2011年9月 のアーカイブ

震災日録 9月20日 生活する店

2011年9月26日 月曜日

上野の美術館に用があっていって、雨の中自転車で帰ってきた。どんどん飲食店とギャラリーが増えている。つまり観光客のための店が増えている。ボタンや、おもちゃや、毛糸や、自転車や、炭や、米や、銭湯、住むための暮らすための店はどんどんなくなっていく。もう町が自分の町ではなくなりつつあるのに気づく。そう考えながら靴下の穴をつくろった。アーサー・ビナードさんのラジオでの発言が面白い。
鉢呂大臣辞任について。「死の灰がふった町を死の町というのは気持ちいい表現ではないが間違ってはいない」「使用済み核燃料というのは不正確でこれから核兵器をつくる原料、これからだぞ、死の灰、である」「放射能うつしてやるというというの誰が見たんだ! そんなマゴ引きのひ孫引きのヤシャゴ引きで大臣が辞任する何てあり得る?」
http://www.youtube.com/watch?v=gkEzjq3×2og&feature=related
さすが詩人。前に商店街について対談した時にアーサーさんに八っ場ダムについて話したら、私が司会する東京大学でのシンポジウムに来てくれた。それからもずっとこのダムについて発言してくれている。
「なぜこのタイミングなのか。狙っていたに違いない。震災と原発事故のどさくさまぎれでつくっちゃおう。グッドタイミング。原発がだめなら水力とか。マエハラはなにも言う資格がないが、言っていることは間違ってない。こんな大昔の、利権をめぐって計画した不必要な有害で時代遅れなダムなのに。検証とは永田町では『アリバイつくりの茶番劇』のことを言うらしい。建設ありきの評価報告案を間違った想定に基づいてやっている」
まっとうな意見だと思う。みなさん、東電だけでなく国土交通省も監視してください。ほとんど同じ体質、おなじやりかただから。

震災日録 9月17−19日 海を眺めて

2011年9月26日 月曜日

編集者の友人たちと千葉の家へ。太平洋を見下ろす崖の上で風に吹かれて宴会。なんだか話さなくても満足な感じ。草むしりをしにきたみたいであったが。仕事ははかどる。竹富島で聞いた話を起こしていると、矢も盾もなくいますぐ竹富に行きたくなる。
夕方になったら海にいって、泳いだり、魚を捕まえたりして、台風が来たら家でヤギをつぶしてみんなで泡盛を飲んで、歌ったり踊ったりして。想像を絶する苦難の暮らしはあったはずだが、いまは適度にスローないいしまだ。

震災日録 9月16日 丸森の農作物を売る。

2011年9月26日 月曜日

宮城県応援フェアを上野駅でするといったのですが行ってみると半分は丸森産品。蜂蜜やタケノコの水煮。桃、なし、イチジクがよく売れる。広い改札から出てくる出て来る、その人たちを受け止めて「宮城の復興にお力をお貸しくださーい」「宮城の野菜を買って被災地を応援しましょう」と言ってみたり、「らっしゃいらしゃい!」「今朝取り立てのネギ一本60円!」と言ってみたり。後者の方が気分がいいし、売れるみたいだった。「大変だったわねえ」「応援してるわよ」という人もあり。放射性物質に触れた人一人。そのときはNDの話しをする。ところでNDとはなにか?だれかno data だなんて言ってたがこれはまちがい。non delivery(不着)。お米も検査済、ND.
夕方、谷中コミュニティセンターでこれを建てる時にかかわった建築家永橋さんに話を聞く。使う人の思いを形にするのが設計者。本当だと思う。

震災日録  9月14日 神宮寺の高橋和尚

2011年9月26日 月曜日

書き残したこと。松本神宮寺の高橋卓史和尚が「記憶の蔵」へ遊びに来た。
「チェルノブイリ救援で40回近くいった。飯館村は215万ベクレルでチェルノブイリの避難区域の4倍でていた。福島は子どもの集団避難をさせたほうがいいと思う。
3月14日に南相馬に入って鎌田医師とともに病院を開いた。伝手がないとか何とか言っていないで、どんどん入っていって伝手は作るものだ。
坊さんが傾聴ボランティアとか言っているが、坊さんほど人の話を聞かないのはいないからな。
3月下旬に檀家や知り合いの協力で石巻の入釜谷に2メーター4メーターの大きな風呂を作った。そこに小さな診療所も作って時々行っている。
僕らは『気分はどうですか、大丈夫ですか』と聞くけど、元長崎大学の山下氏たちの調査は『そのときどこにいましたか、何歳ですか、爆発の時はどんなところにいましたか』といった疫学調査だ。つまり患者のためでなく研究者の業績のため被検者にしているということではないかな。南相馬も疫学調査の草狩り場になっている。(山下氏は福島医大副学長の就任挨拶でこれからは福島医大が被曝研究の先端になると言ったとか)」

