2015年10月 のアーカイブ

10月11日 再見・映画

2015年10月19日 月曜日

この間いくつか見た映画について感想を。

「ローマの休日」とオードリーヘップバーン
「ローマの休日」は1954年、私の生まれた年の映画、ウィリアム・ワイラー監督。ポスターを小学校の帰りに町で見かけた時の興奮を思い出す。その頃はお姫様に憧れていたのだし。あれから50年。何度見てもいい。一つは「即興詩人のイタリア」で何度もローマを訪ねたので懐かしいからもある。
グレゴリー・ペックが上品ですてき。彼の住む記者のアパートはマルグッタ街51番地。
ここはスペイン階段からも近いが、コンドッティ通りなど観光客の住むスノブな町でなく、芸術家の住む庶民的なまち。須賀敦子の親友も住んでおり、エッセイにもよく出てくる。フォロ・ロマーノあたりで睡眠薬を打たれて眠たい王女を拾ったアメリカ人記者はマルグッタ街のアパートまでタクシーで連れてきて一夜の宿を恵む。
紳士だから悪いことは考えない。でもその身なりも悪くない娘が病気不例、じつは失踪した王女だとは。これはスクープのチャンス。
自由のない生活にうんざりしている王女が髪を切ったり、スペイン階段をアイスクリームをなめながらか闊歩したり、真実の口とかコロセウムとか、アラチェリ教会のものすごい階段とかまるで「即興詩人」よろしくローマ観光映画。とにかくオードリーは眉毛動かしても、唇震えても、目を伏せても、美しいし、表現になっている。これで新人でアカデミー賞主演女優賞。
ハリウッド映画がまだ清潔だった時代。長い長いリラ札が面白い。「You may sit down」というエラそうな王女様の物言い。「I wish、but I cannot」なんて言い回しもいいな。字幕は「残念ですが」。記者にあなたの仕事は? と問われて「public relations」というのも笑った。まさに王室の仕事。国と国の関係をよくし、好感を持ってもらうための訪問。日本の皇室はこの王女ほどものすごいスケジュールをこなしているとは思えないが。
記者のアパートにキッチンがないのを見て「料理の腕はプロ級なのよ」と王女が残念がるシーンがある。これが時代の制約ですね。「王女様も普通の結婚をして、愛する人に腕を振るいたい」という性別役割分担をにじませているわけですね。無粋な見方ですみませんが、ここを唯一の瑕瑾としたい。
オードリーはオランダ貴族の母とイギリスの遊び人の父との間に生れ、両親の離婚で傷つき、戦時中はオランダ・アルンヘムの激戦地で戦争を見た。俳優メル・ファーラーと結婚、一児をもうけるが離婚、イタリア人精神科医と結婚してもう一人男の子を授かるが離婚、最後は年下の俳優と暮らし、ユニセフ大使として平和と貧困撲滅のために人道支援の先頭に立った。62歳でなくなったが、りっぱな人生だったと思う。ドキュメンタリーに登場する息子の発言がりっぱで、それを見ても人生を間違わなかったのがわかる。

映画づいて、よく聞くけど見たことのない映画を見てみる。

「君の名は」菊田一夫原作
最初1952年のラジオドラマで、その時間になると銭湯がガラガラになったものだと聞く。うちの母は私がおなかにいる時に映画を動坂シネマで見たといっている。この話とショールをぐるぐる巻くと「真知子巻きだね」といわれることから気になっていたが見たことはなかった。
これは1953年12月公開の映画。氏家真知子(岸恵子)は空襲の有楽町で後宮春樹(佐田啓二)に助けられ、生きていたら半年後、この橋でまた会おうと約束する。四ッ谷の家は焼け、ひとりぼっちになった真知子は佐渡の叔父を頼り、そのすすめる縁談にしたがい、官僚の浜口(川喜田雄二)と結婚する……。
うちの両親も焼けだされ組だが、空襲で家や家族を失った人は多く、いかにも受けそうなストーリー。しかし岸恵子は今の方がずっときれい。この映画ではなんだか腫れぼったい日本美人の上に、つけまつげが嘘っぽい。料亭の女中の淡島千景の方がよほどきれい。そのうえ、ろくに台詞もいわないで、斜め下にうつむいて、じっと耐える日本の女を演じているのは、彼女らしくもない。官僚たちが「混血児を生む女は尻軽でけしからん」などと放言していたり、浜口の母親(月岡夢路)が「お役所はなんといっても引きですからねえ」なんて言ったり、見ているうちに不愉快になってくる。だいたい浜口も、最初は「見失った恋人を見つけるのに協力する」なんていっていたのに、いったん結婚するや、後宮の足を引っ張るばかりのいやな男。好きでもない男と結婚しながら、好きな男に「お詫びを言いにきたんですの」という真知子の未練たらしいくせに行動にでられないことも含めて、登場人物の偽善ぶりがイライラするとしか言えないC級映画に日本人が紅涙を絞ったのが信じられない。

