2009年12月 のアーカイブ

12月31日

2009年12月31日 木曜日

何も仕事する気起きず、紅白歌合戦を何十年ぶりかでまともに見る。
うまい人はみな昔の歌を歌っていて代わり映えせず。布施明も和田ア
キ子も森進一も石川さゆりも。新曲の連中はほとんど下手だし、
曲も自分探しみたいで詩も曲も似ている。といったら身近にコブクロや
ゆずのファンもいるので新年会ではそういうことを言わないように、
と釘を刺される。
大体こぶくろとかゆずなんて男のグループにつける名前か?嵐ッ
て出来の良くないスマップね。仲間由紀恵も原監督も「素晴らしい」
とか「感動した」しかいうことないのか?と画面にけちをつけている
と「お母さんは思ったことそのまま口に出してKYもいいとこだ」と
ヒロシに怒られる。こういうとき、須賀敦子の「ミラノ霧の風景」に
出てきたイタリアのおばあさんのセリフを憶い出す。
「悪口言っときゃまちがいない」。須賀さんの悪口もそりゃ辛辣だった。
なつかしい。

12月30日

2009年12月30日 水曜日

佐野洋子「役に立たない日々」を読んでうれしい。そのとおりそのと
おり。いつまでもこんなエッセイ書いてほしいな。佐野さんに会った
ことはないが
岸田衿子さんの話にはいつも佐野さんが生き生きと出てくるので、知
らない人とは思えない。衿子さんの話はとっても長くて、電話で話し
ていても受話器を持ったほうの手が筋肉痛を起こすほどだが、「吾輩
は猫である」の天障院のご祐筆さまみたいに、芋づる式に親しい人が
出てきて、その描写がなんともいえず面白いので電話がかかってくる
のが楽しみだ。
夕方、新宿のはじめてユニクロにはいって、ものすごい混雑のなか、
ヒートテックのシャツとタイツをかう。人気で色もサイズも不足。ユニクロが
日本を滅ぼすといった論がにぎわっているが、とりあえず冷え性対策に
役立つ商品は有り難い。恒例の年末チャイナ、石橋さん手づくりの
中華おせちを持って帰る。

12月29日

2009年12月29日 火曜日

ヒロシが帰って来て「お母さん、これ着てみな」と言う下着。ユニク
ロのヒートテック。ご高名はかねがね承れど着るのは初めて。もの
すごくあったかい。この上に薄いのを一枚着るだけで十分だ、とい
う。外出時にはその上にコートを着ればもこもこしない。なるほど。
高野山で外仕事のユタカも愛用しているという。これ着て映像の仲間
と編集ののち、蔵をみてもらい、来年のことを考えようとまたまた忘
年会。二十三日にやったばかりなのに?
十時過ぎ、みんなでブリックワンになだれ込み、ダンサー熊谷さんと
このおいしい料理でまた飲む。帰ったのは2時近かった。

12月26-28日

2009年12月26日 土曜日

能登。七尾へ行く。

12月24日

2009年12月24日 木曜日

クリスマスイブだというのに一人で仕事。整体院のK先生からメリークリスマスのメール。この方は大好きなお友達。私より若いのに、文革に翻弄され、重点大学の理科を出たが農村で働き、結婚し、一女をもうけ、日本に来て、翻訳通訳も含めいろいろな仕事をしてたくましく生きている。

鳩山首相の元公設秘書らが政治資金にからんで起訴。首相の記者会見を見る。毎月1500万円の「こども手当」をお母さんからもらっていたと言う。それを知らないと言う。考えられない話ではある。脱税はきびしく追徴すべきだが、今頃なんでこんな話が出てきたんだろう。辻元清美さんの秘書給料の流用疑惑もなんであんなタイミングでと思ったが、今度のもいざという時の隠し球というかんじ。税務署だってもっとずっと前に知っていたはずなのに。少なくとも小沢と西松建設のように利権や受注がからむ話ではない。ダーティな金ではないというが、ブリジストンの労働者を搾取した金ではあるな。

私は鳩山安子さんを音羽御殿で取材したことがある。それは私が大学に通う毎日、階級的憎悪を感じながらバスから眺めていた屋敷だった。文京区では鳩山派の人びとはそこに初夏の薔薇の咲くころに招かれるのだと小さい頃から聞かされていた。まるで皇居の園遊会である。しかし会った安子さんは上品で気さくな方で好感を持った。屋敷も財団法人にして貸し出し、管理が大変なんですのよ、と御自分は築地のマンションに気楽に独り住まいだそうだ。またそのころ、鳩山由紀夫さんには愛人騒動があり、由紀夫さんと邦夫さんの仲が悪いことも取りざたされ、毎週木曜日の新聞を開くのが苦痛だといっていらした。女性週刊誌の広告を見るのが嫌だというのである。政治家の一族も大変だなあ、と思った。

