2012年9月 のアーカイブ

8月25日 「子」問題

2012年9月24日 月曜日

ドイツから清水里美さん、沖津の山梨道夫さん来る。きょうはすわ神社のお祭り。暑いので町歩きというより歩きのみ。まずはそば川村で喜楽長で穴子の天ぷら、鴨、たまごやき、せろり、それから神社、富士見坂、谷中銀座、また暑くて山岸で、うなぎ、鯉のカルパッチョ、肝やきなどでビール、それから須藤公園を抜けてわが工房に案内し、による被災地や福島の記録について、ドイツの脱原発に付いてなど話す。里美さんを千駄木駅に送り、みっちゃんと焼き鳥屋でビール、さすがに飲み過ぎ。

いつも悩むことであるが、『千駄木の漱石』でも女性の名前の不統一が気になる。
例えば夏目鏡子はこの名で本を出している。『漱石の思い出』。一般的には鏡子で通っているが、しかし戸籍名はキヨ、お鏡さんとも呼ばれていたに違いない。『道草』の妻はお住と呼ばれている。子どもも恒、お恒、恒坊などと呼ばれていた。
反対に漱石の母は千枝だけど千枝子なのかもしれない。家系図でも漱石の姉は澤、さわとあって澤子となっていないし、房、ふさ、とあって房子ではない。この曖昧な線引き。漱石の思慕の人も嫂登世、日根野れんは子がついていない。大塚楠緒子と楠緒は両方の表記がある。ややこしい。
森峰はわたしはずっとこの表記を使って来たが、『鴎外・母の日記』は森峰子著となっているそうだ。それはずっとのちに出した人がしたこと。大昔は男性にもかわいいを著す子を付けた。平安時代の宮中では一条天皇の彰子、定子が音読みで読まれた。しかし庶民の女性はみね、さだ、あき、りょう、いく、と二文字が普通で、それは明治になってもつづいた。しかし家族や知識人の女性が「子」を付けることをおしゃれと感じたり、手紙などあらたまった時に付けたりした。樋口一葉もなつ、奈津、夏子などといろいろ署名している。鳳しようが本名の与謝野晶子はしように晶子の名を当てた。
『鴎外の坂』でも峰、しげ、きよを使って喜美子、登志子を使うのはおかしいかったかも。結論、江戸時代生まれの人は峰、明治生まれは鏡子にした。

8月23日 芝居を観に埼玉へ

2012年9月24日 月曜日

映像蜷川演出によるオールメール、すべて男が演ずるシェクスピア『トロイラスとクレシダ』を見に行く。松岡和子による翻訳は例によってすばらしい。舞台装置と衣装はなんだか既視感がある。トロイラスの山本裕典はがんばっているのはわかるが、あいかわらずセリフが聞き取れない。クレシダの月川悠貴は声が低いのはともかく、ちっとも恋の情熱が伝わってこない。あとの俳優もシャウトしすぎ、たかお鷹と小野武彦のベテラン二人が印象に残った。まあ美しい青年たちを見に行ったようなものだけど。

8月21日 小諸藤村文学賞

2012年9月10日 月曜日

きのう、追分の油や旅館が改装して泊まれるというので行って見た。夜はまえのささくらなるおいしいそば屋で信じられなくおいしくてお値打ちなつまみでお酒を飲む。
油屋はこれまた奇しくも『羊の歌』で加藤周一が中学の頃、妹と1ヶ月滞在していた所で、ここで「ぼく、立原です」と自己紹介する詩人に好感を抱いている。油屋はいま経営を手がけている斎藤ゆうこさんの話しによると昭和13年に一回焼けて、そのときは立原は2階にいて危うく焼け死ぬ所だった。その後、前っかわに建て直す。そのへんのことも加藤周一は書いている。軽井沢を『金持ちと外国人と金持ちぶりたい人』のいる所、と書いている。いまもそうだ。以前の軽井沢は林間に軽やかな木の別荘が見えてそれでもよかったが、いまはみんな成金趣味のコンクリートとガラスのざまざましい建物がおおくなってまったくいや。
小諸のほうがずっといい、と言って新幹線開発から取り残されてしまった。そのため昭和の面影の残る店が多く、気持ちがゆったりする。今年は応募作の水準が高く、表彰式もたくさんの方が見えた。受賞者のおとうさんが川上村のレタスを持って来てくださった。レタスをもらって東京へ帰る。

