2012年8月 のアーカイブ

8月11日 幽霊画を見てすずむ

2012年8月27日 月曜日

アフリカのセネガルから一時帰国中の横関さんと幼稚園以来の友人裕美ちゃんと、漆器の専門家の智ちゃんと4人で全生庵に幽霊画を見に行った。円朝のお墓と鉄舟のお墓におまいりしているときょうは落語協会の法要の日らしく、桂小三治さん、桂歌丸さん、こぶ平さんじゃなかった三平さんなどの姿も見え、虚無僧が笛を吹き、各自が扇子を火にくべて供養するところも見学できた。とにかく日本近代美術史の枢要な名前がほとんどあるんですな。今年は高橋由一の絵は展観されていなかった。かえりにイル・サーレでランチ、そこで出た話しによれば、今使っている電気の6割は灯りでなく動力、ICチップをそれにつけてコントロールすれば必要な時だけモーターを動かし、40%くらいの電力を節減できる、というのだ。ほんとうなら24パーセント、電力を使わずにすみ、原発はいらなくなるのではなかろうか? 詳しい人からの情報を待ちます。

8月10日 たかが電気、の考え方。

2012年8月27日 月曜日

ある雑誌に坂本龍一の「たかが電気」という言葉を引いた。私もそういう気がする。
電気は我々の生活に欠かせなくなっているが、明治の終わりごろに普及したので、それまでは行灯やろうそく、石油ランプを使っていた。それで一葉も鷗外も漱石も名作をモノしたのである。私の子どものころでも、クーラーはなく扇風機はあったけど、冷蔵庫は氷を入れる木のボックスだったし、ご飯は羽釜で炊き、サンマは七輪で焼いていた。それがマンションではガスこんろは使えない、石油ストーブも使えない、ということになって我々の生活は電気漬けになってしまったのである。電気はエネルギーのほんの一種類に過ぎないということを思い起こしたい。
そうしたら編集者から、
「在宅で人工呼吸器をつけている患者さんの家族が、「停電で死ねというのか」「生きるために再稼動に賛成します」と発言しているのを目にしましたが、そう言われると一瞬言葉につまってしまいます」という付記が来た。坂本龍一さんのところににも反論が多いようだ。私はこのことを考えて見た。
1、病気治療中の方たちや病院には電気を最優先で使っていただきたい。
2、原発を再稼働しなくても停電にはおそらくならない。
3、原発由来でない電気で医療器具を動かすことはできるし、病院などは万が一の場合でも自家発電機を持っているはず。
そして
4、自分が生きるために再稼働を認め、他人に被曝労働をさせてよいというのは傲慢でないのか?
5、不必要なまでの電気をつかった延命は、私ならしたくない。
ということである。

8月9日 最近聞いた話

2012年8月27日 月曜日

最近聞いておもしろかったが忘れてしまいそうなこと。
ジャズ喫茶・映画館の店主ヨシダさんは映画を作っていた人。もともと戦前は動坂町七番地にいた一族で、お父さんは御役人で練馬に移住したと言う。五人兄弟のうち、ひとりが講談社の社員のうちにもらわれた。おくさんは登米ゆかりで鳥越育ち。お二人は被災地支援や原発なしで暮らすための活動にいろいろ関っておられる。最近うれしかったのは、お店に見える鹿島田真希さんが芥川賞を取られたことだそうな。
本郷通りの中華料理フーエンの焼き餃子も水餃子もおいしいのはお父さんが中国東北部(満州)の残留孤児であって、本場仕込みだからである。いまは子どもの代で息子さんとそのお姉さんが店をしきるが、なにを頼んでもほんとうにおいしく、とてもリーズナブル。「だからお父さんは日本人で、養父母のめんどうもよく見て、なくなったので日本に来ました。だから私たちはハルビン育ち。お母さんは中国人で、そのおじいさんというひとは最後の科挙にうかったんだけど、そのとたんに清朝が倒れて、それでお医者さんになりました」とお姉さんに聞く。人に歴史あり、だなあ。

