2012年10月 のアーカイブ

9月16日

2012年10月4日 木曜日

東片町は徽章の会社の一階が神酒所になっている。立派な神輿。うちは西片からも来てくれるから地元で担ぎ手は間にあうの、とのこと。しかも根津さまと白山神社両方の氏子なそうで、大変。白山前町の神酒所で「わたしはこちらの町会員かと思いますが」といったら「次からてつだってくれる? こっちに来て」といわれてついていったら「あら。やだ、谷根千の森さんでしょ」と言われ、急にひるんだ。町会は大事だとは思うんだけど、あいかわらずお歴歴が神酒所に陣取り、女性はエプロンを占めて料理の準備というのがなんとなく解せない感じがする。それが固有の文化と言われればそれまでだが。

9月15日

2012年10月4日 木曜日

きょうから白山神社と根津神社のおまつり。バリ島みたいに笛の音が町中に響いている。わっしょいわっしょいの神輿、どーん、どーん、かかかという出しの太鼓、なんだかそわそわして落ち着かない。この音を聞きながら仕事しているのって幸せ。
12時に国分寺、『ぶんぶんウィーク』で『チッタスローとしての谷根千』について話す。帰りに吉岡さんのカフェスローでおしゃべり、盟友ジョルダン・サンドさんも来てくれた。

9月14日

2012年10月4日 木曜日

今日も原稿の直しとエッセイなど書く。仕事がたまっているのに、竹富ボケですすまず。1時間やっては家の掃除、ガス台磨き、洗濯、ゴミ出しなどで集注力のないことおびただしい。夜はメバチマグロ、エビのガーリック焼き、なすの漬け物でワイン。
みすず書房から出た『長い道』を読む。宮崎かづえさんは家族にかわいがられた子であったが10歳のときに長島愛生園にはいった。通い続けてくれた母の事、足を切ろうか悩んだ事、家族が会いにきてくれない療友のこと、結婚の事、どれもせつない。「あの温かさがあったから生きてこれたんだよ」という療友の死を看取る文にわたしは泣いた。私は戦後、普及したプロミンでこの病は救われたのかと思っていたが、宮崎さんの場合、プロミンがあわないタイプだったようで、そんなこともあるのか、と驚いた。ギリシアを舞台にしたヒスロップ『封じられた島』もおもしろかった。

9月13日

2012年10月4日 木曜日

朝、丸森の中学生が修学旅行で丸森の産品を5カ所で売ると言うのでビデオを持って駆けつける。板橋の大山商店街、早稲田の大熊通り商店街、池袋の宮城のアンテナショップ、日本橋高島屋、交通会館のまち・むら館、どこもにぎわっていた。丸森出身者もたくさん来てくれたし。学校は宗教と商売を嫌うが、子どもたちが事前に学習し、土地の名産とその歴史、文化を理解して、震災以降、売れにくくなった土地の産品を売る事に協力しているのはとても勉強になると思う。給料でなく、売ってナンボの商売をしてみるのはいい経験だ。(放射線値の計測はかなり神経質にやっており、政府のきめた規制値よりずっと低い価しかでていない、と志白屋さん)。
かつて書いた原稿の直し。なすと豚肉でつゆを作ってひやそうめん。
南伸坊さんの『本人伝説』は爆笑だ。このところ、こんなに笑ったことはあっただろうか。伸坊さんがいろいろ変装するのだが、似ているのはダライラマ、鶴見俊輔、吉本隆明、アラーキー、伊集院静かな。女性になるのは難しくてオノヨーコは美川憲一みたいだった。そこにつけられているインタビューがまた本人そっくりで大笑い。やっぱりどんな大変な時代でも『人間は楽しむために生きているんだ』、アリガトウ!

