新潟の絶海の孤島、粟島にタラの鍋とタラの刺身をお誘いにより食べにいく。
たらの白子、ギンパ草、岩のり、ソイの刺身、フグのぬか漬け、ホッケの煮物といった珍味もたくさんいただいた。酒は〆張鶴。塩野恵をうけて作られた葱やジャガイモがおいしい。なによりおばあさん、おじいさんたちが本当に働き者で、寒風吹きすさぶ中、岩のりをすのこの上に広げ干すのに夢中。これらも売れば高く売れると思うのに、それをせず、遠くに住む子どもや民宿のお客さんに送ってあげているというのが商品経済前の贈答の世界である。とにかくさぶい。島に一つの温泉であったまる。3日の朝出るはずのフェリーは思った通り欠航。でも12時半に出航したので予定通り、瀬波温泉に泊まって、新多久でお食事をして温泉につかってのんびり、帰りは新潟で15年ぶりくらいに新潟絵屋の大倉宏さんに再会して砂丘館を見学。日銀の支店長宅で福島と二つだけ残っている。すごい家である。日銀の支店長の権力や思うべし。
‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ
2月1-4日 粟島行き
2013年2月26日 火曜日1月31日 先祖になる
2013年2月26日 火曜日池谷薫さんの『先祖になる』というドキュメンタリーを京橋に見に行った。陸前高田に住む木樵のおじいさん77歳。家は津波で二階まで水がきて、消防団員だった長男をなくした。それでも避難所へ行かず、仮設にも入らず、ついには山の木を切って家の再建を果たしてしまう。その頑固爺ぶりに手を焼く奥さんの気持ちもよくわかる。死んだ長男の嫁をいたわる気持ちとそれにやっかむ妻との相克。そして近くに住む風来坊の後輩、彼は「直志さんが凄いのは当たり前のことをしているひとだからですよ」震災を取った映画の中でいままででベスト、と言い切れる。池谷さんと佐藤直志の幸福な出会い。「仮設には入らない。一年も仕事をしなかったら人間だめになる。もらいグセが付く」本当にそう思うなあ。仮設にいる人を悪く言うわけではない。仮設の人に仕事が見つからないことに忸怩たる思い。77でも働いていれば気分は20歳。
1月30日 体罰問題
2013年2月26日 火曜日うちの娘は職場の上司に「どうしてそう思ったことをそのまま言えるんですか」とあきれられているらしい。それはうちの文化だ。でも日本人はほとんどそうしない。人の顔色を見て意見を言わない。「原発反対なんて言えないですよ」「じゃあ賛成なの」「個人的には反対ですけど」そんな会話ばかり。
体罰にて自殺した子どもの事件を機に教師による体罰問題がかまびすしいが、ネットを見ると、「僕のころはあんなもんじゃなかった」というような体罰自慢が目に付く。
私も小学4、5、6年を担任した竹石善一先生に、殴る、ひっぱたく、たたされる、棒で小突かれるなどの体罰をうけた。クラス中そうだった。そして先生は学校帰りに誰彼の家に上がって酒を所望したそうな。みんなのトラウマであって、だからいまもクラスメートは仲良しで、それは被害者同盟だから。柔道のパワハラ監督のこともよくぞ女子選手たちは告発したものだ。内柴とか言うセクハラ金メダリストも裁判所は被害者の言い分を認めた。自分でも経験あるが、そのときは混乱して何も言えない状態でも、その後、憶い出すたびに悔しさがこみ上げる。告発したくなる。何も言わなかったから合意があったなんて言はありえない。
1月29日 最後の宮大工?