*黒沢明「生き物の記録」1955
同じ日、夜、蔵で黒澤明「生き物の記録」を見る。品川辺りの鋳物工場、中島喜一(35歳の三船敏郎が腰の曲がった70歳を怪演)という社長はビキニ水爆実験に恐怖を抱き、一家を上げてブラジルに移住すると宣言する。「死ぬのは構わんが殺されるのはいやだ」
妾とその子を含めて14人もいる家族は反対、「工場の中で生まれてこれでじゅうぶん幸せなんです」、喜一を禁治産者にする申し立てを家裁に行う。調停員の歯科医原田(志村喬かっこいい。30年ころの歯医者の治療室も懐かしい)は自分の出した調停に疑問を持つが、中島工場は焼け、火をつけたと言う喜一は精神病院に送られる。
原田が見舞いにいくと、他の宇宙に脱出したと思っている喜一は太陽を見て「地球が燃えている」と叫ぶ。
公開時、全く不入りだったと言うが、いま切実な環境で見るとすごい!!!
「死ぬのは構わんが殺されるのはいやだ」そう叫びたい。「余裕があるからブラジルへ行けるんでしょう、ここでじゅうぶん幸せなんです、私ら工員の生活はどうなるのか」
みんなどこかで聞いたようなセリフ。なんという先見性。
ほかに中村伸郎、千秋実、左ト全、東野英次郎等オールスターキャスト。

*亀井文夫「世界は恐怖する––死の灰の正体」1957
「上海」「流血の記録砂川」「戦ふ兵隊」「小林一茶」の監督亀井文夫がビキニ水爆実験後の世界は原子力でどう変わるのか、ネズミへの実験、遺伝子への影響、死の灰がふってどんな計測値が出たか、さまざまな研究者と協力して作った映像。
原爆後に生まれた赤ん坊のホルマリン漬け、ネズミにストロンチウムを投与する映像のすぐあとに赤ん坊に授乳するシーンを繋ぐなど、衝撃的モンタージュ。ビキニ水爆時はまだゲンパツはなく、日本は被害国だった。いまは原発推進勢力も多くいる加害国であるとはいえ、このような映画を作る主体はどこにいるのか。タイトルロールにはこのときは東京大学教授の名が協力者に並んでいる。原子力ムラが形成される前。そしてビキニ水爆実験の時は、わが親たちだっていまよりもっと子どもへの放射能の影響に敏感だったと思う。

震災日録 9月15日 宮城県産直フェア 上野駅にて

2011年9月15日 木曜日

なつかしい丸森でお世話になった八島哲郎さんからメールです。

「さて、今週上野駅で開催される、宮城産直市に出店します。
JR東日本グループ主催の「地域再発見プロジェクト」の一環です。

日時 9月15日木曜日~17日土曜日
   午前11時~午後8時 最終日のみ午後5時まで
場所 上野駅中央改札前 グランドコンコース
   中央改札の真っ正面です。

宮城の観光や物産を宣伝してきます。
新鮮野菜、桃、梨、リンゴ等の果物、社会福祉法人はらから福祉会のかりんとう、牛タンカレー、油麩丼。
マルコー食品の米麺、う米米(うまいまい)麺等等、石塚養蜂園の純粋はちみつや蔵王のハーブも売れ行き絶好調間違いないでしょう。
うちのたけのこカレーやたけのこごはんの素も売れるといいなぁ。
とにかく、宮城県の物産を胸を張って販売してきます」

丸森町は独自に東北大学に依頼して農作物の放射線値を計り、ホームページで公表しています。ND(不検出)か世界で一番厳しいウクライナ値に照らしてもごく微量です。
http://www.town.marumori.miyagi.jp/notice/shinsai/genpatsu-index.htm
町議会で高価な放射能測定器を買うことも決めました。