9月12日

2012年10月4日 木曜日

お昼に足立さんが『帝都の事件を歩く――藤村操から2・26まで」を持って来てくれる。企画をあれこれするころが楽しくて、この本は中島岳志さんと矢作多聞さんと恵美ちゃんとみんなで町歩きをして楽しくて、恵美ちゃんのテープ起こしが大変で、それまた校閲や校正が大変で、やっと出来上がった本を前に気が遠くなるような感じだった。しみじみ、売れるといいですね、と言いあう。3時に『和楽』と言う雑誌の方たちが写真を取りに見えた。旅でずっと外食だと家の食事がうれしい。といっても6時すぎたからお酒を解禁にして、タコのぶつ切りやキュウリの酢の物や冷や奴でおさけをなめなめ、本を読んでばかり。亜紀書房の『女子大生、渡辺京二に会いに行く』は、初読のときよりずっとおもしろかった。かしこくて真面目な女子大生が、リーダーシップ、アイデンティティ、グローバル化なんて横文字に振り回されつつ質問するのを、渡辺さんが至極まっとうな言葉で切り返す。むかしから持っている渡辺さんの本を読み返したくなる。

9月11日

2012年10月4日 木曜日

例によって新聞と郵便物の整理とメールチェック。歯を治しに行って母のところへよる。夜は映像ドキュメントの打ち合せ。福島で甲状腺がんの子どもが一人見つかったという。原発事故との因果関係はわからないが。

9月10日

2012年10月4日 木曜日

朝、石垣島を散歩。むかしの政庁あと、大浜信泉記念館、赤瓦の家もけっこうある。竹富町の町史編纂室で通事さんに戦争マラリアの資料をいただきはなしを聞く。波照間出身だけに話に熱がこもる。石垣牛のハンバーグを最後に食べて空港に向かう。
疲れたけれど帰ったら当分また八重山病はなおらないだろう。

9月9日

2012年10月4日 木曜日

朝、思いついて石垣島へ。10時半よりオスプレイ反対八重山集会あり。沖縄いじめ、沖縄差別という言葉が発せられる。12時半の船で竹富へ帰る。やらぼで沖縄そば。ここのが一番おいしい。1時半から敬老会。長寿を喜びにかえる島。当選したばかりの町長も参加。踊り、太鼓のほか滑稽な女装の踊りや学校の先生方の滑稽な喜劇あり。とっても楽しい。4時半終了。5時45分の船で石垣へ。ハッピーホテルはとても広くて安い。3950円なり。マッサージも島歌のライブも館内にある。よく眠ったなり。

9月8日

2012年10月4日 木曜日

若い人と話す。Aさん「島の人は米兵より、日本兵の方が怖かった。ナイチャーというのはいい言葉じゃないけど、いまは平気でナイチャーと名乗る人もいる」「ばあちゃんの話だと、機銃掃射を受けて立ったままかたまって、それで頭がおかしくなった子がいたって」Tさん「東京の小学校のときは沖縄出身者の子とわかるといじめられた。自分は島が好きだし誇りも持ったので中学以上になるとそういうことがなくなったけど」
学校へ夏休みの作品展を見に行って、そのあとヴィラで食事。
Iさんは夫が復帰前から八重山で好きで、どうしてもここに住みたいと、移住してきた。
6時半にコンドイ浜に泳ぎに行く。西の空は赤い。もうすぐ日が落ちる。いそげやいそげ、たるりやで牛すじカレー。有田さんの手料理をご馳走になる。東風平(こちんだ)さんは石垣の育ち、水牛車観光とゲストハウス竹富を経営。おもしろい方たち。

9月7日

2012年10月4日 木曜日

朝、ひまわりなる朝食の店に行く。500円でご飯、みそ汁、ソーセージ、鮭、サラダ、卵焼き、そして食後のコーヒー付き。とってもいい感じ。お孫さんがお客さんを連れてくることもあるという。おとといあった子だ。それから集落を散歩して9時40分の一便で帰る。波高し。
石垣に10時半について、石垣図書館で戦争マラリア関係の本を読む。本土の本は少なく、沖縄関係がずらーっと並ぶ。図書館員は親切、しかし館内は寒すぎる。5時15分までコピーを取っていて30分の船に乗った。安永交通は荷物を預かってくれないが、八重山フェリーはただ。5時45分について55分に松竹荘についたら、おばあが「あら、お帰り」といってくれてうれしかった。昇助さんに西表の移住や波照間、マラリアについて裏とり。11時過ぎに寝る。