震災日録 1月8日 機械ができて仕事はなくなる。

教え子からメールで呼ばれるのは悪くはない。でもみんな卒業以来、失職したり転職したり、苦戦を余儀なくされている。
大工業制の発展によって機械が普及すれば、必要な生産物が短い時間でできる。共産主義になると自由時間が増えて、釣をしたり、詩をつくったり、ケーキを焼いたり、哲学を考えたりして人間性がかぎりなく発展するとマルクスはいっていた。しかし現実の社会主義では少数のエリートが赤い官僚としていい暮らしをし、それに疑問を持つひとを「人民の敵」として粛清してしまうことがわかった(私が一番いやだよ~んな言葉がこの粛清)。そして資本主義のなかでは機械が働いた分のコスト低下は株主と正社員のもうけになってしまった。そして若者は職にあぶれ、つごうのいい使い捨て労働力にさせられ、労働組合は闘わず、正社員以外の権利を守ろうとしない。
「地下鉄の切符切り」というシャンソンがあった。いつも暗くて空気の悪い中で働く歌の「切符切り、切符切りーー」というリフレイン。自動改札になった時、とまどいながら、地下でのつらい切符切り労働がなくなってよかったね、と考える自分がいた。しかし駐車場でも、高速道路でも、自動販売機でも電話交換手でも機械ですむところは機械になって、その代わり仕事がなくなってしまった。しかもそこに外国人労働者がはいってくる。ボタンの掛け違ったどこかからやり直してみるしかないのかな。正社員をふたりで分けっこしたらどうか。避難所でおにぎり分けっこしたように。とにかく就職するなら大企業より、人間を大切にする、社会に貢献している小さな企業をさがして入り、経営陣に参加するつもりで一生懸命働くことを若い人には勧めたい。