震災日録 4月5日

窓を開けなくなって久しい。ベランダの水やりをしようと思って、開けたらカイドウの花が咲いていた。水もろくにあげないのに、けなげに。ごめんね、と声をかけた。桜は咲く。しかし底冷えのする春である。いつになっても寒い春。心が冷えているからか。

丸森の友人が、すばらしい夕焼けの写真を送ってきた。こんなに晴れて、こんなに世界は美しいのに(放射能は目に見えない)。別の知人は田植えの時期、種もみの準備をしながら涙をこぼしたという。一生懸命、農家をやっている人ほど今回のことがこたえないはずはない。愛する大地を捨てて逃げるわけにもいかない。港や船をどうにか復興しようとしている人々に、プルトニウムの流出はどんなにショックだろう。

そうでなくても2、3%しかいない農民ががんばってくれているからこそ、私たちは新鮮な野菜やおいしい米が食べられるのである。彼等がやる気をなくしてしまったら、私たちは食べ物がなくなる。安い中国野菜が入ってくるから大丈夫、といった妄言を許すわけにはいかない。遠くでできたものがどのくらい信頼できるのか。農薬や化学肥料で育った中国野菜と放射能を含む自国の野菜とどっちを取るのか。よくわからないけど。

関東の野菜をどうにか町で売れないか、と相談にきた人がいた。そこの県も品目によって出荷停止である。その品目以外なら私は食べてもいいけれど、たくさん仕入れて他の人にまですすめ、売り切る自信はなかった。福島の野菜を買って応援したいと思ってもスーパ-や小売店には並んでいない。卸のところで仕入れされないからだろう。

風評被害というけれど、放射能が降っているのは事実であり、野菜が汚染されているのも事実なのである。政府やNHKが正確な数値も明らかにせず「安全」「健康に問題はない」というから、消費者はますます疑ってしまう。自分で表を読む努力もしないといけない。これから死ぬまで放射能とはお付き合いがつづく。だから物理13点の私もこのところお勉強中。
(厚生労働省 報道発表資料 食品の放射性物質検査について)
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000016nd7-img/2r98520000017246.pdf

「原子力は安全」にだまされたからもう政府の安全宣伝は誰も信じないのだ。
それは科学でなくて、安全神話という宗教だった。原発は「事故を起こすまでは安全」だそうだ。「想定外」どころか、福島では共産党県議団が再三、津波が事故につながる可能性を申し入れたが無視された。地震学者も今日の事態を予想していた。
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20110329ddm004070015000c.html

それみたことかとはいえない。自分も油断していたから。松島湾で釣りをする時、「いま女川で事故が起こったら一発だね」なんていったり、相馬から常磐線で帰るときも、福島や東海村を通る時にひやっとしたりしたが、それ以上、行動しなかった。事故が起きたからみんな行動をはじめた。核と人間は共存できない。

原発を承認、時に誘致した自治体があるからこそ原発はできる。まずは地方議会で受け入れ反対、即時停止の決議をあげていくべきであろう。鹿児島県川内では

東海地震の予想される浜岡については
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000001104040003
http://fukurou.txt-nifty.com/fukurou/2011/04/post-e53b.html

大阪では
http://www.greenaction-japan.org/modules/wordpress/index.php?p=481

京都でも
http://www.kepco.co.jp/office/honten.html

わが谷根千では4月8日夜、白山のジャズ喫茶映画館で「アトミック・シネマ」があります。
スタンリー・クレーマー監督『渚にて』1959
http://www6.ocn.ne.jp/~eigakan/

チェルノブイリ後に汚染地で生まれた少年はいった。「かくれるところなんかないんだから。勇気をもたなくては」。
そのとおり。原発のない沖縄に逃げる人もいる。しかし米軍機事故や米兵のおこす交通事故、レイプと危険は多い。狭い日本、かくれるとこ探してどこへ行く。

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私が客員所員をつとめております明治学院大学国際平和研究所は緊急声明を発表しました。この声明の文の練り上げには私も3月31日の会議に参加しました。大事なことが含まれていますので、全文をブログでご紹介します。

http://www.meijigakuin.ac.jp/~prime/message/seimei/seimei_earthquake.html

明治学院大学国際平和研究所(PRIME)
東日本大震災に関する声明

このたびの東日本大震災の犠牲になられた多くの方々に追悼の意を表し、被災された皆様に対しお見舞い申し上げます。

私たち、明治学院大学国際平和研究所(以下PRIME)は、明治学院大学の学部組織から自律し、学外の研究者や市民活動家にも開かれた平和研究組織です。世界平和実現の条件を研究し、学内外の平和研究者、NGO・平和運動関係者と学際的交流を行うことを目的として、 1986年に設立されました。普遍的視点からの地域的研究、社会性あるいは時代性のある研究、学際性の高い研究を重視しながら、平和の諸問題に取り組んできました。

私たちは、2011年3月11日に発生した東日本大震災及び原発事故によって、この地域にすむ人々の生命と生活が著しく損なわれると同時に、社会全体の安定と多様性が危機にさらされていると認識しています。

1.安全地帯への避難を
福島第一原発で、放射性物質の流出が起こっています。今も、放射線にさらされながら周辺地域に多くの人々が取り残され、今後の推移によっては生命への危険も否定できない危機に瀕しています。迅速な避難策、特に乳幼児や妊婦、病人を、一刻も早く福島第一原発から遠く離れた場所に、コミュニティの絆に配慮しながら、避難させる必要性を強く認識します。政府や関係機関には、早急な対応を要望します。

2.正確な情報を
こうした事態についての関係諸機関の情報伝達は十分とは言えません。政府及び地方自治体は、生命の保全を第一とする正確な状況分析と情報開示をおこなうこと。被災の状況や、原発や放射性物質の流出をめぐる正確な情報を提供すること。以上を要求します。

3.差別なき支援を
その際に、地震、津波、放射能汚染に直面する人々が置かれている状況は、居住地域や、その人の年齢、性別、障害の有無、国籍の違い、来歴などによって異なり、個別の背景に応じて丁寧にケアしていく必要があります。

4.私たち大学は状況分析と提言を
市民社会は、「非常事態」や「自粛」の雰囲気に流されず、社会的に弱い立場の人々への目配りをし、少数意見への寛容性を失わずに、草の根のレベルで連帯と信頼を築く必要があると考えます。
私たちは、東日本大震災と原発事故がもたらした深刻な危機は、経済的成長に専心し、格差を拡大し、環境を破壊し、弱者を切り捨ててきた近代日本社会のあり方と密接に結びついたものであると考えます。震災復興において生命と生活の保障とコミュニティの再生が急務です。このような社会の再建のために叡智を集める必要があります。その際には、経済成長に依存する社会のあり方を検討して、新たな生産と生活のあり方を模索する必要があります。私たちは、原子力発電への依存から脱却し、核のない社会を実現する決意です。こうした営みは、現存する政治や経済の仕組だけではなく、広義の研究や教育のあり方に対しても批判的な問い直しを必要とします。

5.開かれた言論と自由な批評を
大規模災害時の社会においては、被害の増大を食い止め、復興を進めるために、開かれた言論と自由な批評が保障されなければなりません。しかし、政府とメディアによる情報管理や、国民の一致団結を求める社会的風潮によって、自由な言論と批評が妨げられる危険があります。批評や批判を封殺することのない、開かれた議論と表現の場が必要です。

PRIMEは以上のような課題を解決する使命を負うと考え、人々の平和と安全を第一に尊重する立場から研究教育活動を進めていくことを宣言します。

2011年4月1日
明治学院大学 国際平和研究所(PRIME)