2月15日

きのう、作家の黒川創さんとメールでおしゃべり。賛同は彼なりの考えがあっていただけなかったが、私が30代で彼が20代で、世田谷区の編集ワークショップのインストラクターをした時のことをまざまざと思いだした。だいいち、「谷根千」を京都で最初に発掘してくださったのは父上の北沢恒彦さんだったし、そこから鶴見俊輔さんにもお目にかかったり、北沢さんはロンドンの森嶋さんともつながったり、と人間の不思議な網の目と考えてパソコンの手が止まった。
私のメールアドレスがさらされないように、守本さんがyamba@yanesen.comというあたらしいメアドを作ってくれた。やまんばになった気分。
「ここまで来てしまったのだから、ちゃんとダムをつくってくれ、という『地元の声』とされているものは、ハラキリを途中でとめられている人が相手に介錯をせまっているような、悲壮なものに感じます」。黒川さんのメールの言葉を何度も読み返し、ちょっと意気消沈してしまった。でも、私は八ッ場ダムは間違っているし、作ったらもっと大きな禍根を残す、という自分の信念に殉じざるを得ない。躯体の強度、地すべりの危険、上流の火山の爆発、浚渫や保守管理、ヒ素と酸性水の中和、なにをとっても……。