8月2日 芝の協働会館

今日は青木繁さんがリノベーションされた芝の協働会館を見学することにして申し込んだが、炎天下、体調も悪いし忙しくて諦める。これは旧花柳界の見番だった建物で、その後、海員などの共同住宅になり、壊されそうというので、20年以上前、保存運動にかかわって何度か行った。現在は港区の建物らしい。その近くがそれこそ、勝海舟と西郷隆盛が江戸の無血開城の条件を話し合った三田の薩摩屋敷である。

東京医大での女性受験者、浪人への不当な足切り、許しがたい。こんな不公平な採点をしたのなら、試験をやり直すか、少なくとも受験料は返すべきだ。伊藤詩織さんの「ブラックボックス」の書評を書くときもいろんなフラッシュバックに苦しめられたが、今回は、自分が就職活動で受けた様々な不当なことを思い出した。

私くらいの歳でも仕事を続けている女性は、就職にコネがあったか、その後の逆風の中でともかく諦めずに歩いてきた人ばかり。私も学生時代に商社マンの恋人でもいたら、駐在員夫人に収まってたかも。全学部で30人(全体1200人)しかいなかった女子学生は多くそんなことになった。あるいは弁護士とか医者と結婚した。歩んできた道の険しさに今更ながらため息をつく。でも渦中にいた頃、終始けろっとしていたな。それが若さというものかも。