8月20日 ソーラーシステム

2012年9月10日 月曜日

世田谷の北沢タウンホールでソーラーシステムをめぐる勉強会あり。保坂展人さんは八ッ場ダムの反対でもご一緒したが参議院議員より世田谷区町のほうが似合うみたい。
首長は権限を持って新しいことをどんどんやれるのだし。きょうわかったこと。
*東京では風力や地熱は無理なのでソーラーが一番実際的。
*初期の高くて壊れやすいソーラーを付けた意識の高い人は日本に30万人いた!
*2004年まではドイツより日本のほうがソーラーの設置は多く世界一だった!
*ドイツの原発は止まっているわけではなく、2022年の廃止に向けて留めている途中。それも政府は法律を変えて原発を再度やろうとしたが福島の事故であきらめた。
*世田谷では補助金も活用して一台72万円ほどのソーラーを1000付けることを発表、問い合わせもおおい。
*世田谷区では区の施設の電気を東京電力からでなくPPS(新規事業者)から買うことにした。問題は大口でないと他から買えない。PPSが少ないので、世田谷が買うことにしたら他の区はPPSから買えない現状。
*問題は、都市住民は集合住宅がおおいので、どうやってマンションでソーラーをやるか?屋上に付けるなどできるか?
*(ここが重要)行政でソーラーを付けても風車を建てても次の担当者に熱意がないとやめたり壊れたりする。個人宅でもつけたけれど故障していたり使ってないものが1ー2割ある。(私も新し物好きで付けても、すぐ飽きちゃいそうです。物理化学2だし)
*そのためソーラーの持ち主のネットワーク化、故障の相談が必要。
*ソーラーの難点は蓄電が難しいこと。
*売電法以来、大きな業者がどんどん発電に参加しはじめている。
*日本は風力、地熱、水、森林と資源に恵まれた国。(資源のない日本という言い方に載らないようにしなくては)その上技術もある、という希望の持てる話だった(以上文責森)。
大事なことはコミュニティで個々が協力して発電や売電出来るという所で、設けるためのメガソーラーなんて話に乗ってはいけないということ。

8月19日 りんご野

2012年9月10日 月曜日

岩城さんという女性が見えた。青森出身でもと映像関係の仕事、パリ在住の藤本さんというマンガの翻訳家の同郷人と友だちのりんご園と協力して福島の子どもたちに汚染されていないりんごを送る活動をしている。ペクチンがセシウムの排出にいいという論文はチェルノブイリのあと、けっこうあるというが、それは別として汚染されないおいしいりんごを食べることはいいことだと思う。興味ある方は
りんご野 http://ringono.com/
その一方、『真実はどこに』という映画の日本語版を作り広めている。これまた興味深いものである。

8月18日 石巻の坂下さん

2012年9月10日 月曜日

久しぶりに石巻市北上川河口の坂下清子さんと連絡。息子さんは被災した製紙会社でリストラに会い、そのため社宅には住めなくなったので、仮設住宅にはいったが、震災から一年以上たっていたので、もとの集落の人たちとは違う所に入らざるを得なかった、と聞き驚く。それでも三部屋あるし、息子さんは福祉の仕事の勉強をし出した。旦那の健さんは毎日海にいっては刺し網をしたりして元気、私は手をついて骨折してしまったの、という。またまた驚く。なかなか東北に行けないでいる。
加藤周一『羊の歌』で気になった一節。
「すべての事件は、全く偶発的にある日、突然おこり、一瞬私たちを驚かしただけで、忽ち忘れられた。井上蔵相や団琢磨や犬養首相が暗殺され、満州国が承認され、日韓議定書が押しつけられ、日本国が国際連盟を脱退し・・・しかしそういうことで私たちの身の回りにはどういう変化も生じなかったから、私たちはそのことで将来身辺にどれほどの大きな変化が生じ得るかを、考えてみようともしまかった」(『羊の歌』)
オスプレイの配備、尖閣列島、竹島で今起こっていること、毎週金曜日のデモ、そのほかがあと5年したらどんな意味を持ってくるのだろう。

8月17日 ケイコちゃんの鳥肉

2012年9月10日 月曜日

高知の安芸市の近くの山の中で土佐ジローなる地鶏を飼っている50代の男性に恋をして結婚した若い友人のケイコちゃんが、鶏の手羽やもつやコマ肉を送ってくれた。ほんとうは買って支えなくてはいけないのに、申し訳ないことだ。ありがたいことだ。
コマは親子丼に、もつはそーめん、トマト煮、手羽は塩焼きにし、残りの骨でスープをとってラーメンに。最後まで供養しておいしくいただきました。
土佐ジローがどんなに大切に飼われたおいしい鶏肉かについてはこちら。

http://www.tosajiro.com

気になったら注文してあげてね。それにしても元愛媛新聞記者は養鶏家と、高知新聞記者は蔵元と、共同通信記者は牛乳屋さんと、東京新聞記者は木工職人と、NHK記者は印刷所の人と、みんな取材先で体を使って働く男に魅了されたのかゴールイン。いいことだ!

