2018年7~8月のブログ 東京で働きづめの7月 
7月24日 谷中のイロハにて

2018年8月30日

夜にKlass 「谷根千のイロハ」二回め。イロハは江戸時代、天王寺門前にあった岡場所いろは茶屋をかけているつもり。受講者3、4人かと思ったら今回も20人以上来てくれた。いやあ、地図をネタに町の歴史を語るのは面白いなあ。帰りに最近、宮崎晃吉さんたちが経営を引き受けた団子坂途中の「レインボーキッチン」へ。ここのハンバーガーは本式のおいしいものですが、ビール二杯飲むと3000円はちょっと痛い。

初めて三崎坂上「東京バイク」の社長さんに会いました。

2018_jul_01_1

7月25日 谷根千入門書

2018年8月30日

この連続講座をまとめて、「谷根千のイロハ」とかいうわかりやすい入門書をかけないかという気分になる。

「谷中スケッチブック」、「不思議の町根津」、「千駄木の漱石」も書いたし、雑誌「谷根千」でもずっと地誌について書き続けたけどちょっとマニアックな感じ。もう少し、この地域に馴染みがないが、少しは知りたい人のために。半藤一利さんになったつもり?でわかりやすく解説してみたい。

暑さのため今年、京都の祇園祭の行列が中止になったとか。

7月26日 フランソワと土曜日

2018年8月30日

20年前、鶴見俊輔さんに「戦前に森さんみたいなことをしていた人ですよ」と京都で「土曜日」という反ファシズム人民戦線の楽しい雑誌を出していた斎藤雷太郎のことを書くように勧められて取材していたのだが、なかなか連載媒体もないので進まず。「暗い時代の人々」に一章書いた。今頃になって、集めた資料や鶴見さんへのインタビューなどがゴッソリ出てきた。これはもう一回書きなおさねばならぬ。最初に本にしたいと言ってくれた「かもがわ出版」の三井編集長が東京に来られるというので、なん年ぶりかで会うことに。これも神保町「笑酒」。三井さんは偶然にも、我がはとこの夫君でもある。

7月28、29、39、30日 アートイベント

2018年8月30日

越後妻有アートトリエンナーレ第7回。招待状が来たので、今年は久しぶりに行くことにした。と言っても招待は券だけで、交通費宿泊費、食費その他自分持ち。それは当然。限られた予算でよく続いているものだと思う。プロデューサーの北川フラムさん、「来てくれて嬉しいよ」というので、私も嬉しい。二泊三日の北川ガイドのオープニング贅沢ツアー、土地のことをよく勉強しておられるのに感服。今では台湾、香港、韓国からもボランティアの若いスタッフがたくさん来ている。1日予定を伸ばし、日曜の夜、気になっていたゲストハウス「山の家」に泊まる。このことについては来年三月ごろの「地域人」に書く予定。

2018_jul_01_2

2018_jul_01_3

2018_jul_02_1

2018_jul_02_2

2018_jul_02_3

2018_jul_02_4

2018_jul_02_5

2018_jul_03_1

2018_jul_03_2

2018_jul_03_3

2018_jul_03_4

2018_jul_03_5

2018_jul_03_6

30日午前中に東京に戻り、急いでレジュメを作り、4時から東大の鈴木淳先生の研究会で、霞ヶ丘の住民たちのオーラルヒストリーについて発表。現場主義の若手歴史家たちの鋭いツッコミと彼らの知識に、本当に勉強になった。

8月1日 再文庫化

2018年8月30日

集英社の青木茂さん見える。私の「彰義隊遺聞」を二度目の文庫化を集英社からしてくださるという。嬉しいことこの上ない。今年は「明治維新150年」ということで、大河ドラマは「西郷どん」だし、政府は明治維新を偉業として讃えるイベントを企画している。しかし近代化はいい事ばかりではなかった。鎖国は破られる必要があったとしても、その後の戦争で死んだ人よりも、開国による流行病で亡くなった人の方が多いのではないか。また、徳川幕府は少なくとも260年、他国を侵略しなかったが、維新政府は欧米列強みたいになろうとして、明治5年の台湾に始まり、侵略と植民地化を進めた。

徳川幕府は制度疲労し、幕臣は無能ばかりという見方も解せない。どうにか薩長藩閥史観でない歴史を伝えたい。という事で、12月刊行はやや遅いような気もするが、

徳川家に準じて死んだ人々のことをもう一度、読み直す。楽しみ。

8月2日 芝の協働会館

2018年8月30日

今日は青木繁さんがリノベーションされた芝の協働会館を見学することにして申し込んだが、炎天下、体調も悪いし忙しくて諦める。これは旧花柳界の見番だった建物で、その後、海員などの共同住宅になり、壊されそうというので、20年以上前、保存運動にかかわって何度か行った。現在は港区の建物らしい。その近くがそれこそ、勝海舟と西郷隆盛が江戸の無血開城の条件を話し合った三田の薩摩屋敷である。

東京医大での女性受験者、浪人への不当な足切り、許しがたい。こんな不公平な採点をしたのなら、試験をやり直すか、少なくとも受験料は返すべきだ。伊藤詩織さんの「ブラックボックス」の書評を書くときもいろんなフラッシュバックに苦しめられたが、今回は、自分が就職活動で受けた様々な不当なことを思い出した。

