今日は帰る日、長居しすぎた気も。2人はチョコレートや石けんを買いに行ってしまい、わたしはホテルでのんびり。一つの町に2週間いたのははじめてだ。たしかにエドワード・サイデンステッカー先生が、住んで退屈しないのは東京とニューヨークくらいだ、とおっしゃっていたとおり。そしてお金があれば楽しい町なのもたしか。そのわりにお金を使わなかった2週間でした。31日午後無事成田着。帰ったら読みたい本たくさん。
2012年6月 のアーカイブ
3月30日
2012年6月19日 火曜日3月29日
2012年6月19日 火曜日今日は早めに出る。フリーフーズのサラダ、スープ、イチゴヨーグルトおいしい。
いろいろ迷って、エールかハーバードまで行こうかと思うが、面倒くさいのでクイーンズにいく。50年前のアメリカのような懐かしい町。ブルックリンともまた違う。延々歩いてソクラテス彫刻公園へ行くも何もなかった。川の向こうにマンハッタンが見える。イサムノグチの美術館には人がほとんどいない。でも財団が金持ちなのか、今日はただで、館員はたくさんいた。とても印象的な建築、庭には桜が満開、ノグチで一番すてきなのは椅子、それから紙のランターン、石の彫刻はよくわからない。龍安寺の石庭を見て、石や紙への彼の思いが呼び覚まされたのか。若いときはものすごくハンサム、お母さんも教養ある美人、美人というより内面が出ている。プリンマーを出てソルボンヌで学んだような女性がなぜあの時期に日本人と一緒になって2人も子供を産んだのか。ヨネ野口にそれほど魅力があったのか、写真で見るとなかなかいい男だ。それにしてもなんでイサムは山口淑子と結婚したのか、山口はなんでその後、外交官の大鷹氏と結婚して政治家なんかになったのか? 帰ったら調べよう。お母さんの伝記映画レオニーを見なくちゃ。夜はまた中華街の同じ店に。あんまり歩き回ってつかれたので、姪と一緒に足のマッサージにいった。
3月28日
2012年6月19日 火曜日若い2人は朝のシャワーが長い。ハーレムでフィッシュアンドチップス、アポロシアターでチケットを買う。ハーレム博物館があいていないので、少し下がって自然史博物館を見る。これまた広大なり。中ではぐれた。部屋に人の名をつけずに、何を展示しているかを示してほしい。私だけプラネタリウムにいってすごいセンセーショナルで心臓がばくばくしたが、携帯が電池切れにはまいった。ようやく見つけ、セントラルパークを歩き、ジョン・レノンゆかりのストロベリーフィールドからダコタハウスを見て135番街へ、そこでワッフルなど食べ、バスで125番街へ、アポロシアターでアマチュアナイトを見る。有名な日本人に案内され日本人の大集団。ライトの光り強く、見るに絶えず。客席の人を引っ張り上げて踊らせる。子供3人の歌。大人6人ほどの歌の中で客の歓呼で優勝を決める。隣の男女、うろうろして落ち着かず。実は娘が出ているのであった。その子がグランプリ。
3月27日
2012年6月19日 火曜日朝から、一人でメトロポリタン美術館へ行く。さすがに広大。25ドルの入場料は高い。日本語のオーディオガイドは解説がすくなく、100のうち1つの美術品に付けられた解説を聞くために、それが展示してある場所を探すのに骨が折れた。というのは日本語のマップには部屋の番号がついていない。トイレもエレベータも食堂も少なく、骨が折れる。結局、5時半の閉館までに見られたのは、エジプト、アジア、アフリカ、でもこれだけたくさん見ると頭には残らない。これもガートルートスタインとアーティストの特別展がよかった。ピカソの膨大なコレクション。たくさん並んでいるとやはり絵の力の強いのはゴッホ、家においてみたいのはスーラ、ターナー、クレー。ゴーギャンやレンブラント、カラバッジョ、ダビッドなども感銘を受けた。それにしても見たものをすべて覚えていられないので、スケッチに描いた。6時に戻り、8時からミュージカル、シカゴ。話の筋はたわいないが、テンポもよく、踊りもよかった。セクシーを売り物にするのは好きじゃないし、殺人を犯したのに、そのスキャンダルを売り物にしたり、子供ができたとか、人のいい主人を簡単に捨てたりとか、ばかばかしい話。近くのファイブナプキンハンバーガーでビールとステーキとハンバーグで43ドルなり。ここは割にすいているし、客あしらいもいい。ろうそくの向こうにニューヨークの町が見える。息子や姪と一緒にこんなところにいるなんて夢のよう。