2013年2月26日 火曜日昨日の東京新聞、筆洗の欄で西岡常一棟梁を『最後の宮大工』と表現していた。それじゃあ、これから文化財の修復はできないことになる。じっさいには同じくらいの力量を持つ棟梁はおられる。西岡さんをカリスマに持ち上げたのはメディアで、「彼はマスコミに乗った最後の宮大工」ではあるかも。安易な表現はやめてもらいたい。
教職員が卒業式を抛りだして退職する。「教師にあるまじき行為」とせめるのも「生活があるからしかたがない」と擁護するのも経済の視点での話、と宮子あずささん。この欄で唯一、おもしろい。「卒業式にも出たくないほどいやな職場だったのだろうな」と内面に踏み込む。たしかに退職金は引き金に過ぎないかも。わたしにも「他に収入があったら森さんみたいに大学をやめたい」という大学教師の知人も多い。
1月28日 五島に核のゴミ施設?
2013年2月26日 火曜日27日にオスプレイ配備反対集会に行って来た娘によれば、沖縄から100人以上の議員が上京、集会は労組など組織的な動員が多かった模様。でもそれを云々することはない。しかし沖縄の問題を我がことのように考えて参加する個人は原発の反対行動者より少ないのはたしか。原発は自分もすでに被害者だが、基地が沖縄にあれば自分には関係ない。
長崎の平和運動の象徴であった本島市長が五島列島に核のゴミ処分場を誘致する斡旋をしたというニュースにはショック。推進のNPOは東大名誉教授が理事で、東大に五島の中学生を招いて『原発は安全』の洗脳すら行ったとか。
反原発を脱原発だの卒原発だのといい変えて印象をソフトにしようという試みはなんだか小細工のように感ずる。反原発でいいのではないか?
1月27日
2013年2月26日 火曜日急ぎの仕事、このところ毎日やって目がつぶれそう。3時半からジャズ喫茶・映画館で『デモクラシーナウ』の映像をいくつも見る。アメリカの市民メディアで、エイミー・グッドマンというラジオ出身のジャーナリストが1996年に始めた市民メディア。全米700のテレビ局で配信されているし、日本語版も見られる。責任者の中野真紀子さんも来てくれた。TPPについて、富裕層について、スペインの貧困層の住宅占拠について、アメリカでこんな番組が作られていることに驚く。
TPPは貿易協定の衣を着た企業による世界支配の道具 | Democracy Now!
私たちはすぐ『アメリカの野望』とか『アメリカの意向』という言葉を使うが、これはホワイトハウスなり、ペンタゴンなり、その背後にいるユダヤマネーなりの野望や意向であって、アメリカ民衆は別のことを考えている。彼等はウォール街の占拠(オキュパイ)運動もした。日本では職を得られず、貧困に留まる若者をはじめとする層が、このような運動に向かわない、のはどうしてなのだろうか? 番組ではノーベル経済学賞をとったスティーグリッツが、この10年、アメリカの中間層も没落した。1パーセントの金持ちの税率を上げろ、いや脱税をやめさせるだけで十分だ、とわかりやすい議論を展開していた。
ジョセフ・スティグリッツ:『世界の99%を貧困にする経済』 | Democracy Now!
1月26日 テロ特別措置法?
