2013年6月 のアーカイブ

5月30日

2013年6月24日 月曜日

午前中、文化財屋根をつくる木次乳業の見学、お昼は食の森のレストランで小公子というカラコルムの野生の葡萄を使った赤ワインで食事、帰ったら三キロくらい体重は増加ではないか? 忠吉さんがお元気でうれしい。

「免許証を返して足がのうなったけん。じゃけん、あんまり動かんといけんから、ごごはここの事務所にできるだけでとうます」という忠吉さん、いつまでもお元気で。

帰りも高速はつまらないから下道をいこうという熊谷さん、三次を通り、平田牧場という看板に引かれ、ふらふらと。ここは果樹を育てる観光農場で、動物もいるし、カフェやダッチオーブンで野外料理が出来る森もあり、素晴らしい小宇宙を若いスタッフが作っていた。広島空港で別れ、別のレンタカーに乗り換えて息子と広島泊まり。ANAのホテルがブッキングコムでとってもお得料金だったのだ。ご馳走ばかり食べたので、フロントおすすめの八昌なる広島お好み焼きを半分こしてビール。鉄板の上で焼いている手付きに見とれる。家でもやってみたいが、フライパンが焦げ付きそう。

5月30日

2013年6月24日 月曜日

午前中、文化財屋根をつくる木次乳業の見学、お昼は食の森のレストランで小公子というカラコルムの野生の葡萄を使った赤ワインで食事、帰ったら三キロくらい体重は増加ではないか? 忠吉さんがお元気でうれしい。

「免許証を返して足がのうなったけん。じゃけん、あんまり動かんといけんから、ごごはここの事務所にできるだけでとうます」という忠吉さん、いつまでもお元気で。

帰りも高速はつまらないから下道をいこうという熊谷さん、三次を通り、平田牧場という看板に引かれ、ふらふらと。ここは果樹を育てる観光農場で、動物もいるし、カフェやダッチオーブンで野外料理が出来る森もあり、素晴らしい小宇宙を若いスタッフが作っていた。広島空港で別れ、別のレンタカーに乗り換えて息子と広島泊まり。ANAのホテルがブッキングコムでとってもお得料金だったのだ。ご馳走ばかり食べたので、フロントおすすめの八昌なる広島お好み焼きを半分こしてビール。鉄板の上で焼いている手付きに見とれる。家でもやってみたいが、フライパンが焦げ付きそう。

5月29日

2013年6月24日 月曜日

石見から出雲へ。れいのごとく大田市で福祉施設を多岐にわたって経営しておられる高橋さんのところにより、そのあとタラソテラピーに興味のあるという熊谷さんたちがプールで泳ぎ、しているうちに木次乳業の佐藤忠吉さんのところに到着は4時すぎてしまった。でも出雲の夜は遅くくる。明るいうちに室山農園、奥出雲葡萄園、茅葺きの家、どぶろく工場などいろいろ見学することができた。「じゃあそろそろまいりますかな」という忠吉さんに案内されてついたのは町中の天野館。夜はなつかしい湯野上温泉に泊まる。

5月28日

2013年6月24日 月曜日

広島空港で宮城の熊谷さん、豊沢さんと落合い、レンタカーで石見銀山へ。のはずが、さっそくやんちゃな熊谷さん、西條を通ると、降りて加茂鶴を飲んでいきましょう、ということになり、私は冷や冷や、きょうは4時から私たちが「震災後のまちづくりを考える」というセッションを群言堂鄙舎ですることになっているのだ。

「せっかくお見えになるのに便乗して悪いわね」と群言堂のオーナー登美さんはおっしゃるが、島根にいると東北の震災は遠いことに思えるという方たちに現地を知っていただくチャンスである。聞き酒をしては「後はまゆみさんに頼みます」「豊沢さんお願いします」といいながら飲んでばかりいる熊谷さん、けっきょく石見銀山に着いたのは三時すぎだった。群言堂では「暮しの手仕事を見直す」暮しの学校を立ち上げ、今回が第一回だそうである。しかし豊沢さんがちゃんと映像もまとめてくれていたし、いつも冗談しかいわない熊谷さんが人前に出ればちゃんと話すことに感動した。いつもそうやってよ。