「愛染かつら」川口松太郎原作 1938年公開。
これまた父母の世代からよく聞く映画であるが一度も見たことがない。谷中の自性院が舞台だと聞かされ一度は見たいものだと思っていた。
これまた今の価値観ではよくわからない映画。田中絹代が悲劇のヒロインというよりはわりとさっぱり、自然な感じなのが救い。7、8回もリメイクされている。
津田病院の御曹司(上原謙)はめでたく博士号を取って、病院に戻り、清潔な看護婦の高石かつ枝(田中絹代)に惹かれる。しかし彼女は夫と死別して幼女を姉に預けて働いていた。当時、子持ちの女と金持ちの御曹司が再婚することはあり得なかったのだろう。夜の11時に待ち合わせて京都に駆け落ちの約束も子どもの病気で果たせない。御曹司には別のお嬢さんとの見合い話もすすむ。最後、歌のうまいかつ枝が看護婦の白い制服でプロ歌手になり、喝采をあび、御曹司とも結ばれると言うハッピーエンド。たしかに谷中の自性院が出てきた。そこにある愛染明王に纏わる愛染かつらに願をかけると、一度は離れた恋人がまた会えるのだとか。
高石の家が、子どもをおいても働かなくてはいけないほど貧しく見えないことや、上原謙がバレンチノ型の美男子で、まったく興味を持てない。いくら御曹司だって、こんなの好きになるかなあ。田中絹代が彼を好きなそぶりが見えない。
最初意地悪をする同僚と看護婦長(今でいうと士長)が演技がいい。
「私、素人の伴奏なんてしなくってよ」という御曹司の妹の台詞、京都から帰った御曹司を母親が「まだ女中も入っていないからお風呂でも入って」などと言う台詞に時代を感じたものの、私としてはパス。

「月よりの使者」大映 1954年
これも私の生まれた年の映画。なんで見ようかとおもったかというと、谷根千合宿で信濃境にいったとき、堀辰雄「菜穂子」の舞台になった富士見町のサナトリウムの古い病棟が残っているのを見学したら、「月よりの使者」のロケがここで行われたと知ったことから。結核というのはロマンスの大テーマだ。
たしかにうつっていた。そして山本富士子、若尾文子、船越英二、菅原英二、根上淳と結構オールスター。この山本富士子さんも、私がこどもの頃は日本一の美女とか言われたが、今となっては美の基準が変わってしまったのか、そう美しくは見えない。鼻が高すぎ、目は小さいし、いわゆるうりざね顔の日本美人で、若尾文子のほうがキュートに見える。過去を持つ看護婦と彼女の優しさに❤マークの患者の男たち、という構図だが、演技というほどのものは見えなかった。

また何か見たら書いてみよう。

10月12日

2015年10月13日 火曜日

ブログのお休みについて
今年の1月以来、ブログを全く更新しませんでした。毎回読んでくださっているみなさまにお詫び申し上げます。
今までブログは自分の日記のように、忘備録としてつけておりました。
しかし昨年秋に病気が発見され、その治療方針の確定や治療そのもので、4月までかかりました。すでにみすず書房の「森のなかのスタジアム」に書きましたが、子宮頸がんの1b1期でした。ちょっと前までは、がんは死病で、患者に告知することさえ、普通ではありませんでした。いまでは、告知はおろか、自分で調べ、治療法を選択することさえできます。二人に一人ががんにかかる時代になり、がん治療も日進月歩です。「がんにかかる」というより、「がんが見つかってしまう」時代といってもいいのかもしれません。そういう意味で過度な検査や治療にもまた疑問がなくはありません。
そしてがんは百人百様です。私のがんは24年間も前ガン症状のまま、おとなしくしていたがんなので、放置もかんがえましたが、やはりその場合のリスクも大きいので、病院を選び、放射線療法を選び、抗がん剤は「拒否」でなく「ご辞退」させていただきました。医師たちとは大変よい関係を作れ、感謝しています。ただまだ治ったと決まったわけではありません。仮に手術をしたとしても完全に治るとは限りません。手術による転移などもありえます。私の場合も転移や再発の危険がなくなったわけではありません。そのため、自分の免疫力を上げ、がんを消す気功や整体、食療法などを試みていますので、大変忙しくなりました。
それ以前より、神宮の森に巨大なスタジアムができるという新国立競技場問題があり、その危険を広めるためにFacebook、Twitterを使わざるをえなくなり、その外にブログをするということが大変きつかったので、しばらくお休みせざるをえないことになりました。これからは何かトピックスがあった時に更新しようと思います。その前に私の今年の様子を手帳とTwitterから拾いながら月ごとにご報告します。遡る形で読みにくく申し訳ありません。

森まゆみ