私くらいの歳でも仕事を続けている女性は、就職にコネがあったか、その後の逆風の中でともかく諦めずに歩いてきた人ばかり。私も学生時代に商社マンの恋人でもいたら、駐在員夫人に収まってたかも。全学部で30人(全体1200人)しかいなかった女子学生は多くそんなことになった。あるいは弁護士とか医者と結婚した。歩んできた道の険しさに今更ながらため息をつく。でも渦中にいた頃、終始けろっとしていたな。それが若さというものかも。

8月3日 母の聞き書き

2018年8月30日

今89歳の母の聞書の冊子を作っている。「私の浅草、家族の千駄木」。幼稚園の上組で2・26事件を目撃、16歳で下町の大空襲を生き延び、疎開先で二度のコメ作りをし、歯科医となった母にはいろんな面でかなわない。30年、いろんな人のオーラルヒストリーを聞いてきたのに、灯台下暗し、身内の話は聞いていない。父の話は聞かないうちに他界した。

母の育った戦前の浅草の写真を入れたいな、と思い、台東区に問い合わせてみた。デジタルでお貸ししますというのはいいが、借りたい趣旨と申請書を書いて申し込み、それを審査して二週間で用意ができたら送るが、一度は窓口まで来てもらわなければならない、とのこと。8月中に仕上げたいので、間に合いっこない。

デザイナーの板谷さんがこんなのあるよと、ニューヨーク市立図書館のサイトを教えてくれた。そこにはキーワードさえ入れれば、パブリックドメインのタダで使える写真が出てくる。浅草も何枚かあり、一瞬のうちに使いたい写真がタダで使えることになった。このくらいのサービスしてほしい。

「東京人」連載中の証言を求めに吉祥寺まで行く。また一人素晴らしい男性に出会って嬉しかった。話し足りず、豪雨の中を飲みに行く。

8月4日 再び五十肩

2018年8月30日

このところ、二度目の50肩。いずれ治ると言われ、前の時は一年少しで軽快だが今度は治らん。痛みがある。筋肉が傷ついているのかもしれない。曙町の循環療法の先生に診てもらう。とっても居心地がよく、つい長居してしまう。右手が動かないので、いろんなことが差し支える。

午後には全生庵の幽霊画をも一度見に行く。「なごみ」という茶道の雑誌から「円朝と茶の湯」というお題で原稿依頼があったので、最近発見されたという鏑木清方の「お茶を献上するお菊さん」を見るのが目的、これも円朝の「菊模様皿山奇談」からだろう。

NHK「英雄たちの選択」で「上野彰義隊」のテレビを見たという人から連絡あり。いつ放映か知らないし、どうせうちにはテレビはない。炎天下に上野の山を歩いたこと、その帰りに帽子をなくしたこと、を思い出す。スタジオではあまりにライトが眩しいので、しまった遮光レンズのサングラスを持ってくるんだった、と思ったが後の祭り。でもサングラスでは資料が読めない。かなり長く収録し、私は「西郷さんの立場で彰義隊を打つかどうかなんて考えたことはない」といったのに、その辺はカットされていたらしい。テレビに利用されるのは終わりにしたい。

ツイッターでも「彰義隊びいきなはずの森まゆみが西郷の彰義隊追討に賛成」

などと書かれている。ただ、大きく体制が変わる時に、上野戦争は武士同士の意地をかけた必要な戦いで、大義のために死んだのだから、以て瞑すべし、と思う。なくなった彰義隊士は満足して死んだと思う。でも大河ドラマ盛り上げるための番組なのかと思うと憂鬱。

8月5日 オリンピック予算6倍に

2018年8月30日

最後まで東京オリンピックに反対すると言っていた久米宏さん、電通やゼネコン批判にまで踏み込んで発言している。偉いな。隈研吾設計、大成建設施工の新国立競技場建設では現場監督に過労自殺者が出た。だけど前のコンペで「みんなで作ろう」と呼びかけて大論争になったためか、今は粛々と秘密裏に建設が進んでいる。

これも1500億の予算でコンペをやったはずなのに、経費は増え続けている。だから前の国立を700億円で改修しておけばよかったのになあ。

他にもオリンピックのためにたくさんの競技場を建設中だが、これらはコンペもしないで、多分ゼネコンがあちこちに作っているはず。私は今は、霞ヶ丘アパートの住民との連絡を絶やさないことくらいしかできない。かのNHKでさえ、当初の見込みの6倍、一兆8000億円に五輪予算が膨れ上がったことを報じている。

「一番安上がりの、環境に負荷をかけないオリンピック」という猪瀬都知事の最初の掛け声はどこへ言ったのか。森山高至さん、引き続き築地の移転問題にも果敢に発言していて、偉い。

今日見たニュースというか読者の投稿で戦時中に飼い猫の供出があったという証言を読む。これは初めて知ったこと。びっくり。猫の皮を何につかたんだろう。

8月6日 友遠方より来たる

2018年8月30日

古巣の朝日新聞出版に戻った山田智子さんが、新しい本のための連載メディアを見つけてくれたので、これを始めるために打ち合わせ。でもウェブなのでほとんど原稿料は出ないようだ。でも締め切りがあり、取材費が少しでも出るだけでありがたい。

よる、ハーバード大学の図書館司書を務める友人のくにちゃんが来て、二人で水道橋で飲む。どこにしようか相当悩んだが、初めての海産物の居酒屋さん、なかなか居心地よくやすい。