5月27日

2013年6月24日 月曜日

朝から順天堂で、脳の血流検査、MRIの検査、淡々とこなす。それにしてもこの病院、中が迷路のようで分りにくい。前にきたときの血液検査の結果もでた。親切でにこやかな新井先生は「この前は5年前ですね。そのわりに脳も萎縮していないし、なに一つ異常がありません」。そのあとに「お酒は控えた方がいいでしょう。アルコール性健忘症というのがありますから」、たぶん私の物忘れはそれに違いない。でもその夕べ、『震災日録』の打ち上げで人形町笹新で新潟の山古志を飲んでしまいました。

5月26日

2013年6月24日 月曜日

朝からワークショップやシンポジウム。住民よりも研究者やコンサルタントなどが多く、しかも前の方に彼らが座っているのが気になった。住民が主役のはずだから前に座ってもらったらどうか、と余分なことを言ったが、宮城の人々は遠慮深くて恥ずかしがりなようで、無理に前の席を勧めると帰ってしまいそうだ。

行政は海辺には町を放棄して、第六次産業化をすすめるプランを描いている。いわくメガソーラーとか、水産加工とか。そうした巨大で金のかかりそうな、あまりよく考えられてもいない行政プランに、同じような完成されたプランで対抗しても意味はないだろう。貴田さんという方が10平米の小さなコヤを建て、木造のデッキに椅子を並べ、ピザ釜を作って住民の語らいの場にしていらした。こうした小さくて工夫にとんだ試みが私の考える「もう一度ここで」のまさにイメージだ。あまりきれいで理想的なプランを語る人がいると「何度も考え直せばいいんだよね」と思わず隣りの結城登美雄さんにつぶやいてしまった。「そういうことです」と結城さん。震災復興は絵に描いた餅でなく、試行錯誤と臨機応変で行くしかない。

5月25日

2013年6月24日 月曜日

朝、高野博さんの案内で、初めて陸から女川原発を見る。まえ金華山ゆきの船の中からとおくに望んだ。そのくらい集落からは外れた山陰にある。

午後、荒浜フォーラムに出席、震災当日、宮城県警発表で荒浜で200人の遺体発見とのニュースに驚いたものだが、あれは誤報だったようだ。それにしても仙台市は、山の方は山形市と境界を接し、荒浜には海がある。政令指定都市だけど自然もゆたか。ビル街から15分も走れば海水浴ができたのだ。ここはNHKのドキュメンタリー『イナサ』『イグネ』の舞台。イグネという屋敷林に囲まれた昔ながらの豊かな暮らし、イナサと呼ばれる夏の風に呼応した漁師たちの暮らしがあった。津波はそれを根こそぎにした。松林はすこしばかりのこり、伊達政宗の土木事業貞山堀が海と並行に走る。これは海上が時化のさいにも安全に物資を運ぶためのものであった。

仙台市はここを災害危険地域に指定して、再建築不可としているが、ここに戻りたいという住民二十数世帯が黄色いハンカチをはためかせて、残る意志を示している。

5月24日

2013年6月24日 月曜日

朝の新幹線で石巻へ。松島で『女性のひろば』記者と落合い、門脇小学校など見学の後、北上町の熊谷さんのところでムール貝をご馳走になり、「ここち」で玉置浩二の若いころのような主人のおいしい料理を食べ、エルファロに泊まる。女川町議の高野さん、忙しいのに夜、話をしに来てくださる。福一は非常用電源を低いところにおいていたからだめだったが、女川は安全だった、というわけでもないいろいろなことを聞く。

5月23日

2013年6月24日 月曜日

『青鞜』辛酸、佳境にはいる。あんまり私が直すので、「永久革命はやめてください」と編集者ぽんちゃんの悲鳴、もうあとがき、参考文献、年表、生没年などに集中する。嫌いな人のことは書けないからなあ、いろんなところにあきれ、絶句しながら、やっぱりらいてうは群を抜いた地勢だとうならざるをえない。

5月22日

2013年6月24日 月曜日

夕方、本郷の真理ちゃんの家で、多児貞子さんを囲む会あり。岡山のおいしい魚やいろんな料理が並んだ。5時からちびちびやっていたら遅いお客さんが来るころには私は寝てしまっていた。