八島さんからまたまたメール「ブログも拝見しました。私も同感です。まずは実測、そしてウクライナ基準を持って販売が消費者と生産者の双方に良いと思います」

今回はJRのイベントのため、表記はできないそうですが、気になる方は、放射線量についてははっきり聞けば、各農作物についてちゃんと答えるそうです。
まあカタログハウスの店にいく客と上野駅を通る客ではタイプが違うだろうから、「ヨウ素・セシウム不検出」などと大書したらかえってひいてしまうかもなあ。
被災地の農家が生きていけるように、やる気をなくさないように、応援というか一緒にたたかっていきたいです。上野駅を通る方はのぞいてくれれば嬉しいです。

震災日録 9月14日 さよならマクブールさん。

2011年9月15日 木曜日

びっくり。東京電力8月分の請求が5316円、9月分は6114円。去年の半分だ。
夏の2ヶ月は軽く1万円越えていた。クーラーは寝る前の10分くらい、電気を消す、これでこんなに違うのか。反省。基本アンペアを60から40に落としたこともあるだろう。これでも高いとヤマサキなどはいうだろう。
鉢呂大臣の項で「マスゴミ」などと書いたのは不適切でした。真実を追究するために日夜走り回っているジャーナリストと区別するために使ったつもりですが。そういう記者もたくさん知っています。そうでない記者もたくさん見てきました。それにしても相撲の改革のための委員を引受けていた時、警察が入ることを当の親方に事前に通報したNHKの記者がいました。これではジャーナリストではなく全く取材対象のスパイみたいなものです。
それはともかく、いわきで炊き出しをご一緒した料理人のマクブールさんがバングラディッシュに帰国しました。ご本人は日本で仕事を続けたかったようですが、就職難で、本国には小さなお子さんもいるということで、まあよかったかな。
いわき市の避難所で出す100食を越える温かい食事を、2週間以上もほとんどひとりで作りつづけてくださったマクブールさんのことを考えると申し訳なくも思うのですが。ご多幸を祈ります。歓送会をもよおし、本駒込の池本さんが音頭をとって数万円のカンパをお渡しすることができました。

震災日録 9月13日 ふたたび食品問題について

2011年9月13日 火曜日

武田邦彦中部大教授のあおり方は物すごい。テレビで「東北の野菜や牛乳は健康を害するので捨ててもらいたい」。一関市を引き合いに出して「畑には青酸カリが撒かれたようなもの」などと発言。これに反論した勝部一関市長に抗議の集中メールが殺到。その内容は公表されていないのでわからない。
わが第二のふるさと丸森町は1万5000人の町でもちゃんと町のホームページに農作物や水、大気の放射線量を載せている。これに対し、11万人の都市なのに、一関市は市独自では測定していないらしく、ホームページも見にくい。
しかしこれをめぐる2チャンネルのかきこみはすさまじい。でもここにもある民衆意識が見られるのである。主な反応。

安全と言いきるほうがよっぽど怖い*本当のことを言って何が悪い*東北とくくるのはおかしい、静岡まで全滅と言うならわかる*被災地による正論たたきである*本当のこと言っただけじゃないか*市長の気持ちはわかるが事実だから*東日本は農業、漁業、畜産やめてすべて賠償してもらったほうがいい*静岡と岩手じゃ変わらないんじゃない?*同情論で農家を擁護しているやつは自分の子供に東北産を食わせてみろ*農家の感情は国民の健康より優先されるのか*静岡の茶が飲めないのなら関東だって危ない。

ほとんどは非科学的、冷静でないあやふやなものの見方のように思われる。
テレビに出続けで過激な物言いをする武田邦彦氏にも批判は多い。

産地で判断しない、それぞれの野菜を測定して安全な物だけを売ること。
危ない野菜を買いたたいて安く市場に流し、それを使った料理を出す外食産業もないとは言えないから、外食にも注意、信頼できる店で食べよう。

