2010年4月 のアーカイブ

3月31日

2010年4月15日 木曜日

彩の国さいたま劇場で「ヘンリー六世」。1時に始まり、9時に終わるというので悩んだが、いってよかった!堅固で緻密な翻訳。斬新な舞台美術、テンポが早く飽きない蜷川演出、好き嫌いはあるにしてもジャンヌ・ダルクと王妃マーガレットを演ずる大竹しのぶはいまや超絶大女優だし、それと不倫の恋のイケメンのサフォーク公池内博之を見るだけでもたのしい。健闘していたのはヨーク公役の吉田鋼太郎、トールボット卿役の原康義やグロスター公の瑳川哲郎。若手は声が濁ってただ叫ぶばかりの人もいたし、草刈民代はいい役なのに棒読みだった。いろいろあるけどまったく飽きずに楽しめた。それにしても休みごとにトイレからホワイエまで長蛇の列は見好い景色ではない。全国男の建築家が設計したホールはまったく女性用トイレが不足。

3月30日

2010年4月15日 木曜日

映像ドキュメントの仲間たちはこのかん、普天間についての記者会見、 研究会などを取材に行き、ホームページにアップするほか、ユーチューブでも見られるようにしている。市民メディアとしてすごい活動だが編集が大変で、ときに生活のための仕事を犠牲にせざるをえない。私も映像がたまって行く一方でそれをどうするか、編集を手伝ってくれるボランティアがいないか。といっても編集も命なので自分の考えを理解してくれる人でなければいけないしーーーうーん、編集期を買って覚えるか?あんたは書くのが仕事でしょ、とまた怒られてしまう。

3月29日

2010年4月15日 木曜日

一日、原稿書き。よるデリー大学のタンカ先生、水道橋で会う。まえにデリーを案内してくださった。インドの結婚式で理解できなかった所を伺ったり、ガンジーについて、非暴力非戦運動について、西村伊作や幸徳秋水についても話す。この間、角田房子さんなくなった。「閔妃暗殺」今村均や本間中将の伝記は忘れられない著作である。一回だけ李進煕先生の会でお会いしたことがあった。大森実さんもなくなる。ある時代が終わった感じ。

3月28日

2010年4月15日 木曜日

一日、原稿書き。真央ちゃん、世界選手権で金メダルよかったな。普天間は相変わらず迷走中。桜がほころびはじめたのになんという寒さだ。夜、蔵に「船、山にのぼる」の本田監督を御迎えする。ダムとわたし映画祭の打ち合わせ。ものしずかな若い人の話を神妙に聞こうとしたのにお酒が入るとヤマサキと私はついつい饒舌になり、いやあ失礼しました。ダム映画祭、スゴイラインナップ、是非ぜひきてください。

3月27日

2010年4月15日 木曜日

ロンドンより森島瑶子さんがきていらして、この前はたせなかった谷根千めぐり。まずしだれ桜のきれいな安田邸へ。今日もわが母と妹をふくめボランティアの方達十人以上、大松さんが愛情を持って説明してくださる。戦前は神戸の邸宅にお住まいだった瑶子さんは壁の下の方に和紙がはってあるのを見て「なつかしいわねえ。うちもこんな風にしてた」と声をあげる。須藤公園、よみせ通りでうなぎで昼食。谷中銀座から墓地のお墓めぐりをして桜木町、カヤバ、御稽古横町をぬけて根津へ。瑶子さんは世界的な経済学者でロンドン大学教授だった森島通夫先生の夫人だが、ほんとに気さくで話の好きな方。今日もイギリスの教育、子育て、こども手当についていろいろ勉強になった。こども手当はイギリスの場合、飲んだくれの亭主が週給のサラリーを妻に渡さないので、直接、妻に子供を養う金を与えたのに始まるそうな。役所に取りに行くので、必要ないと思う人は取りに行かない。日本もそうしたらどうだろう。振込だと人様の税金からもらっていることを忘れてしまいそうだし。お母さんが子供に使うかどうか、我が子を最近は虐待するお母さんが多いから、というと「新聞で見てたら、あんな凝った名前をつけたのにねえ。つけたときはかわいいと思う心はあったんでしょうに」。面白い感想だ。

