2012年1月 のアーカイブ

震災日録 1月5日 ちゃんと売りちゃんと買う

2012年1月12日 木曜日

初ゴミ収集の音で目が覚める。収集時間がものすごく長い。29日に最後に持って行ってくれてからみんな大掃除をしたので、ゴミ置き場は立錐の余地なかった。税金をはらってよかったな、還元されているな、と思うのは区では学校と図書館。都ではゴミと都営地下鉄、水道。国では――あんまりないな。博物館、美術館、劇場くらい。でもものを買わないのにごみが出る、これいかに。不必要な書類、包装紙、刊行物のせい。
帰って来た息子から「関西は神戸の地震の経験があって、みんな支援のしかたもなれているし、支援もがんばっているよ」ときいた。「でもあちこちで義捐金を募っていてもしなかった。絶対届くところにもうしましたから、といってね」東京でもカンパを募るのはいいが、支援つきとかいって野菜や缶詰をずいぶん高い値段で売っていたりする。当たり前の値段でチャンと売り、チャンと買うこと。それで対等な関係でいいと思うのだけど。被災地のひとを裏切らない、といつも考えているつもりだが、「私たちは被災者だ」といわれると反論不可能命題でこっちも息苦しくなる。はんたいに「私たち支援者だ」という蒸気が知らず出ていないかとも反省する。

震災日録 1月4日 NHKに出たい町づくり?

2012年1月12日 木曜日

とつぜん憶い出したこと。
地方の人たちはどうして赴任して来た中央のメディアの記者をあんなにチヤホヤするのだろう、と思うことが多い。会合にも参加費無料だったり。特に若い女性記者はおじさんがたにモテモテ(多少ひがみ入)。「記事に書いてほしいから」もあるらしい。「NHKの全国放送に出るのが夢」といった町づくり人がいる。うーん、さみしいナ。そして記者を甘やかしてだめにする。去年4月に、避難所になっている温泉旅館で4人の大新聞記者にあったが、ぼくたち支援部隊ですからと、さっさと部屋に引き取って寝てしまった。周りにごろごろ取材対象いるのになあ、もったいないことだ。
夜はH大のO先生が羽田から電話を下さって新橋で新年会。セシウムを土壌から除染するプロだというのに「被災地は補正予算がつくたびに我先にという研究者でいっぱい。僕は東南アジアの里山保全で大忙し」だという。これももったいないなあ。

震災日録 1月2日 人里離れた暮らし

2012年1月12日 木曜日

帰って来た大工の息子は人里離れた多宝塔修理現場で、テレビもラジオもなく新聞もとっていないので、3日くらいは震災を知らなかったって。大工仲間でだれか、冗談で日本の首相が変わったよ、と言ったらみんなでウッソーといってふざけてたら、新聞見たら本当に変わっていたって。extremly local なのです。それもいいかも。消防士の友人がいて年末にあった。被災地に応援で行ったら火がボンボン燃えていて、おばあさんがでてきてあっちの方に30人以上まだいると指さすので、うそだろ、ちょっとおかしいのかな、と思ったが瓦礫を乗り越えて行ってみたら本当にいて、1人ずつ背負って救出したとか。2年ぶりに会ったのに、またさっさと現場に帰っていく。

震災日録 1月3日 年賀状をもらうのは楽しく、返事するのはたいへん

2012年1月12日 木曜日

1日の朝はわくわくする。でも3日返事を書いていると、「365日のうちの3日をこんなことに使うなんてなー」とおもう。まだまだ続きそう。
年賀状でおもしろかった表現。” if winter comes ,can spring be far bihind?” 冬来たりなば、春とおからじ。そうかなあ、そうでもないような気がするが。
Adieu Nukes! GAIAは伊勢原に農場をもち、卸売り業もはじめるとか。がんばって。
初恋の人とクラス会であった友人「枯れ木にぱっと花が咲いたみたいでーー」わかるなあ。歳の倍の男に惚れて土佐の山奥で養鶏所と温泉旅館のおかみになってしまった圭子ちゃんに長男尚太郎君誕生。「畑山にとっては約30年ぶりの元気な産声にシカやサルも驚いたことと思います」お近くへ行ったらぜひどうぞ。安芸市の畑山温泉です。
おいしい土佐ジローのフルコース、1泊2食付き10000円しません。
「本当に大切なものは何かを考え、遠くにいる誰かを思う一年だったように思います」
そうでした。「歴史の転換を見ていきます」ほんと、見るまで死ねません。「あんなジジイにはなりたくない、と思いましたが、実際なるものですね」あたしもババアが近いです。きょうの東京新聞によると班目(でたらめ)委員長や代谷委員は就任前に東電から賄賂をもらっていたらしい。じゃなかった、研究費だ。研究と海外旅費に使ったというがファーストとか乗っていいホテルに泊まったりしたんだろうな。

