12月1日 蘆花公園から本郷

世田谷文学館で幸田文展の監修をさせていただいた縁で、青木玉さんのお話のお相手を務めることになり、この数日胃が痛かったが、久しぶりにお会いする玉さんはすごくきれいなお肌で、小豆色の着物をお召しで、深々と聴衆にお辞儀をされるのであった。いくらでもお話が出て、あと5時間くらい聞きたいことがあったが、向島辺りで時間切れ。それでも聴衆と駅で会うと「本当に聞きたいことを聞いてくださって」「大阪から出てきた甲斐があった」などとねぎらっていただいた。

この日、東大で槇文彦、磯崎新、原広司という三巨頭座談会があり、急行したため、申し訳ないことになった。建築の若い学生などは喜んだようだが、わたしにとってはあまり実りの多いものとはいえなかった。槇さんの「漂うモダニズム」については了解、しかし国立競技場についてはほとんど発言なさらなかったし、磯崎さんの時代による映像と建築の位置についてもちょっと外連味を感じたがまあ了解可能。しかし原さんは何を云っているかわからず。数学と宇宙研究の発展による空間の変容について話しておられたのだけど。磯崎さんの「オリンピックは都市が立候補するもので国が口を出すものではない。(正論)自分がザハだったら契約違反で訴えるかも」といったコメントはちょっと参考になった。