震災日録 3月31日

『即興詩人のイタリア』文庫本の校正。こういうときほど、落ち着いて仕事をしよう。仕事は慰め。きのう、内澤さんと話したことだけど、こんな時、作家は何ができるのか。
明治の文学史の本など、いま出しても売れるのかなあ、とも思う。反対に震災でやることがなくなった人も増え、不安を沈めるために本は売れ行きが落ちていないと言う。

石巻市大川小学校に関する記事はネットによれば、河北新報は早くから取り上げているし、このところ全国紙にも上がってきた。正確には108人中21人死亡、行方不明56人とのこと。考えるだけで気が萎える。学校は河口から5キロも離れ、避難所にもなっていたと言う。早速ネットで「人災だ」「校長は何をしてたんだ」「すぐそばに裏山があるじゃないか」といった書き込みがされているが、自分は安全なところにいて人を非難するだけの連中には腹が立つ。
海外や沖縄にいて原発のひどく悲観的な警告を書きつづっているブログなども気分よくない。
「正しく不安を持つこと」は必要だが、いま原発の状況は言われていることのもっとも楽観的なことと、もっとも悲観的なことの間のどこかにあるのだろう。これは桜井均さんの意見。
謹んでご冥福をお祈りします、心より追悼の意を表します、といった企業広告その他の頭につく決まり文句もいやになってきた。企業という集合体が「心より」と言えるのだろうか。心は一人一人の中にあるものではないか。「ご遺体」も引っかかる。心のこもらない敬語だ。わたしも遺体という言葉がつかえず「亡くなった方たちが見つかった」というふうにしか書けないけど。それにしても頻繁に使うからか、「し」と打つと『死』がすぐに出てくるようになってしまった。

「23区が計画停電にならないのは許せない」という意見がある。その気持ちはわかるけど、たとえばうちの周りだけでも、東京大学、東京医科歯科、都立駒込病院、順天堂、日医大、日立病院、杏林病院、三井記念病院などあり、停電になるとこれらの病院の医療はストップしてしまう。御用学者のいるどこぞの研究室のコンピューターなんぞ止まったっていいけどね。いや、こまる。東大原研もけっこうな量の危険物質を抱えているはずだ(浅野地区には放射性物質のマークや立ち入り禁止の看板が多い)。東大病院はかつて医療用のラジウム廃棄物を裏庭にぽんぽん捨てていた。そんなことについて谷根千で取材したり、説明を求めたりしたが、都も区も「東京大学が安全と言っているなら安全」という対応しかしなかった。文京区のわが地区の避難場所は東京大学である。しかしあそこには実験用動物もおり、細菌や科学薬品もいっぱいあるはず。その実態も公開されていない。関東大震災のときも科学教室から薬品が燃え上がり東洋一の図書館をはじめ、かなり火災が広がった。だからわたしは谷中墓地に逃げるつもり。