3月26日
2012年6月19日 火曜日月曜日、コニーアイランドに行く。大阪の橋爪さんなどから聞いていたし、いってみたかったのだがオフシーズンで何もなし。100万人が立錐もなき浜辺の写真を見たのに人っ子一人いない。海辺のホットドッグやもやっていないし、遊園地も保守点検中。ビニールバックが風に舞う。アイ・ラブ・NYのバッグ。砂が目に入る。駅のお手洗いはひどい。すべてが壊れている。
口直しにブルックリンへ。キャロルストリートで下り、歩く。左右は美しい低層の街区。このへんの方が住みやすそうな。オーガニックの店あまたあり。寒い寒い。寒い中をマンハッタン橋下のダンボなるアートタウンへ。確かにかっこいい店が多いが、橋上の交通の音うるさく住みたくはない感じ。
3月25日
2012年6月19日 火曜日朝、日曜日の教会の礼拝を見に行く。パトリック教会とセントトーマス教会。ハンバーガーを食べるも、あゆみ、おなかの調子が悪いというので、ホテルに戻る。ハーレムにマジョリーの家庭コンサートを見に行くつもりだったのに。半日ホテルで仕事。というのはヴォーグの写真家ビートンの展示を見たその晩に、日本版ヴォーグからモダンガールについて執筆依頼があった。締め切りがまじかなので資料もなしに書く。
夕方より外出、中華街をぶらぶら、グレートヌードルハウスにておいしいエビワンタン、ホタテとアスパラガスの炒め物、ピータン粥、鳥とダックの薫製を食べる、いとうまし。それにとても安い。店の人の感じも良い。ライブハウスに行く。入り口で紙の輪っかを付けてもらう、こうしないと酒は飲めない。飲まずにただで聞く。学生バンドみたいなロッカーたち。感じいい。みんなノリノリ。
3月24日
2012年6月19日 火曜日朝、姪とモマに行く。ゴーギャン、ジャクソン・ポラック、ゴッホ、アンディ・ウォホール、キリコ、カンディンスキー、ダリ、これだけあると目がうろうろする。特別展の写真家シルマンは私と同じ年齢で、早くからコスチュームの変装写真を撮る。日本のは、このまねか? スイートバイレンスなるドメスティックバイオレンスの特別展もあり。
ヒルトンの前の人気ハラールフードを食べお腹を壊す。トマトケチャップとチリソースを間違えたなり。ホテルで休む。夜、ストンプを見る。社会主義リアリズムと滑稽味。達者なものなり。観客ゲラゲラ笑う。ピザを食べて寝る。なんといってもピザが一番安いし、まあまあの味。
3月23日
2012年6月19日 火曜日ゆっくり起きてチェルシーハイラインを歩く。鉄道跡地を上手にウッドデッキの緑地帯に替えている。海の景色、古い倉庫街の景色などはなはだ面白し。画廊街をのぞく。チェルシーマーケットに行くも、混んでいて食事できず。シェークシャックの店に行くがこれも長蛇の列。イータリーで息子と喧嘩。喧嘩はいつも負ける。コロンビア大学へ行く。なにもたのしくなし。おおきな聖堂を二つ見る。かえりアッパーウェストのベトナム料理へ行くもものすごい量のフォーに驚く。店の不当な解雇に反対して戦う人々が店の前に並ぶ。
3月22日
2012年6月19日 火曜日今日は姪のくる日、朝のうちマークホテルを堪能、お昼ごろタクシーで移動、ミッドタウンのルーズベルトホテルに行くもチェックインには早い。ここは人の動きがせかせかしたいかにもニューヨークらしい歴史的な建物のホテル。それでご飯を食べにぶらぶら、グランドセントラルのしたで牡蠣を食べたかったのに却下され、フードコートでイタリアンを食べるも不味し。それに混んでいてうるさい。ブライアンパークで別れ、私はニューヨーク市立図書館でシェリーのゴーストという展示を堪能。メアリ・ウィルフトンクラフトやゴドウィンの友達であった。早く死んじゃうんだよね。遺跡のかけらなる無料展示を見る。これもローマやナポリなどの絵が多く、即興詩人のことを思い出す。ほかに図書館の歴史をしめすコーナーあり。キャパの弟が開いた写真美術館へ行く。中国人が鉄の階段でラーメンをすする。沖縄や日本の基地を撮った写真、根岸の米軍基地の住宅からは横浜ランドマークタワーがシュールな感じに見える。どれも面白かった。
