2011年1月 のアーカイブ

1月

2011年1月27日 木曜日

あけましておめでとうございます。
のんびりした正月、TSUTAYAで借りて映画を見ました。コンリーの「生きる」「きれいなおかあさん」、あとのほうがよかった。耳の聞こえない子を抱える母子家庭、別れた夫は養育費をよこさないし(おや、どっかで聞いたような話)、共感を持ってみました。でもどうして、あんなに教育ママなのかなあ。「真実の行方」は、遣り手の弁護士リチャード・ギアが正義の味方を演じようとするが、二重人格の殺人犯にまんまとやられてしまう話。エリートの恋人より事務所番の女性(ERに出てたひと)の方が魅力的なのになあ。「グッドナイトムーン」のジュリア・ロバーツの口ッてスイカが飲み込めるくらいだ。すごい。これも弁護士の男は離婚して若いカメラマンのジュリアと同居、二人の子どもはお母さんの家と行ったり来たり。その嫌みばかり云う、お母さんはガンになってしまい、ほんとうに男ッて勝手ね。だんだんお母さん役のスーザン・サランドンに感情移入して見てしまうのでした。
ほかにもいろいろみたよ~ん。

12月30日

2011年1月27日 木曜日

保全のためもあって、女三人で手に入れてしまった千葉の大原の家で年越し。薪ストーブに薪をくべながら太平洋の初日の出を見られるとはなんという幸せでしょう。別荘地ではないので集落の方達にご挨拶、ほとんど海女をして入らした方々だ。これから修復に時間と手間とお金がかかりそうです。

12月27日

2011年1月27日 木曜日

仙台で光りのページェントが今年は電球だか、配電盤が安いんだかして中国製のにしたら、うまくつかず、お流れになりそうだったのに、さすが日本の市役所、すぐに対応して今年も始まってしまったと、知人からメールあり。さぞ木も悲しんでいるでしょう。

12月26日

2011年1月27日 木曜日

アパートの上の階のユミコさんがセネガルから戻っていらしたので、旦那様のポールさんと3人で忘年会。ユミコさんは、前はジャイカのケニア駐在だったが、いまは国連職員でセネガルにいる。お話を聞いても想像できず。これもそのうち行ってみるしかないか。
ポールさんには塩辛とか佃煮とか日本の珍味をいろいろ持って行っておどかしてしまった。

12月25日

2011年1月27日 木曜日

東大バーで忘年会。みんな一品持ち寄りですが、とってもお料理上手。バーテンダーがチャンとしたカクテルもつくってくれるし、プレゼントも当たったし、楽しい夜になりました。はてなさん、トンブリンさんありがとう!

12月23日

2011年1月27日 木曜日

朝、両国国技館で稽古総見。力士たちの肌がだんだん桃色に染まっていく。桟敷席に初めて座ったのですが、到底膝の痛い渡しには耐えられません。行きの電車で話した職人のおじいさんが「相撲にはずいぶんつぎ込んだなあ。でもいまだにこうして稽古を観に来てしまうんだ」といっていた。ごっつあん体質で相当貢がされた人かも知れない。こういうけなげなファンを裏切ってほしくない。
蔵でアイスランド映画を見る会。アイスランドって、経済危機で銀行はつぶれ庶民の貯金はパーになるというような、昭和2年の日本みたいだったのね。当事者のおじさんが撮ったドキュメンタリー。でも日本ももうすぐそうなるかも。

12月20日

2011年1月27日 木曜日

漢方にくわしい津田先生をかこんで本郷で忘年会。医学書院の方々、亜紀書房、ポプラ社、大和書房の編集者もいらして、一年でずいぶん津田ファンが広がったものだ。お友達のトルコ研究者(文化人類学)の田村うららさんともお会いできて、トルコへ行きたくなってしまった。

12月16日

2011年1月27日 木曜日

谷中善光寺坂の得応軒の主人宮内盛雄さんがなくなられた。日本画の画材屋さんだったが、不忍池の地下駐車場計画反対の運動の中心で、いっしょに大気汚染の調査などをし、おだやかななかにもまったくぶれない考えの持ち主で、多くを教えられた。合掌。

12月12-15日

2011年1月27日 木曜日

西村幸夫東大教授のお誘いで富山空港から入り、白川郷世界遺産登録15周年の会。といっても集落の畳敷き公民館でのアットホームな会。あちこちに石油ストーブはあるが寒い。たしかに合掌作りの集落は夢のような眺めであった。宴会は5時から10時と長い。寒いのもあって、先に帰って孫九郎という民宿に泊まる。中はじゅうぶん近代化されていてウォッシュレットもついた洋式トイレもあった。小父さんの話を同宿のオーストリアの学生たちに通訳していたが、囲炉裏で目が痛くなり1時間ともたず。
翌日、こんどは五箇山に移動して、西村さん、町並み保存連盟の山本玲子さんと、これまた重文民家の囲炉裏端でシンポ。参加者はきっと寒かったであろう。この日は温泉泊。これまた宴会が長かったが、泊まる部屋が宴会場の並びだったので、ときどき15分ずつ仮眠しながら夜中すぎまでつきあう。
14日、わたしは飛騨古川にて町並み見学。ここまでで朴葉焼きを4回いただいたことに。飛騨高山を29年振りに訪れる。

12月10、11日

2011年1月27日 木曜日

この日まず興津に行き静岡県の山梨さんのみかん山でみかんをもぎ取る。これは一ヶ月したら送ってくれるそうな。西園寺公望のいた坐魚荘を見る。彼は幕末にはもう戊辰戦争の鎭撫総督かなんかして活躍、維新後、パリに留学、それから政界で大活躍、長生きして元勲、という人だけど、今まで伝記など読んだかぎりではまともな政治家だ。でも正式な結婚はしなかった。二人くらいお妾さんがいて子供もいたけど。ここの女中頭という人が力があったらしい。興津の人は西園寺は好きみたい。しかし長者荘を作って住んでいた井上馨のことはよくいう人がいない。勝手に土地をひろく買い占めてしまったとか。別荘の前に汽車を停めたとか。人の大事にしている骨董なども勝手に召し上げたという逸話も多い。
夜は徳川慶喜旧居後のホテル浮月荘ガーデンスクエアに。静岡駅前なのにすごく広い日本庭園があった。
翌日は午前中、清水の次郎長の生家を訪ねたり、山岡鉄舟ゆかりの鉄舟寺を訪ねたり。市民のネットワークづくりをしている清水ネットでお話した。たくさん谷根千も広めてくださったし、うれしかった。
行政によばれていっても、まず公務員は谷根千を普及するなんてことは頭にない。お金の出し入れはメンドクサイし、きて話してくれればそれでいい、という感じ。持って来てもいいですよ、とはいってくれても、まず並べておくだけ。11月に札幌でお会いした堀川さんにしても、清水の鍋倉さんにしても民間でこういうメディアを出すのがどんなに大変か知っておられ、ご自分でも率先して買い、少しでも広めようとしてくださる。