8月8日 大鉈を振るう

2012年8月27日 月曜日

朝、6時に千葉の友人、水野さん、佐々木さん到着、二人とも山登り、カヌー、スキー、自転車などで遊ぶアウトドア派である。あまりに竹と草が生い茂っているので、草刈りにきてくれた。
ご飯を炊き、刺身、トマトとキュウリのサラダ、なすのおつゆでご飯を食べてもらい、雨の中、草刈りを始める。水野正雄さんは仕事はデスクワークだったというが、この何年か草刈りが上達して草刈正雄の名があるとか。竹を100本切る。これすべて下の家から侵入してきたもの。みるみる視界が良くなる。竹の揺れる景色はきれいだが、すぐ伸びてしまう。このまえなかった竹が玄関前に3、4本も立派になっていた。
鉈で叩くとすぐぱきっと割れる。竹を割ったような性格とはこのことか。縦に切るのではく、横に叩いてもぱきっと切れる。仕分けに大鉈を振るうなどの表現も何となく体得できる。「こういう家に住むということは家の周りの手入れに時間かお金がかかるということだよ。せめて鉈とガソリン式草刈り機と工具箱くらいそろえないとね」といわれる。別荘の人たちも土日できても家の中の掃除と外回りの草刈りで終わるといっているらしい。
ああ、民宿にでもとまった方がよほどらくちん。

8月7日 里山コース

2012年8月27日 月曜日

天気よし。御宿の海水浴場へいって、なじみになったしおさいのおじさんにパラソルとボンボンベッドを借り、わたしはほぼ留守番で石堂清倫『二十世紀の意味』を読む。戦時中は共産党で、転向して満鉄にはいり、戦後は翻訳をし、100歳近くまで元気だった人の人生の総括。ご飯は海の家で、サザエのつぼ焼き、イサキの塩焼き、蛤焼き、イカ焼きを頼み、白いご飯を食べる。おいしい。3時過ぎから御宿里山ドライブコースに行ってみる。清水を汲ませてくれたり、お庭を見せてくれたり、鶏卵牧場では卵掛けご飯を食べられたり、丑の牧場、馬の牧場もあって楽しかった。

8月6日 30年代的観光施設

2012年8月27日 月曜日

天気悪し。朝、大原海水浴場。むかしこの近くに家を借りて一夏過ごしたことがあった。そのときのクレープ地の夏がけ布団の模様も覚えている。秋草の。ここも御宿と同じくらい広い砂浜だが真ん中にテトラポットを積んで、サーファー専用にしているのでなんだか狭い感じがする。海の家も二つしかなくて、フィリピン人のおばちゃんが働いていた。サザエがなくてイカでビール。そうしたら昼寝していた主人が鰹の煮付けをだしてくれ、いまサザエを持ってくるといったがまちきれずに帰る。鰹は客をまたせるための時間稼ぎであったようで悪いことをした。石松食堂で昼ご飯。金目の煮付け、鯛の塩焼き、さんが焼き、なめろうなどおいしいのだが、おばちゃんの無愛想なこと。午後、勝浦までいって海中展望台なるものを見るが、これが昭和30年代的な観光施設で、950円もとるし、客はいない。環境庁のやっている資料館はタダだがくらくてクーラーも効いていなくて、受付に人もいない。向こうに千葉県立の海の博物館があってずっと立派なので張り合えない。しかしこれも展示にお金がかかっているものの、ばかでかい割には展示スペースは小さく、受付の女性たちはぶすっとしてやる気なく、ばかでかい駐車場がついていて、ただ公共工事がしたかっただけなことがよく見て取れる。かえりに養老温泉滝見苑がやっているご利益の湯というのに行く。タオル付きで1200円という高い湯だが、やる気と建物のデザインのよさには感心。でも黒湯じゃないんですか、と聞くと、受付のおじさん『黒い温泉はいくら掃除しなくてもわからないでしょ。うちは毎日朝晩掃除してきれいでしょ』ときた。渓谷を見晴るかす露天風呂はまるでバリのライステラスのプールみたいだった。ちかくのちーえんで中華。玲子ちゃんを送って行く。おとうとと長い話。