地下は「殺しはわが仕事」という殺人現場ばかりを撮るカメラマンの特別展。20-30年代のニューヨークはいかに危険な街であったか。ああ、こわい。そのカメラマンはラジオとタイプライターと大きなフラッシュのつく写真機でなかなかいい仕事をした。それから紀伊国屋とブックオフに行く。到着した姪を連れてスカンジナビアハウスで食事、スモークサーモンとミートボール、さけのステーキおいしい。ニューヨークについたはずのすいれん舎の高橋さんより電話あれどこず。ここの地下で行われる音楽会を聞く。
ニューヨークではみんな早足、なれどエレベーターは遅し、ドアは必ずあけておいてくれる、エクスキューズミーとサンキューは反射的に出る必要あり。けっこう親切な人が多い。地下鉄は浅いところを通り便利。出るときは切符いらず、1週間で29ドルのチケット便利、なかなかこない線ある。アップかダウンか見定めて乗る。アッパーはバス移動のほうが便利。
税が8パーセント、チップが15パーセント、レストランは恐ろしく高い。
こんなに税金を払っているのになんの年金も保険もないとは。何に使っているのか、軍事費に決まっているがな。物乞いが多い。みんな無視しているが。
タクシーは安い。初乗り2、5ドル。
美術展でも安くて10ドル、普通20ドル、メットは25ドル。
この物価の高い町でどうやって暮らしているか、わからず。
黒人は博物館のクロークや見張り、掃除夫、荷物運びなど。雑用と単純労働をしているみたいだ。プエルトリコとかヒスパニックの人たちも。
いろんな言葉が混ざって聞こえてくる。英語が上手とは誰も言わない。
だからデリやサンドイッチを買ってオフィスで食べる、そのためにあちこちに公園あり、ものすごい人、公園のそばには必ずスタバあり、買ったのを持って公園で食べたりのんだりしている。つまり公共用地を店代わりにしているわけだ。さすがユダヤ資本らしいうまい経営。でもほかの店のものを持ち込んでも何も言われず、ただでメールチェックできるしありがたくもある。何も言われないのは単に店員が忙しいせいかも。
トイレの流す音、エアシャワーいずれもすごい音。とにかくうるさい町。
静かさとゆっくりがいい病後の私には住むところではない。特にミッドタウンには。香港に行ったときと同じ息苦しさを感じる。窓から見ると前のオフィスには8時には人がデスクに向かっている。
3月21日
2012年6月19日 火曜日息子はナオさんのご尽力で、朝からNYUの講義を2コマ聴きに行く。私はまずニューヨーク市立博物館。地下鉄でひたすら北上し、103ストリートでは雰囲気がずいぶん違う。黒人の多いアパート街。セシル・ビートンなる写真家にしてデザイナーの特別展あり。べつの写真展は車から腕をだした人。地下鉄から出たところの地上の景色、店のガレージを挙げる人のフィルム。ニューヨークの歴史のフィルム。都市計画のグリッドに関する展示もユニーク。ジューイッシュ美術館は休み、地球の歩き方に書いてあるのと休日が違う、入場料が違うこと多し。もう一つの小さなナショナルアカデミー美術館は全く見る必要なかった。最後にアジア協会の美術館。ムガールの細密画はよかった。細密画を発見し、コレクションした男もすばらしい美男子だった。ショップで2枚、三宅一生みたいな服を買う。韓国のデザイナーだそうな。
息子疲れて帰ってくる。授業は半分わからなかったとか。7時頃、韓国料理を食べに行くも、並んでいてそれをどんどん店の中にいれ、客の後ろにたたせ、前の客を追い出し、味はまずく、味の素が多く入っていた。こんな店をガイドブックに載せるのはなぜかわからん。