2013年2月26日 火曜日日揮という会社の社員が殺害されて遺体が帰国した。ニュースはそればかり、飛行機から降ろされると作業員がみな深々と礼をし、副大臣が現地に飛んだり、安倍首相がテロを許さないとか、演説。なんだかたんなる企業戦士が祖国の英雄のようにあつかわれ、違和感を覚える。
「これがジャーナリストや旅人ならこんな扱いをするかしら」「彼等はビジネスで、いわばもうけるために危険を覚悟でアルジェリアにいったんでしょ」と母は言う。イラクの人質のときのような自己責任論も出てこないで、このままテロ対策のほうにシフトしていくのはなんともいやなかんじ。安倍、石破、麻生なんて顔は見たくもないが、民主党をこき下ろしてこんな連中に変えてしまったのはわたしたち。女性の登用はいいが、党三役も大臣もみんな右より、高市早苗のしたり顔をみると串田孫一さんじゃないが、スリッパで画面をひっぱたきたくなる。
夜中『チャイナ・シンドローム』を見る。40年前とは思えない、いまのことのようだ。アメリカの原発にジェーン・フォンダ扮するテレビキャスターが取材にいき、小さな事故に遭遇。原発の所長のジャック・レモンは技術者として誇りももっているが、漏れだした水に格納容器の穴を疑い、上司に進言するが、利潤を追求する経営陣は稼働を命令、ついに所長は自ら武器を持って集中制御室に立てこもり、射殺される。
1月25日 累進課税を復活せよ
2013年2月26日 火曜日「レ・ミゼラブル」フランスの民衆蜂起を描いた作品だとは、あまりそう思ったことはなかった。しかもスーザンボイルの歌ったあの歌が、あんなに悲惨な状況で歌われる歌とは。自分の生んだ子を預けてまで働かなくてはならず、まともな職には就けず、売春婦になって体を傷めるいのちのきわに、私の人生は何だったのだろう、いろんな夢もあったのにも、という悲しみに泣いた。いまもこんなふうにバンコクで買春で稼いで田舎に送金している人もいる、母親もいる。日本にも生活保護が申請できないで、無理な労働を強いられている母子家庭は多い。この層にもアベノミクスは襲いかかり、収奪するもよう。累進課税の最大72パーセントというのはいつ、どうしてなくなったんだろう。私が貧乏にあえいでいた頃、黒柳徹子さんが国会かなんかで、累進課税に反対し、私が一時間番組に出ると、最初の1分くらいしか手元に残らない、などといっていてこの人は赤旗なんかでいいことをいうわりにはわかっていない、とおもった。才能のある人、勤勉努力する人がある程度、豊かな暮らしをすることはモチベーションを高める上で必要だが、豊かな暮らしをするのに年間一億はいらない。
1月24日 もやもやする気持ち
2013年2月26日 火曜日『旅と鉄道』に北陸の温泉にいったルポが載っている。取材でなく撮影旅行みたいになってしまいもうこりごり。被写体が既にフォトジェニックじゃない。もこもこ着ていったのでそうとう膨張しており、まいった。『文芸春秋スペシャル』には永遠の私のアイドル、沢田研二さんのことを書いた。これまたハズカしい。掲載紙が来ると必ず落ち込む。石巻の坂下清子さんが、胸の内のもやもやを吐き出せなくておられた。集落でなくなった方たちの顔が浮かび、「まいにちなくなった家のあとのところを通るたびに、ごめんね、ごめんね、と胸がつぶれる思いで通る」とおっしゃっていた。一方生活のために、『強運の牡蠣』の応援の人たちの対応、発送、メディアへの登場も必要になり、引き裂かれるような気持ちでおられると思う。わたしも被災地のことを思うと胸つぶれ、選挙結果に打ちのめされ、身過ぎ世過ぎの原稿も書き、おいしいワインを飲んだりして、よる寝る前に何か大事なことを忘れているようなかんじがする。修業が足りない。
1月23日 窮極のパッシブ
2013年2月26日 火曜日家ではほとんど暖房をつけていなくて、今年の冬助かったのは原田病のときに某女性誌の方が持ってきてくれた足袋湯という室内ブーツ。これは人体の熱を特殊素材で反射させてまるで汗を書くほど足が暖かい。イシゲンというメーカーが出しているもの。もう一つはこれも彼女が持ってきてくれた大豆袋で、レンジでちんして、肩の上に載せると暖かい。韓国の砂袋みたいなもの。あとは頚筋を冷やさないように、絹をまいているだけ。至って原始的である。夕方、新橋の樽平で共同通信の記者たちと津田医師と飲む。
こんな居酒屋はもう東京に少なくなった。一品ずつは高いような気がするが、たくさん頼んで飲んだのに、そんなに高くはなかった。小山さんに村上春樹の作品などに聞いたら読みたくなって来た。