8月16日 秋の新刊ラッシュ!

2012年9月10日 月曜日

今日も来客のおおい一日だった。7月に『町づくろいの思想』がみすず書房からでました。いま本がなかなか売れないのは知っているし、2400円という値段が高いのもわかる。だから買って読みましたと言う人がいると手をあわせたくなる。私としてはこれがこの5年間考えて来たことの集大成なので、それも元書いた「新たにす」という朝日・読売・日経の共同サイトはもうなくなってしまったので(いったいあれはなんだったのだろう)、インターネット上でも読めなくなっている。だからこうしてまとめてくれたみすずの守田さんには感謝して、本を買ってせっせと配っているのだが。
次に出るのは筑摩書房から『千駄木の漱石』これも筑摩のウェブに連載してから3・11が起ったりしてまとめるのに時間がかかってしまった。久しぶりの文芸大作!なのだが、版元に迷惑がかからないか、心配。往来堂の笈入さんががんばってくださるそうだが、みなさんのご支援をおねがいします。おもしろいと思います!
そして10月初めには亜紀書房から中島岳志さんとの共著『帝都の事件を歩く――藤村操から2・26まで』が出る予定。中島さんは北海道大学の教員で、『週間金曜日』の編集委員で、いま大阪の橋本市長と論戦中で超忙しいのだけど、3・11以降、二人というか仲間たちで歩きながら考えたことが詰まっている。
そして同じころ、中公文庫で『鷗外の坂』が二度目の文庫化される。ほんとうにありがたいことです。どうにか生誕150年中に出すことができる。そのためにもういちど鷗外の住んだ土地をたどり直しました。20年近くたって、向島も千住も全く変わってしまっていた。

8月15日 二十世紀の意味 

2012年9月10日 月曜日

敗戦の日。石堂清倫の『二十世紀の意味』を読む。実におもしろい本であった。東京大学新人会から左翼運動に加わり、転向して満鉄に勤め、戦後共産党に入るも除名、トリアッティやグラムシの翻訳もして90代まで長生きされた。20世紀をまるごと生きてその意味を問うている。社会主義の理想と現実、ソ連邦の実態、戦前の共産党の中にいたスパイたち、つかまったとたん党はなんの助けもしてくれない、そんなもののために命をかけることはなかったのだ、ということを書いている。少数精鋭の運動の時代は過ぎて、陣地の中で知的、文化的ヘゲモニーをとることの重要さ。それにしても野坂参三って何だったんだろう。
ゆたかはあしたからの仕事の段取りもあると言って昼過ぎに帰ってしまった。夕方からは加藤周一「羊の歌」を読む。うーん。むかし読んだ時は感じなかったが、あんまりハイソすぎてついていけない。

8月14日 岩﨑邸

2012年9月10日 月曜日

きのうから長男もお盆休みで帰って来たので、夜を徹して話し、こちらは眠たいが朝から仕事。息子たちはゆっくり寝て、昼からは二人で引きこもって甲子園を見て、3時半になったら「岩﨑邸を見に行こうか」と来た。宮大工なのに見たことがないという。親子三人で外出なんて20年ぶり。なんだかうきうき。岩﨑邸は公開されてから大変な人だ。こういう貴族の暮しに憧れる人がおおいのらしい。私はこの家の主、岩崎久彌の伝記を書いてまだ本にはなっていないが、尊敬すべき人である。それにしても戦前の財閥はすごいものだな。いくら孫正義さんがお金持ちでもこんな家に住もうとは考えないだろう。人海戦術でなければ保持できない。庭師、運転手、掃除係、食事係、洗濯係、お運びさん、宴会の時は芸者が着替えた部屋もある。久彌自身の家庭は清潔で妻ひとりを守ったようだが、客の接待には芸者さんがきたのらしい。広大な芝生の庭を眺めながら氷宇治白玉で涼をとる。
憶い出した。この先の庭に西郷が立って、不忍池を見下ろし、アームストロング砲を上野の山の彰義隊に打ち込んだのであった。夕方には京都から乾曜さんが見えたので谷中あたりをぶらぶらした。若い人と話すと心が弾む。