ルアンパパンまで船で下る旅
2月4日 バンコク〜チェンコーン〜ワイサイ

朝早い便のため、泊まった空港のホテルはフロントの感じも悪かったし、蚊もいたし、設備も良くない。外は飛行機の発着でうるさく、朝の5時に目覚まして、5時45分にサンドさん、志保子さん、Duangさんと集合して6時のバスで空港へ向かった。7時半の便でチェンライに飛ぶ。そこからバスに乗って1時間半で国境の町チェンコーンまで行って、そこでラオスの国境を超えた。麻薬を持っていて捕まった女性の写真が大々的に貼ってある。やるなよ、ってことか。

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ラオスの色は紫と黄色とブルーとグリーン。通貨単位はキープで、一万円を替えると80万キープとかある。そこからまたバスに乗った。紹介されたプーキーさんに会う。精悍な顔の美男子だ。NGOの仕事をしていてお父さんは地方公務員で、家でお米を作っている。軽トラに荷物を乗せ、5人乗りでワイサイの彼の家まで行く。Duangさんが荷台に乗る。気持ち良さそう。家の裏の林の中にピクニックランチが用意されていた。これは今まで食べた中でも五本の指に入る気持ちの良い食事である。そこらへんを走りまわっている鶏の焼いたのと魚の焼いたの、それからラタンを茹でて、皮をむいたものが出た。このラタンは苦味があって、歯ごたえも良く、お醤油みたいなタレにつけて食べると大変美味しいし、体にも良さそう。

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最後に菜の花のたくさん入った鶏がらのスープが出た。これは滋養があって安心なので野菜とともども、胃を壊したサンドさもたくさん食べた。ラオスのビールはさっぱりしてて東南アジアで1番おいしいと言われている。お父さんが53でお母さんは40代の終わり、プーキーさんは30くらいだろう。中国人が入り込んできて大規模なビジネスを展開し、カジノまで作ろうとしてると眉をしかめた。プーキーの家ではお米、それも焼き畑で陸稲を作って売っている。お金がないとき、お母さんがラタンを売りに行って12ドルもうけたことがあった。食用ラタンはよい値で売れるそうである。2番目の弟に子供は何人かいて、今日もたくさんの人たちが寄ってきてご飯を食べていた。

おばあちゃんが赤ん坊を抱いている。男の孫同士が喧嘩したらおばあちゃんがしかった。近所の助け合いが生きてるようで、今日はこの畑をやったら次は隣人の畑を手伝う、というような協力関係ができている。そこで3時間も休んだ。鶏スープの鶏は土佐ジローぐらい美味しい。黒い鳥と言って1キロで12ドルする。噛みごたえのあるものでした。お別れを言ってまたトラックに乗る。いい季節で土曜日だし、結婚式をやっていたが、全くの西洋スタイルだった。それからサンドさんが必要な帽子とライターを2つ買って、メコン川の切符を買う。一人2500バーツくらいだった。そして今日泊まるホテルに行って休んだ。

その後町のリバーサイドレストランで夜の食事をした。トムヤンクン、卵焼き、パッタイなどを食べる。ホテルで休んだのだけど、夜中に大火事が起こり、三軒先まで燃えて、これはこっちにも日が来るかもしれないと、荷物をまとめ、逃げ出す用意をしてずっと見ていた。消防がなかなか来なくて、でも死人が出なくてよかった。

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