1月29日から旧友ジョルダン・サンドさんに誘われ、ミャンマーの首都ヤンゴンの下町の調査に行くことにしていた。とにかく出るだけで精一杯で、本の校正を一週間ですませ、28日の夜にはトランクに荷物を詰めて、と。朝になって、急に、ミャンマーってヴィザはいらないのかな、と疑問になる。やっぱりいるらしい。
前に陸路でタイから入ったときには現地で申請できたので、今回ヴィザを取らなきゃいけないことをすっかり忘れていた。でも当たって砕けろで、羽田に向かう。タイ国際航空でバンコク経由だ。カウンターで早速、「ミャンマー入国のヴィザはありますか」と聞かれて、「ないです、現地で申請する予定です」と言うと、「とんでもない、外交招待状のある人以外は無理です。こないだ来た人も家に帰っていただきました」と言われた。
「今から電子申請したら6時間以内にバンコクに着く頃は出てるんではないか」とか色々言ってみるが、「それも無理です。今日は日曜ですし」という。「じゃぁバンコクまで行ってウロウロしてます。そのあとの調査の予定もありますし」というと、順番に使う格安チケットなので、1でバンコクまで行ったところで2、3のヤンゴン往復が使ってないと4のバンコクから羽田には乗れないと言い出した。片道で買うとどうなるのって聞いたら100,000円はしますと言われたので、もうすごすご家に帰ろうかと思う。それでサンドさんに今回はリタイヤしますとメールしたところ、また戻ってみるとカウンターの女性が、電報打ちます、99%、帰りは乗れると思いますがそれなら行きますかと言われた。「いつもオタク使ってんだから頼むよ」と言ってそのままバンコクまで来てしまった。
羽田空港で河合桃ちゃんにバンコクの知ってる人を1人紹介してもらい、タイに詳しい槇さんに宿を取ってもらった。今までは誰かと一緒だったけど、初めて1人でスワンナプーム空港から空港シティーラインに乗ってペチャブリで降りてそれからMRTと云う地下鉄に乗り換えて北に上がったところのフェイクワンと言う駅に着く。そこからまた遠いので、スーツケースを引いて歩くわけにもいかず、シクロを雇って50 バーツが高いのかどうかわからないけどもKTゲストハウスに着いた。
まだ明るかった。緑に囲まれたとても静かで良いホテルで、広々していて、欧米人ばかり。家族連れもいる。NGOのメンバーも多いという。ただ欧米人がタイ人の彼女を連れているのもいる。のんびりするにはいいホテル。私は205号室で隣がプールだった。早速ドボンと1つ浴びて、これから後5日間、何もやることないんだ。と言っても、来る直前まで仕事ばかりで、風邪もひいていたし、胃腸の調子も良くなかった。これは神様のくれた休暇と思うしかない。
街に何か食べに行った。かなり遠くの市場まで歩いたけど、あまりこれという店がなくて戻りがけにあった小さな街の食堂に入ったら、まぁ皆さん親切。空芯菜いためてくれと言ったら、これも入れるかといって豚肉を指差して、これがまたコリコリカリカリで美味しくて、ついでにふくろだけも入れてもらって、その炒め物でビールを飲んだ。ビールは大瓶だから全部は飲みきれなかった。それから卵焼きも作ってくれた。食堂の人がみんなまかない食みたいなのを食べてる。一人メインシェフみたいなおばさんがいて、あとは若い女の子たちがTシャツに七分丈のズボンで実によく働く。他にも体動かして働いてる人が多いので町中、非常に健全な気がする。直しやさんとか木工屋さん、自動車の修理やさんとかいろんなもの。家電線がものすごい数、張り巡らされているけど危なくないんだろうか。木の間も通ってるがあまり気にしてないらしい。素晴らしい夕焼けが見えた。あ、りすだ、電線の上張ってて危ないなぁ。
こっちに来て気がついたこと。地下鉄のつり革は真ん中にしかないので立ってる乗客が座ってる乗客の上に威圧的に覆い被さったしないのはいいと思う。みんなきちっと並んで乗るのもいいと思う。年上の人がいる時は若い人が席を譲るのもいいと思う。地下鉄の切符は機械より、窓口で買ったほうがいい。でもスクンビットもペップリーもフェイクアンもなかなか伝わらない。しかし地下鉄とBTSという高架鉄道が同じ券で乗れないのは面倒だ。
駅にはバイクの黄色いジャケットを着たお兄ちゃんがいて、どこまででも乗せてってくれる。にいちゃんはヘルメットをかぶっているが客はかぶってない。こっちは20 バーツ。1日10回人を乗せて200バーツ、百回で2000バーツ。バイクは恋人どうして乗ってるのもいい。
またソイという横丁沿いに運んでくれる乗り合いのトクトクのようなものがある。少し余分に出すと荷物を家までお届けてくれたりする。これも便利な交通手段。
部屋は650 バーツ、エアコンを使うと690 。あー、12時間も眠って膀胱炎になりかかっていたのも治って風邪も少し良くなった。