きのうのカタログハウス福島産野菜応援売り場の北沢さんに電話でもう一度いくつかの質問をしてみました。(文責・森)
――なんで桃にセシウムが出やすいのですか?
それはわかりません。出ない桃ももちろんあります。いろんな説があります。梅や桃は産毛にたまるという説もありますが、定かではありません。
――プルトニウム、ストロンチウムなどの核種は測らないのですか?
いまはヨウ素、セシウムに種類だけです。ヨウ素は半減期が8日なのでさすがにいまは出ません。ストロンチウムを測るには何千万もする機械が必要なようです。プルトニウムは重いので遠方や時間がたってからは心配ないと言う専門家の意見を聞きました。
――生産者別にわけてから生産地ごとに測るのはなぜですか?
生産地ごとの生産者は数が少ないですし、隣接した畑なので生産地ごとに一品目ひとつずつ抜き取りで測ります。それだけでも大変な手間で現地と手分けしています。
――海産物はどうでしょうか?
どこでとれたのがどこで上がるかなど農作物より難しい問題はありますが、前から乾物として取り引きのある三陸のワカメや昆布は取り寄せて測っています。今のところセシウムは出ません。
――こういう取り組みをもっと広げて行くことはできないでしょうか?
いまはモデルケースですので、軌道に乗れば広げて行くこともできます。農協などが視察に見え始めています。ノウハウは独占しようとは思いませんし、いくらでも提供します。とにかく現実を直視して消費者の方々に正確な情報を提供したいと思っています。

災害日録 9月12日 鉢呂退任

2011年9月13日 火曜日

毎日ブログを書くのにこんなに時間を使っていていいのだろうか?
今年はまだ1冊しか本が出ない。文庫は3冊でて、いま4冊目が進行中。それでどうにか暮らしている。そうだ、作品としては映像で見る谷根千にアップした小さな映像作品を10個ぐらい作りました。
毎日考えることがいろいろある。原田病患者としてはせっかく適度な明るさになった地下鉄やオフィスが電力制限解除でまたまぶしくなるのではと憂うつ。電燈をつけるのではなくエレベーターの方を先に動かしてほしい。うちのアパートのエントランスにしてもあんなぴかぴかさせる必要があるのか。今年、クーラーも図書館や三田線は効いてない。かと思うと寒すぎるほど効いている喫茶店やタクシーもある。運転手さんにきくと「私はこんなに寒いのはつらいけど暑い外から入ってくるお客さんは気持ちいいというんです」「日陰むきはいいけど、太陽に向って走るときはボンネットの中は地獄みたいにあつい。お尻の下はびっしょりです」
わたしは夜、外に出るときも遮光レンズのサングラスをかけるようになった。なんだかヘッドライトがまぶしくて、というと運転手さん、「そうなんです。LED電燈にすると青白いつよい光りが眼を射るんです」という。LEDは長持ちして電力をくわないというのでもてはやされているが、電磁波の問題、眼に対する影響は調べられているのだろうか。そのうち日本人はみんな白内障や緑内障にならないか。

鉢呂大臣の話、ますますマスゴミがはめた話らしくなってきた。
http://news.livedoor.com/article/detail/5852621

無念の経産相、辞任  河野太郎ブログより。
http://www.taro.org/2011/09/post-1083.php

「死の町」発言は正確にはこのとおり。
http://www.asahi.com/politics/update/0909/TKY201109090380.html
これで辞任する必要はあるのか? 死の町にした東電幹部も辞めないのに?

福島瑞穂さんのツイートに寄れば
@mizuhofukushima: 経済産業省の審議会は、今まで原発について賛成の人が圧倒的に多かったが、鉢呂さんは原発を危険と考える人を半数は入れろとつい最近、指示をだしたばかり。

記者クラブの記者の品のなさはこの通り。
http://t.co/NAAZkEI

震災日録 9月11日  おいしくて安全な野菜を食べてなおかつ福島を応援するためには

2011年9月13日 火曜日

ニューヨークの9・11テロ事件の日。
きょうは日比谷公園からデモ。そして経済産業省を人の輪が包囲した。原発推進政策をやめろ、ということである。帰って朝刊を取ると鉢呂原発担当大臣辞任。
この人は「将来、日本の原発をゼロにする」と云った民主党では数少ない脱原発派。いくらおばかな大臣でも「放射能をくっつけてやる」なんていうかなあ。なにか原子力村の力が深部で動いている感じ。ヤマサキからもメール来た。
「軽率だとは思うけど、雑誌ではいくらでも活字になっている『死の町』だと発言したからと大騒ぎしてやめさせるのは、やめさせたほうが都合のいい人の扇動ではないか。現実やニュースを追いかけていないわたしには、言う資格無しと思うけど、そんなことでは言えることは皆無になるね」
『死の町』は許されず『天罰』は許されるのだろうか。
<民衆をヒステリーだといいし人 お里が知れる天罰だもの>

