毎日の内藤麻里子記者が「女三人のシベリア鉄道」のインタビューに来てくれた。おおむかし、書評委員をしていた時にはよく会っていたけど、あいかわらずさっぱりした人。
食事もせずにいえへ帰る。きょうはタイをさばく。頭は潮汁にし,よるはアクアパッツァ。栗本薫さん、山田紫さんなど同時代の表現者の死はこたえる。栗本さんは一つ上,同じ早稲田なのに,在学中から野間新人賞を評論で取ったりして、二十代に一度インタビューに行ったが、こちらは主婦、あちらはプロという感じでまぶしかった。「私は一時間に13枚は書けるわよ」といわれたのをおぼえている。
お母さんは谷中の山田抄太郎先生の弟子で一度,お手紙を下さったことがあった。箏曲なのに三味線と私が書いたことについて間違いを指摘してくださったのだ。