したり、内職の買いたたきをふせぐ内職大会を開いたり、総評のオルグで三井三池の主婦会を組織に行ったりとすばらしい活動家。そして最後までまったく偉そうにならなかった人だ。私はこの人を何度か見ている。ドタグツでリュックを背負って1人でやって来た。「女は男みたいに勲章もらって喜ぶような馬鹿はいないからいいよ」と福田英子はいったが、あんな感じだった。でも加藤シズエも奥むめおも勲章もらって、奥なんて誰がしたんだか、ホームページに勲章を陳列している。女も男なみになったというべきか。4月からNHKラジオで「女性の品格」に対抗?して、「おんなのきっぷ」というお話をします。男社会で成り上がった人でなく、困った人を見捨てなかった人を取りあげたいと思います。

震災日録 1月11日 グローバルな価値観とは

2012年1月26日 木曜日

仲俣暁生さんが『再起動せよと雑誌はいう』という本をだされた。これについてツイッターで「実は連載時にとりあげて本に収録しなかった唯一の雑誌が『谷根千』だったのです。あの偉業がいかにしてなし得たのか、またその終了はなにを意味するのか、うまく言葉にできませんでした」と書いておられる。まずその連載というのを読んでみたい。自分でも考えて見たい。やめる理由には公にできないこともあったのだが。雑誌は終巻すると研究対象になる、と七痴庵こと田村治芳さんが言ってくれたのを思い出す。
仲俣の発言は「かわぞえあゆむ」さんというかたの「『再起動の足場』としての地域雑誌、ですぐ念頭に上がったのは『谷根千』なのですが、終わってしまって久しいですねえ。とはいえ『谷根千』では世界規模という意味でのグローバルな価値は持ち得なかったかな?」というツイートに応えたものらしい。この最後の文の意味は不明。グローバルな価値って何ですか? 私の世界観は1992年の『抱きしめる、東京』の後記に書いてある。哲学とは私の考えでは「どうして生きていくか、暮らしていくか」であって、3.11が起ころうと、自分の世界観を替えなくてすんでいるのはうれしいことだった。

震災日録 1月10日 ごったがえす内覧会?

2012年1月26日 木曜日

思い出したこと。1月6日に東京国立博物館の故宮の内覧会があった。金曜日の6時からというので、まず西洋美術館のゴヤ展を観に行った。金曜は何年か前から夜遅くまで開いている。5時頃は「着衣のマハ」の前でも空いていた。「猫の喧嘩」という絵がおもしろかった。それから東博にいくと長蛇の列。マイクもなく肉声で、この辺は2時間待ちです。今日は見られないかも知れません、などと言っている。受付した人は休日に見られるようにするとかいっているが、受付までが並ぶ。すぐあきらめて帰った。
内覧会というのは美術評論家や関係者が見るものではないのか?
上野まで「ご足労」して帰る人の気持ちを考えないのか。朝日とか大新聞が後援して招待状をばらまいたのだろうか。この商業主義。もう内覧会にはいかないようにしよう。
そのまま根津に降りて『谷根千亭』の寄席へ。きつつきさんがオウムの平田容疑者のことを枕にしていた。せっかく大物のつもりで警察に行ったのに、帰んなさい、といわれたらプライドが傷ついたと思いますよ、でみんな爆笑。さっきの東博で私も「混む前に内覧会で見ようっと」といった優越感もあったんだろうな。でも17年逃げていのに15万とか持ってたんでしょ、なにしてたんだ、にまた爆笑。こっちの方が楽しいな。

震災日録 1月9日 原発文化人の定義

2012年1月12日 木曜日

あるエッセイ集を読んだらその初出が電力会社のPR紙だというので、「これも原発文化人か」と書いている方があった。とんでもない高い原稿料をもらっているならともかく、そこまで言うときりがない。原発文化人は高いCM料や対談料をもらって原発賛成とか原発はすばらしい、とかいった人にかぎりたい。リクルート事件の時にリクルート系の雑誌に書いたライターをひとくくりにリクルート文化人と批判した記事があってイヤーな気がした。そうするとJALやJRが大事故をおこしたら機内誌、車両誌に書いた人はJAL文化人、JR文化人とか叩かれるのか? 巨悪はほかにいるんだから。
しかしバブルのときはとんでもない高い原稿料がでたらしい。知っている研究者が企業PR誌に10枚くらい書いて、いくらほしいか、といわれたので3万円でいい、といったら1枚につき3万円振り込んできたという話をきく。何かが狂っていたのだ。