8月5日 浪花で正しい夏

2012年8月27日 月曜日

朝、御宿海岸へ。駅に近い構想リゾートマンションには退職した大学教授なども多数お住まいとか。駅から歩いて来られるし、食べるところもあるし、本当はこの方がいいのだが。低い階は津波が怖い。県道は味気ないし、波乗り道路脇はサーファー向けの観光地、日在あたりの裏道はいかにも昔の別荘地らしく、生け垣に囲まれて風情がある。そんな一角に森鴎外の別荘鴎荘の後を見つけたのだった。
御宿は学生時代にきてなんと俗っぽいところだろうという印象。すべて『月の砂漠』一本で南国ムードを演出している。しかしこのところ平塚らいてうや伊藤野枝が御宿を愛して滞在したことを知ったから(前から知っていたのにあまり心に残らなかった)、なんだか御宿が好きになっている。去年きた愛想のいい海の家、潮騒にわらじを脱ぎ、パラソルを借り、子どもたちを遊ばせ、正しい夏が始まる。今日の昼はたんたんめん、よるは魚屋さんに刺身を作ってもらってご飯も炊いて家でのんびり。頼んでいた丸森からの引き上げ本が宅配便で届く。陣内秀信さんたちのサルディニアの本を読む。蝉が鳴き、ひぐらしも鳴く。

8月4日 順天堂

2012年8月27日 月曜日

母の定期検診で順天堂におとも。さとこが沖縄に行ってしまったので、代役。朝、8時半に着く。採血はすぐすむ。それから診察を待つのが長い。仕方ないから買い物をしたり、スタバでおしゃべり、それからも長椅子で待つ。83歳には一人では無理。テレビでなでしこのブラジル戦リプレイをしていたので夢中になってみていた。そしたらいいところで『当院からのお知らせ』に切り替わり、その間にシュート。隣にいた人が後半にももう一点入れますよ、というので3分間医療のあとに下で会計の順番を待ちながら見ていた。そして会計している間にまたシュート。二回ともその瞬間を見逃し、ついていない。午後、木崎さんがきてくれて、パソコン関係のいろいろなお願いをする。ありがたい指南役。バックアップをとったり、携帯の画像を落としたり、プリンターのインクを入れたり、次に編集すべきデータを相談したり。夜、映画「真実はどこに」を見る。ロシアで行われたチェルノブイリに関する国際会議を伝えるドキュメンタリー。ロシアにも班目委員長みたいな学者がいるのだね。ドイツにも。IAEAは原子力利用をすすめるための機関だということがよくわかった。福島の子どもたちに低農薬のリンゴを送る活動を二人でやっている青森出身の岩城さんという女性と出会う。

8月3日 ブリックワンで古楽

2012年8月27日 月曜日

大塚直哉さんのチェンバロやクラヴィコードのひそやかな音に耳をすまし夏を忘れる。大塚さんはいわき出身のダンサー熊谷さんたちといわき市にいって演奏もしておられる。なんだか千駄木がヨーロッパになったみたいだった。高校の後輩でトルコの研究者村上薫さんに始めて会い、直ぐにイスラムの話で盛り上がる。

7月25-30日 恒例の谷根千合宿

2012年8月27日 月曜日

ことしは乗鞍高原と白骨温泉、富士五湖のうちの三湖、大鹿村と中央構造線、増富ラジウム温泉、八ヶ岳牧場と清泉寮、サントリー白洲ディステラリーなどを駆け巡った。
はじめて行くところもあり、なつかしいところもあり。山崎はいつもの如く、林の中でたき火専門、おかげで鮎の塩焼き、豚の薫製などが食べられた。夜は持って来たiPadで鷗外・漱石・芥川・太宰などを青空文庫で朗読したりして楽しかった。