震災日録 4月6日

蔵でみた『ドキュメント・チェルノブイリ』がわすれられない。高木仁三郎さんの遺言というべき作品で、映像ドキュメントの荒川、吉川さんらが作成した。だいたいあのチェルノブイリの爆発のあと、作業員らがあんな軽装で後始末にあたったと言うのが信じられない。それをよくまた映像に撮ったものだ。撮った人は被曝でなくなられたとか。
福島の事故以来、世界が前と違って見える。その前には決して戻れない。ベラルーシのジャーナリスト、アレクシェーヴィッチは事故以降に生まれた人を「チェルノブイリ人」と名付けたが、私たちはみな「フクシマ人」となった。

東京電力は汚染水を垂れ流し、海を汚しつづけている。その映像は3月14日に九州水俣で見たチッソの排水溝とそっくりだ。通常の100万倍の放射能が10万倍のまちがいだと訂正されてあきれていたら、きょうは1億倍という数字がでてきて絶句。それでも「毎日食べつづけても年に0.6ミリシーベルト、ただちに健康に影響はでない」といういつもの話。全漁連の服部会長が「原発には協力できない。止めるべきだ」と怒るのも当たり前だ。東京電力側は「迷惑をかけて申しわけありません」といいながらどんどん垂れ流す。

汚染度が増す割合と反比例してテレビで震災や原発事故に付いてふれる時間は減ってきている。放水車も写さないし、ロボットや口径のおおきなホースも、鳴り物入りで紹介していたのにどうなったの? 続報がない。もう地デジになったらテレビはやめにして視聴料を返してもらおう。

丸森の隣町、角田の米農家、面川さんの大学生の息子常義さんが書いていること。面川さんは有機でおいしい米を作っているのです。明学の猪瀬さんの転送メールから一部を引きます。

「今感じているのは、メディアの情報があまりにも偏りがあること。被災地でよく取り上げられているのは、気仙沼、石巻、陸前高田など皆北部ばかりで、角田の隣町で同じく津波の被害が大きかった亘理、山元という南部の街の名前は一向に出てこない。街や住民の状況や復興が進んでいるかなどいずれの情報もわからない。家は朝日新聞をとっているが、毎日毎日亘理、山元の名前を紙面で探すが、いつになってもその名前は出てこない。同じく津波の被害にあったのに、街は北部の被災地と同じく大きな被害にあっていると言うのに。この間、父と一緒にその亘理まで被害状況を確認しに行った。海沿いの街は以前の面影が残らないほど無残に消えて無くなっていた。海沿いに近づくにつれ視界が開けてきて、周囲にあったであろう建物は、空爆があった跡のような瓦礫に変わっていた。そして、無造作に打上げられた車や船がその被害の大きさをより際立たせた。その光景を目にした時、声も出ずにただ眺めることしかできなかった。それから数日後、亘理の現状を目の当たりにして、何も出来ない自分に不甲斐なさを感じ、その気持を抱えながらトラクターで田おこしを行っているとラジオから亘理のいちご農家からのメッセージが読まれた。県内有数のいちごの産地だった亘理だが、この津波の被害で95パーセントのいちご農家が被害にあい、亘理のいちごブランドが壊滅の危機にひんしているという。農家自体の高齢化も相まって、今後の再建は難しいと話していた。でもその人のハウスは無事で、亘理のいちごを廃れさせないように、被災者に配ったり、出荷も再開している。亘理のいちごをこれからも残すため頑張っているという話を聞き同じ農業を志す者としてものすごい勇気をもらった。だが、そのような情報も一向に大手メディアでは語られずに忘れされている。南部の情報は皆原発にかき消され紙面に載ることはない。ただ政府からの情報をそのまま載せるだけで、助けを求めている人の声や被災に遭いそれでも立ち上がろうとしている人たちの希望の光すら原発問題の前に忘れされている。それを容認しているメディアに対して苛立ちを覚えている。そして何も出来ない自分が情けなくなった。その悔しさを噛み締めながら、それでも角田で以前と変わらず田んぼを耕せるありがたさ、日常を送れる喜びを感じながら畑に通っている。それでも隣町になにかできないかと考えながら」

わたしも同感です。宮城県南部に何かできないか。今考えています。もちろん、「原発をまずどうにかしないと被災地の復興を手伝う人もいなくなってしまう」とデモの参加者の意見も正論ではあるのだけど。