震災日録 1月8日 機械ができて仕事はなくなる。

2012年1月12日 木曜日

教え子からメールで呼ばれるのは悪くはない。でもみんな卒業以来、失職したり転職したり、苦戦を余儀なくされている。
大工業制の発展によって機械が普及すれば、必要な生産物が短い時間でできる。共産主義になると自由時間が増えて、釣をしたり、詩をつくったり、ケーキを焼いたり、哲学を考えたりして人間性がかぎりなく発展するとマルクスはいっていた。しかし現実の社会主義では少数のエリートが赤い官僚としていい暮らしをし、それに疑問を持つひとを「人民の敵」として粛清してしまうことがわかった(私が一番いやだよ~んな言葉がこの粛清)。そして資本主義のなかでは機械が働いた分のコスト低下は株主と正社員のもうけになってしまった。そして若者は職にあぶれ、つごうのいい使い捨て労働力にさせられ、労働組合は闘わず、正社員以外の権利を守ろうとしない。
「地下鉄の切符切り」というシャンソンがあった。いつも暗くて空気の悪い中で働く歌の「切符切り、切符切りーー」というリフレイン。自動改札になった時、とまどいながら、地下でのつらい切符切り労働がなくなってよかったね、と考える自分がいた。しかし駐車場でも、高速道路でも、自動販売機でも電話交換手でも機械ですむところは機械になって、その代わり仕事がなくなってしまった。しかもそこに外国人労働者がはいってくる。ボタンの掛け違ったどこかからやり直してみるしかないのかな。正社員をふたりで分けっこしたらどうか。避難所でおにぎり分けっこしたように。とにかく就職するなら大企業より、人間を大切にする、社会に貢献している小さな企業をさがして入り、経営陣に参加するつもりで一生懸命働くことを若い人には勧めたい。

震災日録 1月7日 核のゴミの責任

2012年1月12日 木曜日

尊敬する地質学者が「原発をいまとめたところで核廃棄物の処理にはみんなが責任を持たなくてはならない」といったのでショック。そうだとしてもいまとめた方がいいと思う。廃棄物をこれ以上増やさないように。それに核廃棄物の処理は生産した電力会社が生産責任をとるべきで、もともと成算もないのに生産したわけで、そのツケを消費者に押しつけることはない。また核のゴミをどこかへ持っていけという声もあるが、原発に賛成してしまった以上、自治体にも賛成した住民にも生産地にゴミを置いておく責任はあるのだと思う。福島第一のゴミは東京電力が回収して福一に置いておくしかない。その方は地震にも原発震災にも科学者として責任はあると仰ったつもりなのだろうが。「東電ばかりを責めるのは酷」とか「電気を使っている我々にも責任がある」といったまやかしの世論誘導にはのらないことにしよう。

震災日録 1月6日 金もらうのがうまいNPO

2012年1月12日 木曜日

町づくりを顕彰する審査会で、大企業からも省庁からもたくさん補助金をもらっているNPOがあった。私は「これはNPO(非営利)じゃないだろ!」と思ったのだが、男性審査員のなかには「これくらいやらないとビジネスモデルにならない」と擁護する声もあり。
町づくりがビジネスモデルにならなくてもいいんじゃないの?「いい活動だがこれでは妻子が養えない」といういわれ方もある。その人が考える「妻子が養える月給」ってどれくらいだろう。エリートの公務員や大企業社員、大学教授などの価値観を持ちこまないでほしい。
いつも同じような申請書をあちこちに出している団体もある。結局、ほんとうにいいことをしているのに金のないところもあり、鳴り物入りだがやっていることといったら派手なイベントばかりで金には不自由しないところもあり。私は「できるだけ純真なよちよちあるきのところに出したい」というのだが、これまた実際に行ってみると「よちよち歩き」に見せかけるテクに長けたところだったりして。自分の目のなさに忸怩たる思い。今日は歯を治し、ゴヤ展と故宮のオープニングに行って谷根千亭に滑り込み。
権力者を笑うのはいいが、曽我ひとみさんをネタにしてはいけません。被害者なんだから。それぞれの個性で初笑いを楽しんだ。