震災日誌 4月2日 夜の部

首相が復興計画について発表した。高台に町を作り、海際の漁港や田畑には通う、という。福祉の町作りをすすめたい、とも。全体像わからず。
震災以来、漂流していた犬が救助された。何を食べて生きていたんだろう。
東北・関東大震災が東日本大震災と呼称が変わった。

昨日、地域の理科系の友人たちと飲みながら聞いたこと。東大では原子力研究をしたい人が近年少なく、「環境」とコース名に付けた。しかし脱原発するためにもこれから永劫に原子力の専門家は必要になってくる。ドイツが原発を止めたけどそれは隣りのフランスから原発電力を買えるから。アレバのCEOとサルコジが来日したのは善意でなく商売ではないか。山の中に原発を造ることはできない。冷却水がないんだから。ガイガーカウンターは売り切れ。レントゲン検査よりずっと微量、という発表で検査を怖がる人が出れば癌の発見など遅れる。経済は悪くなると言うが、復興景気で土建業界はよくなるのでは。「東電社長はどうしているの」「計画入院」「副社長も出てこなくなった」「輪番会見」と、冗談でもいっていないとやっていられない、まさに「アスピリン・エイジ」。帰ってひさしぶり頭痛薬を飲んで寝た。

水についてはペットボトルの水を使ったり水道水を使ったり、イイカゲン。なんと1年前にいただいた神戸ウォーターが30リットルも放置してあったのだ。

宮城県で放射能値を測定していなかったとの件、池田香代子さんのブログにもあった。
丸森からは情報が知りたい、というが、震災でパソコンが壊れたり,携帯が壊れたりしてよその家に送って、という人もいる。東京にいるとむしろあふれかえる情報に嫌気がさすが(本ブログもそのひとつかも)、まったくなくて苦しむ人もいる。
その転送先になった方からのメール

「私は 今、安置所の当番があります。
(亘理と山元で見つかった方の安置所です)
子供が4人 まだ引き取り手が見つからず……すでに2週間たつのに。
大人は3桁の方がまだ引き取り手が見つかっていません。
安置所にいると……親族が見つかって泣く方、見つからなくて泣く方……とても辛い空間です。
日常が 普通の日常に戻る日が待ち遠しい日々です」(29日)

おっと地域の大事なことも書いておかなくては。下宿本郷館は長年、壊すのは時間の問題、と言われてきたが、今また危機。坂の途中、石垣は別の人のものらしく、壊してマンション建ててもワンルーム、今のまま耐震補強してシェアハウスにでもした方がいいと思う。
関東大震災にも今回の地震にもびくともしなかった。
阪神淡路のあと、耐震性に問題がある、と文化財を壊すのに「地震」が使われた。今回もそれに注意しなければならない。

谷中コミュニティセンターも建て替えになるらしいが、長年の経緯を知っている建築家が地域内にいっぱいいるのに、区は単なる競争入札で安いところにおとすつもりらしい。そういう経済優先のやり方の転換点だというのに。今のセンターを作る時、100回以上の住民参加の会がもたれた。そんな経験も生かされない。

大観音光源寺にて、「おにぎり握り隊」が今日も1220個のおにぎりを握った。谷根千のネットワーク再起動、根津の渡邊米店がお米を半額で、バンバンバザールさんはジュースや下着、マスクなどたくさんの品物を寄付や原価でわけてくれた。それを大塚モスクの方達が被災地へ届ける。みんなテキパキと働いた。「義援金だけでは実感がない。こうして握ると気持ちが落ち着く」という人も。