11月30日 青鞜の冒険

午後、千石のNPO現代女性文化研究所にて『青鞜の冒険』について話す。「らいてうの会」ほか、わたしより『青鞜』研究に年季の入った方もお出でになり冷や汗。らいてうと一時恋人のようであった西村陽吉は長嶋茂雄夫人のおじいさんだけど関係ないから書かなかった。そういうと「そういうの書いてあると面白いのにねえ」という人も。保持研の研究者、同郷の池川玲子さんに久しぶりに会う。20年以上前に彼女はまだ20代で、谷根千の近所にすみ何度か遊びにきてくれた。保持が茅ヶ崎の南湖院に住み込んでいた経緯。院長の高田こう安(田篇に井)が肺結核の患者の自立と殖産をかんがえ、軽度の患者は積極的に雇って事務を手伝わせたりして給料を払っていたことも知る。彼の墓は谷中墓地にあるが、らいてうの自伝は「たかだゆうあん」としている。これは「こうあん」がただしいらしい。またわたしの本は東雲堂に「しののめ」とルビを振っているが、これも「とううん」が正しいと池川さん。間違えてすみません。彼女はらいてうが戦争協力や優生思想を自己批判しなかったのは「そのときのうちなる声に従ったものでそれでいいんじゃないの」と私の「元祖スピリチュアル」にこたえていった。また翻訳家の方は「らいてうのエドガー・アラン・ポーの翻訳はとても早い時期。誤訳は多いけど、知りたいという気持ちに突き動かされたそれこそ冒険」という話も勉強になった。

旧望月百合子さんの住まいがこのようにきれいに改修され、女性の学びの場になっているのはすばらしい。岡田孝子さん初めスタッフの皆さんの献身を思う。