もう一つ、この間食物について悩んでいることにひとつの光明を見る思いであった。
デモ解散後、私は新橋駅前カタログハウスの店にいった。ここでは安全な福島の野菜を売っていると聞いた。震災前から福島の研究熱心な農家と米を中心に取り引きがあった。どうにか被災地を応援できないかと考え、福島の集荷センタージェイラップでも出荷野菜のセシウム含有量を生産地単位で抜き取りで測る、生産地が多いために測定できなかったものは新橋の店頭で測るということで8月26日から「安全な福島の野菜」を売り出した。
そしてここが凄い。その規制値には日本政府の例えば1キロあたり500ベクレルと言ったおおざっぱな暫定規制値でなく、世界で一番厳しいウクライナ規制値を適用する。たとえば野菜はウクライナ値では40ベクレル、果物は出やすいため70ベクレル、主食のパンは20ベクレル、卵は6ベクレル、飲料水は2ベクレル。店の方
「さいわいひとつも規制値を越える作物は入って来ていません。桃は35ベクレルでていますが規制値以下。知ってお客さまに判断して買っていただければいい。この規制値ですとふつうに食べ合わせても内部被曝は年間1ミリシーベルトにおさまります」
この測定機械はいくらですか?「350万円で買いました」。応用光研工業製の「微量放射能測定装置」である。しごと帰りに野菜を買いにくるリピーターも増えた。
こうすれば私たちは安心して福島の農家を、食べることで応援できる。
本郷で無農薬野菜や自然食品を長く普及して来た「大きなかぶ」の前主人にデモで会ったが「産地じゃない。同じ県でも地域によって値が違う。生産者によっても違う。とにかく徹底的に測ることです。測定器が高ければ行政に買わせることです」という。
生産者の方たちもしっかり測って、はっきり表示して、胸を張って出荷してほしいと思います。セシウムの話を避けては通れません。消費者もなんとなくではなく、しっかり表示を見てしっかり判断ししっかり応援しましょう。
(カタログハウスのお店は港区新橋1ー11-7-新橋センタープレイス 10時から19時まで 水曜休)内幸町から新橋ガードを越えてすぐ左側。お買い物が楽しくて紅花の口紅など買ってしまいました)
http://www.cataloghouse.co.jp/shop/tokyo/

震災日録 9月10日 谷中の防災コミュニティセンターは地区住民みんなのものである

2011年9月13日 火曜日

新米はおいしい。いい匂い。このお米、誰が作ってくれたんだろう。
野菜を食べてもいつも誰が作ったんだろう、と考えながらいただく。こどもの頃「いただきます」と箸を持って一礼したのは、このことだったんだな。
夜、谷中コミュニティセンターの建築について、ワークショップあり。
しかしまだ「谷中のコミュニティセンターのことなのに文京区民が意見を言うのはおかしい」という人もいる。これに反論したい。

1、今回の震災を見てもその場にいた他地区の人が避難するのは当たり前。区界にあるコミセンには文京区、荒川区、北区、そして谷中への通勤者、通学者、観光客なども一時避難することが考えられる。

2、それについて23区では緊急時の避難は相互に受け入れるよう協定がすでにある。台東区の区民も行きやすければ(コミセンへの道が塞がれたりすることもある)根津小学校や千駄木小学校でも受け入れます。

3、防災コミセンは初音の森防災広場とおなじく、国、都の補助金が使われ、すなわち
国税、都税をはらっているすべての市民は発言する権利がある。

ちなみに白山在住の私の避難はまず小石川植物園が広域避難所、避難生活はわが母校誠之小学校で送ることになるらしい。そこには簡易トイレ、水、食糧、毛布などが備蓄されていると言う。ちゃんと覚えておかなくては。それぞれ確認しておいたほうがいいよ。