震災日録 4月7日

冷蔵庫にある食べ物を出す時、これは「フクシマ」前だ、これは「フクシマ」後だと選別している自分に気付く。2月末に丸森を退出する時に取ってきたフキノトウがなぜかまだ元気。フクシマ前なので、きざんで味噌汁に入れる。春の香り、でも依然寒い。

「募金したいけどどこにしたらいいと思う?」と聞いてくる人が何人もいる。赤十字や赤い羽根という選択肢しか見えないらしいが、大きな組織はかなりの部分事務や人件費にとられちゃうよ、できるだけ小さくて信用できるNGOを選んだ方がいい、という。
お金はけっこう集まったらしいが、まだ被災者には届いていないそうだ。阪神淡路のときもしかり、集めるのはともかく配分が遅くてへた。被災地に入ったマレーシアの人がいっていたが、集積所にはものすごくある、おおきな避難所にもけっこうある、でも小さな避難所や避難していない人のところには物資が届いていない、と。ならユニクロみたいに寒い被災地で一番必要なヒートテックを何万枚と自主ルートで現物支給した方がいいような。足長育英基金や日本財団の動きは速い。日本財団はさすが船舶振興会だけに破損した船のためなら無利子で1億円融資するという。

テレビでは原発隠しのような、ほのぼのニュースとして、中高生が街角で募金している姿がよく流れる。息子曰く、「人の金をあてにするくらいなら自分でアルバイトするとか、お年玉出したりする方がいいのにな」。一理あると思う。
マレーシアの人は自国で日本人が受け入れそうな品を集めてきたのに、持っていくとマレーシアからきた水なんか飲めない、といわれたり、物資もこれはいらない、あれはほしいといわれた、とガッカリしているようであった。たしかに政府や東電があれだけ混乱しているのだから、被災地の小さな自治体の職員も混乱しているのであろう。でもでも、せっかく来てくれた海外の応援団によくない印象を与えたくない。

丸森旗巻峠の友人ようこさんから。

「こんにちわ。メールありがとうございます。
泣いたり笑ったり、怒ったりで、元気でやっておりました。

家も人も、たらふくコンビも無事なのに、原発のせいで、いろいろ不安で。
何にもできず、手につかず、情けない状態。あっという間に3週間。
緊張感が続いて、ここ数日ちょっとヘロヘロになっていました。

電話機が故障し、通信手段が携帯電話のメールのみ。
なんとか22日くらいに陸の(青葉部落内の)孤島から脱出。
ADSLの故障は29日に解消しまして、初めて被災地の映像をみて、
脳みそがフリーズして、現実逃避。

ジタバタしても仕方が無いですよね。
今、ここでできることをするしかない、です。割り切って。
冷静に、情報をキャッチして、今後のこと(畑とか、生活全体)を考えようと少しだけ前向きになりつつあるところです。

2011 0313 011 何も知らずに、外で日光浴 (被曝した??)
2011 0313 016 断水で、川へ水を汲みに行く
2011 0315 001 灯油、プロパンガス温存の為、外で炊き出し(何も知らずに…)
2011 0331 015 昨日の旗巻の夕焼けに燃える杉林

くじけず、凹まず、張り切りすぎず…
カンちゃんと支えあい、お互いに寄りかかりあって、ぼちぼちやっていきます…
森まゆさんも、お体、無理せずに…」(4・1)