震災日録 4月1日

今日は少しさかのぼって書きます。えーと。わたしは3月11日に千駄木の記憶の蔵で仕事をしていて、川本眞理さんと遅いランチを「日だまり」に食べにいって震度5に遭遇したのでした。12日から九州へシンポ参加と取材の予定がありました。どうしよう。乗るべき飛行機はキャンセル、翌日、なんと片道4万円のANAを予約して九州へ。行ったらあまり帰りたくなくてぶらぶらして、21日朝の便で帰ってきました。帰ってきたら500のメールが入っていました。

ヤマサキの当日の様子

「わたしは荒川の鉄橋付近の電車の中にいました。しばらく閉じ込められましたが、赤羽から歩いて帰宅しました。
JRは全て不通で、あまり情報もなく、帰途の途中の駒込駅などはシャッターを下ろして、トイレ提供もないのに驚きました。
いくつかの自動販売機が無料になっていました。都立高校、大学は開放しています。
喫茶店、居酒屋、コンビニはおおむね営業時間を延ばし、トイレ利用などを案内してあるところもあって感激しました。
道路は帰宅者の行進が夜半まで続いています。金曜日のせいでしょうね。わたしは逆方向に歩くので、人並みを掻き分け、いろいろ見ながらで、赤羽−根津まで2時間半かかりました。
帰ってみると、家の中はめちゃくちゃ、牧が片付けていました。あの家が建っていたことに驚きました。ちょっと嬉しい。
家具は倒れていませんが、本と食器が散乱していました。
隣の銭湯の煙突にひびが入り、途中に穴が開いて我が家に向かって傾いでいます。夜9時過ぎに、根津小に避難するように役所から連絡ありました。避難所を見に行って、そこも楽しそうでしたが、PCを使えないので家に戻っています。
そうそう山崎家はみな元気で大丈夫よ。心配ありがとう」

仰木の当日の様子

「家では線香立ての灰が床に散乱。ピアノの上から楽譜がどさっと落ちていました。ガスが止まり、サンドさんの家から返ってきたホットプレート鍋で夕飯を作りました。
昼は安田邸にいましたが、すべてのガラスがガタガタすごい音で鳴るので、どこに逃げようかと考えていたら、中庭で庭の工事をしている職人さんたちが、家の中は危ないから外に出るようにと声をかけてくれ、靴下のまま外へ避難しました。その中の一人のお兄さんが、ずっと手を握っていてくれたので、本当に心強かったです。椎の木がものすごく揺れ、驚きました。二階の座敷の照明器具が落下し、破損。下にいた人はものすごい音がして、土煙が出たと言っていました。壁土がほとんどのところで落ち、じゃりじゃりしています。明日は片づけをし、一般公開はしないことになりました。安田邸の資料の中から関東大震災直後の手紙が出てきたばかりでした。子ども二人は母が心細いようなので、泊まりに行き。残り二人と、テーブルの下に布団を敷いて寝ることにします」

その12日朝にこんなメールが知人から来ました。
「地震の揺れによる直接的な被害は免れたとしても、福島第一、第二原発が冷却機能を失いつつあるという事態は深刻です。
 近隣3km、または10kmの範囲の住民に避難指示が出たとのことですが、炉心溶融という最悪の事態になれば、福島県内は人が住めません。関東・東北一帯も放射能被害は甚大なものになります」
まさにそのとおりになりつつあります。それにしても反応が早い。

3月14日にはニューヨークのジャパン・ソサエティから支援基金の資金提供先を探すメールあり。これも早い。

有用なサイト 
ドイツシュピーゲルの飛散予測
http://www.spiegel.de/panorama/0,1518,bild-192707-751072,00.html

「失敗は伝わらない」
http://www.youtube.com/watch?v=qkLqVr_Qk_w&feature=youtu.be

3月23日にはワシントンのジョルダン・サンドさんからメールが来ました。
東京大学大学院時代、谷中の大円寺境内にすんでいた人で、谷根千英語版のエディターです。
「お手紙ありがとう。大変不安な状況ですが、皆さんはとりあえず元気にしているようでほっとしています。なんと異常な世の中になった、というおもいが先に起きますが、よく考えると実はこれはいわゆる「先進国」で暮らすわれわれみんなの現実だということも認めざるを得ない気もします。放射性物質を放流したり、環境を破壊したり、採掘燃料のために戦争を起こしたりする、これが先進国というものです。しかし、遠くにいながらこんな言い方をすると、東北で今現に苦しんでいる人たち、また原発事故のせいで不安に駆られている人たちはあまりにかわいそうです。とにかく私も事故の収束と 避難している人たちの安全を祈りながら胸を痛むほど無力を感じます。

避難所の人たちの話をぜひ集めてください。話す本人たちにとって慰めになるし、被災地域外にその現実を伝える意味もきわめて大きし、大事な歴史記 録にもなると思います。

ジョージタウンの学生たちが組織した支援団体 Japan Disaster Relief Committeeの一回目のミーティングに今日参加してきました。小さなカンパ箱を持った学生が構内に立っているだけで、一週間ですでに数千ドルを集め たらしいです。なにかがしたいと切実に思っている学生が多いです。アニメ・ファンが日本語の学生になり、今度は活動家になる、という経路を見て面白いです。

では、自分の身の安全を第一にしてください。山崎さん、仰木さんにもよろしく。

さんど」