3月26日

2010年4月15日 木曜日

旅の疲れか、春眠あかつきを覚えず。ヒロシは年中寝てばかり。ヨガの教室に行ったら今日の先生は今までで一番哲学的だと思えた。ヨガの思想を理解せず、やたら難しいポーズばかり次々やらせるのはこまりものだ。夜、集英社の瀧川さん、私のエッセイ集を編んでくれたおかもとさんと文庫のタイトル相談。浜離宮ホールで大塚直哉さんのチェンバロ、ゴルドベルク変奏曲全曲きく。サトコと久しぶりに築地場外イタドリへ

3月25日

2010年4月15日 木曜日

唐津、重文高取邸を見て、福岡に帰る。ケイヨウさんと長浜ラーメンを食べる。今日は九大の卒業式らしく花束を持ったスーツ姿でラーメンを食べている。おつゆはねないのかな。わたしはかためのメンを頼んだがこなっぽいし固すぎた。替え玉で普通を頼み直したが、まだ固い。なのに学生たちはばりカタを頼んだり、なま!と叫んだり。なまは一秒ゆがくだけらしい。消化に悪いんじゃないの。いや馴れるとあれがうまいんです、だって。四百円。私はアジア美術館で下ろしてもらう。夜七時、東京着。ちょっと寝てヤマサキのいる白山の映画館に行こうと思ったが、ちょっと寝たら朝だった。

3月24日

2010年4月10日 土曜日

阿蘇は雨。朝、また二箇所湯に入る。混浴のスズメの湯も人がいなくてするりと入れた。地獄温泉清風荘は朝ご飯がスゴイ。炭火が起こしてあってそこでおつゆもあたため、海苔もあぶれるし、パンまで焼けちゃ
う。おかみさん、さらりと挨拶に。三人の息子がそれぞれ特技を持って宿をついでいる。こんどは息子さんのフランス料理を食べてみよう。なんてすばらしい子育て。やっぱり十本の指に入る宿だ。信行桜を観に行
く。故事逸話の有るスゴイ一本桜なのにすぐ近くにテントをはって拡声器でイベントをやっているのはどうしたものか。
昼、唐津につき、辰野金吾の弟子の設計した唐津銀行の修復を見学。文化財指定するためか、忠実な原型復元で中を銀行の窓口で仕切ってあって活用が難しそうだ。夜、九州電力の創立者、大島小太郎邸がこわされるというのに反対する市民の集会で急遽、お話をすることに。洋々閣のすばらしい夕食にどうにか間に合った。女将から高取邸保存の経緯など聞く。よどみなく話す日本語がきれいで、語彙が豊富でこのまま起こせばすぐ本になるのにな、などど編集者根性がでてしまった。

東京駅の設計者辰野金吾の故郷唐津では辰野ゆかりの唐津銀行が修復を終えて公開を待っていました。

東京駅の設計者辰野金吾の故郷唐津では辰野ゆかりの唐津銀行が修復を終えて公開を待っていました。

唐津の名旅館洋々閣に泊まり、重文高取邸の保存に奔走された女将大川内さんと盛り上がって せっかくのお料理もよそに資料拝見となりました。

唐津の名旅館洋々閣に泊まり、重文高取邸の保存に奔走された女将大川内さんと盛り上がって せっかくのお料理もよそに資料拝見となりました。

洋々閣4代目ご主人によれば,戦後は佐世保の進駐軍将校も来たとのこ  と。最初のお客はフランクリン・ルーズベルト3世で彼が口コミで 広めてくれたとのこと。建築は大正初年、庭も広く料理旅館としても知  られています。

洋々閣4代目ご主人によれば,戦後は佐世保の進駐軍将校も来たとのこ と。最初のお客はフランクリン・ルーズベルト3世で彼が口コミで 広めてくれたとのこと。建築は大正初年、庭も広く料理旅館としても知 られています。

3月23日

2010年4月10日 土曜日
谷根千草創期に何かと手伝ってくれた藤原恵洋さん馨さんと,阿蘇の地  獄谷温泉で旧交を温めました。 恵洋さんは九州大学の建築の先生、馨さんはオイリュトミストです。初  期の谷根千生活を記録する会の事務局のほか、『かおりのエプロンサイ  クリング」が谷根千6号から掲載されています。

谷根千草創期に何かと手伝ってくれた藤原恵洋さん馨さんと,阿蘇の地 獄谷温泉で旧交を温めました。 恵洋さんは九州大学の建築の先生、馨さんはオイリュトミストです。初 期の谷根千生活を記録する会の事務局のほか、『かおりのエプロンサイ クリング」が谷根千6号から掲載されています。

3月23日

2010年4月10日 土曜日
天草で塩を焼いている人に会いました。

天草で塩を焼いている人に会いました。