震災日録 1月1日 迷い立ち止まる

いる場所によって見える景色が違う。
じぶんでは正しいと思う意見でも、なかなか言いにくい場もある。
3年前に死んだ父は『何が真実かを自分でよく考えろ』というのが口癖でした。
3・11以降、いろんなことが気になり、考え、友人との考えの齟齬が目立ち、自分の中でも揺れました。東北の漁業、農業を応援したいと思う半面、息子や娘には安全な物を食べさせたいと思う自分。孫がいたらなあと思う半面、いま孫がいなくてよかったと思う自分。東京にいるときと東北にいる時とは違うことを考える自分。志賀原発に行けば原発を受け入れた自治体や賛成した住民の責任は重大だと思う半面、いま避難している大熊町や双葉町の住民にはそれはいえない、と思う自分。東北の農産物は全て産業廃棄物として東電に補償してもらえばいい、と東京の人がいうときにカッと来る自分。しかし「福一の電気は東京の人のための電気だ」といわれれば「福島の人は電気を使ってないの?」と反論したくなる自分。ほんとうに『迷い立ち止まる』ことの多い毎日です。
なにもいわない、のが賢いかもしれない。でもそれならこの渡世を選んだ意味がない。