まあ法務大臣時代、かなりの死刑執行に判を押した邦夫氏より、まだ由紀夫氏のほうがいい。だが祖父譲りの友愛といったって文部大臣として瀧川事件など自由や友情を弾圧したのは鳩山 一郎である。天皇が即位二十年で「歴史がわからなくなってきている」と発言したが、こういう鳩山家代々のしたことも今の若い人は日本史が必修でないので知らないだろう。日本史は必修にすべきだと思う。しかし悩ましいな。舛添元大臣は今こそ独裁者が必要だなどと言っているらしいが鳩山政権をワイマールにするわけにはいかないし。

12月23日

2009年12月23日 水曜日

NHKにいらした伊藤律子さんがなくなったのを知る。なにかのシンポでご一緒
した。さすがに切れるエグゼクティブな女性という感じであった。
寺田寅彦の住んでいたあとを見に自転車で旧原町や曙町をめぐる。夜は映像ド
キュメントの仲間と忘年会。この日、友人の北沢猛さんがなくなった。
横浜の市職員だった若くてすらりとした北沢さんは保存運動の初心者だった私
たちに取っては頼れるお兄さんだった。一緒に歩いたヨコハマ、神田、越前な
どの風景が思い浮かぶ。東京大学の先生になってからいろんな委員などをさ
れ、かなり無理されたのかなあ。最後に横浜の会議であった時、わざわざ遠く
から来てくれたんだから、と中華街でおそばをごちそうしてくれた。

12月22日

2009年12月22日 火曜日

丸森から登米に行き、油麩丼なる名物を食べる。ハット汁付き。ハット汁はワ
ンタンみたいな物のはいったひっつみ、少し味があまじょっぱい。
伊豆沼に行ったが白鳥はまだ帰っていない。長沼のビーナスの湯で絶景と白鳥
を眺めつつ入る。しお湯。いかにも民営のごちゃごちゃした感じ。

12月21日

2009年12月21日 月曜日

四手井綱英先生がなくなられ、お宅に一つも先生の声や映像がないとのこと
で、夫人から前に私のインタビューした番組を欲しいとあちこちの出版社へ私
あての手紙がきた。それから大変。NHKは著作権があって番組のDVDなど
外へ出すわけにはいかないという。先生あってこそ成り立っている番組で、
それを見せてお金を取るのでもないし、ただ記念として遺族が欲しがっていると
言うことをわかってもらうことはできなかった。すべての出演者がそんなことをいっ
てきても対応できないというのである。
NHKは出演者には著作権を放棄するようにいい、視聴者のお金でつくった
番組を高額で売り、またはオンデマンド視聴からもお金を取り、子会社は
天下り先になっていて、しかももうけているし、なんだか納得できない。
私が子会社である放送出版協会に缶詰になってテキストを書いた時なんか、
豪華保養所に一週間に4人しか来なかった。なのに、管理人夫婦は何もせず、
ベッドメイキングも、庭の草むしりもパートをよんでやらせていた。さらに私の
泊まった部屋は執筆室、寝室,居間、台所、トイレ、資料室の付いたもの
すごい広い部屋で、バカラのグラスとか輪島塗とか何客分もあって、聞けば
前の社長が家族や接待で愛用したとのことだった。みなさまのNHKがたくさんの
子会社を持っていたり、コネ入社が多いというのはメディア界では有名なことだ。

12月20日

2009年12月20日 日曜日

仙台で文学館の講座。お昼に着いたので、牛タンでも食べようかと思うが、3
階の牛タン通りはいっぱいなので、一階の店に行く。芯たんと言って肉は柔ら
かかったがものすごい化学調味料の味が舌に残りしびれた。化学調味料を今さ
ら使うなんてと思うが、一部の自然食愛好家や私のように病気をすると気をつ
けるものの外食はいまだにひどい調味料漬けである。毎日ラーメンを食べない
ときがすまない若者もいるという。あとでシェフのひろしさんに聞くと、たん
もほとんどアメリカ産などで、あれで中国産がはいってきたらヤバいですよ、
という。まえに塩竈で聞いた話では給食に土地の名産のささかまを出そうと言
う話があったが、反対があったと聞いた。原材料も添加物もよくわからないから
練り物は危ない。一軒だけ無添加でささかまを作っ
ている店があると聞いたが、別に探してまで食べたいほど好きではない。も
うひとつ宮城に行ってから塩竈というしょっぱいんか甘いんだかわからない名
物菓子を二度いただいた。しかも独り暮らしなのにでかいやつ。まいった。これ苦手だ。

12月19日

2009年12月19日 土曜日

一日家でしごと。嬉しい日。毎日貰い物の片付けばかり。うれしいが、柿が一
箱きて冷蔵庫がいっぱい。やっと食べたかと思う頃、りんごが一箱きて、まだ
キムチも焼き肉のたれもなれ鮨もたらこも小魚のあめ炊きもちりめんじゃこも
まだある。買い物に行かなくていいのはうれしいが、口の中がしょっぱくてたまに
カレーとかグラタンとか洋風なものが食べたくなる。