震災日録 1月1日 迷い立ち止まる

2012年1月12日 木曜日

いる場所によって見える景色が違う。
じぶんでは正しいと思う意見でも、なかなか言いにくい場もある。
3年前に死んだ父は『何が真実かを自分でよく考えろ』というのが口癖でした。
3・11以降、いろんなことが気になり、考え、友人との考えの齟齬が目立ち、自分の中でも揺れました。東北の漁業、農業を応援したいと思う半面、息子や娘には安全な物を食べさせたいと思う自分。孫がいたらなあと思う半面、いま孫がいなくてよかったと思う自分。東京にいるときと東北にいる時とは違うことを考える自分。志賀原発に行けば原発を受け入れた自治体や賛成した住民の責任は重大だと思う半面、いま避難している大熊町や双葉町の住民にはそれはいえない、と思う自分。東北の農産物は全て産業廃棄物として東電に補償してもらえばいい、と東京の人がいうときにカッと来る自分。しかし「福一の電気は東京の人のための電気だ」といわれれば「福島の人は電気を使ってないの?」と反論したくなる自分。ほんとうに『迷い立ち止まる』ことの多い毎日です。
なにもいわない、のが賢いかもしれない。でもそれならこの渡世を選んだ意味がない。

震災日録 12月31日 働く意欲は環境でつくられる

2012年1月12日 木曜日

地物のホウボウの刺身、茹でたてのタコ、うまし。しかし海の汚染にはわからないこと多く、千葉御宿辺りの地魚が大丈夫とは言いきれない。まあ50代の3人はぱくぱく食べる。帰りは大多喜をとおって帰る。谷中清水町に屋敷を持っていた知恵伊豆こと松平信綱の子孫大河内家の城下町、昔ここの大屋旅館というのに泊まって感激した。洋室が風呂になっていたし。こういう古い町の古い宿にはまだまだ知られざる名旅館、権高でもなく親切な、そしてリーズナブルな宿が多い。そこは国の登録文化財になっていた。海ほたるの上でちょうど大晦日の落日。
金曜日ダイエット?続行中。やる気のある失業者だけにお寺を開放するということに雨宮処凛が異議を唱えている(2009・2・13)。この人はなんとなく苦手、だけどいてくれてありがとうと言いたくなるときもある。「これから私たちは意欲によって選別されるだろう」「これまでの劣悪な労働経験からすでに『働く意欲』そのものを失ってしまっていたら?」など疑問を投げかける。被災地でも同じことがいえる。たしかにせっかくはいった義捐金や一時金で酒飲んだり、パチンコ行ったり、もったいないなあ、と思う。でも「津波で家も仕事も、もしかすると家族までなくして『働く意欲』そのものを失ってしまっていたら?」という問いを、被災地にいない私たちは考えなくてはならないのだろう。福田文昭さんの『北を撮る』もよかったな(2009・2・13)。小島一郎の写真を『芸術新潮』で見てぜったいこの写真集を買おう、と思ったのにまだ手に入れていない。それを思い出した。同じ号の辺見庸さんのインタビューもすごい。病を得て、そぎ落とされ、深化している感が。人の家で紅白歌合戦を10年ぶりに見た。ながら視聴だけどユーミンの思い切り似合わない振り袖の『春よ来い』がよかったな。今年の3月4月、いつもこの歌を口ずさんでいたんだもん。東北はなかなか雪が消えなかった。そしてまた、寒い季節に突入。谷中鐘付きツアーに行く体力残っておらず。

震災日録 12月30日 風力発電、誰が建てるか?

2012年1月12日 木曜日

「美しい伊豆に巨大風車はいらない」という記事(2008・11・21)もおもしろい。自然エネルギーとしての風力発電はいいが、低周波の問題、景観の問題、いろいろあり人家から離してつくりたい。そして誰が作るかが問題。みんなで納得してお金を出し合って自分たちの使う電気のために建てる市民風車ならいいが、伊豆では電源開発と豊田通商などのジョイントで100基以上建てるというのだ。これは金儲け目当ての巨大開発に過ぎない。『学問の権力――アイヌ墓地はなぜ暴かれたか』植木哲也著、春風社刊は書評を読んで読みたくなった。森鴎外の妹小金井喜美子は才女だが、どうも馴染めないひと。その夫小金井良精は星新一の伝記『祖父・小金井良精』ではじつに愛すべき鷹揚な人なのだが、東京帝国大学人類学教授としてアイヌの墓を発き、たくさんの人骨を研究材料に持ち帰ったとは。浪花の家を観に行く。ひろちゃんと浅田さんとサトコの四人で行ったら、森鴎外の日在の別荘を見つけることができた。それどころか今の持ち主である森鴎外のお孫さんとお話までしてしまった。夜は星がきれいでした。

震災日録 12月29日 週刊『金曜日』をお風呂で

2012年1月12日 木曜日

郵便局と銀行へ行く。いろいろ支払い。年を越すにはお金がいるものだなあ。
冷え性を治すため、腰湯につかる。中で週刊『金曜日』のバックナンバーを1回3冊ずつ読むと額からぼたぼた汗が落ちる。いい記事は破る。永六輔さんの「無名人名語録」は相変らずおもしろい。「川辺川ダム。八ッ場ダム、徳山ダム。巨大な公共工事が『中止』『続行』『完成』と、それぞれ現状が違う点を問題にしないと」これは2008年11月21日号。八ッ場はいったん中止になったのに、つかの間の夢でまた『続行』になったのだからこの言の通り。「ダムのような公共工事の反対派の村や町を合併してしまうという手があったんですね」徳山ダムの場合、行政は市民に道をつけるなど公約をしたが、合併でその自治体がなくなり約束は反古にされた。志賀原発では猛烈に反対した富来町をはずして志賀町に原発はつくられたがその後、富来と志賀は合併、なんのことはない、反対派にとっては自分の自治体に原発はできてしまったことになる。