午後1時15分に東京駅ステーションホテルで『婦人の友』の鼎談。JRは市民運動があって東京駅が残ったことを抹殺したいように見えるが、設計者辰野金吾のひ孫に当る建築家の辰野さんも、市民運動のおかげと言ってくださった。みんなに愛されて残ったほうが価値が高いと思うけどなあ。それにしても外からは分からない。4回部分にはずらりと客室が並び、昔は一室2万もしなかったと覚えているが、今はスイートは20万もすると云う。それでも東京駅は人気スポット予約が取れないような状況らしい。そのあと、1階のラウンジにて『漱石と美術』の展覧会にちなんだインタビューをクロワッサンから受ける。
‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ
3月13日
2013年5月8日 水曜日3月12日
2013年5月8日 水曜日アフリカにいくため黄熱病予防注射を受けにいく。なかなか予約が取れず出発10日前ぎりぎりになった。これを受けなくてもウガンダにははいれるが、ウガンダからドバイに入れなくなるそうだ。とにかく一回受ければ10年は有効なのでまたアフリカへ行くことを考え、受けることにする。しかし新橋からゆりかもめにのって江東区の東京検疫所までが遠い遠い。がらんとした合同庁舎にものすごく神経質な感じの係官がいて、そのいうことをいちいち聞き取っていわれたようにやるのが大変だった。管理主義ばりばりでこんな所で働いたら逸脱しがちな私など1週間ともたないだろう。でも注射してくれた女性医師はなかなか感じよかった。
3月12日
2013年4月3日 水曜日古きよき時代のアメリカ映画。『アパートの鍵かします』、これも脚本が抜群。しかしあからさまな映画ですなあ。大企業の平社員は9時から5時まで必死でタイプを打つ。5時にはさっといなくなる。幹部たちは社内で浮気に夢中。バクスター(ジャック・レモン)は彼等に市内の自分のアパートを貸して覚えめでたい。ラブホテルがないんでしょうな。それで昇進していく。部長に呼び出され、「おまえが人気あるのはなぜだ? 前に人気のあった社員は会社の電算機をつかって株でみんなに儲けさせていたぞ」。その鍵をおれにも貸せ、というばっちりパワハラ。その相手とはバクスターがひそかに思っていたエレベーターガール。部長は妻と別れるというだけで別れる気さらさらなし。若い女の体がほしいだけ。よくある話。絶望してバクスターの家で睡眠薬を飲んで。シャリー・マクレーンって、若いころこんなにラブリーだったのね。最後は二人で楽しくトランプ。キスシーンすらないのがいっそ清々しい。テニスのラケットでスパゲティのお湯を切るのも秀逸。しかしアメリカの会社って本当にこんな乱脈?
ジュリーざんまいから映画ざんまいのお粗末。
3月11日
2013年4月3日 水曜日古きよきアメリカ映画『哀愁』、ビビアン・リーとロバート・テイラーの美男美女。戦時下のロンドン、ウォータールー橋で空襲にあって二人は知り合う。休暇中の将校とバレーダンサー。結婚しよう、そうしよう。でも式は午後はあげられず翌朝、部隊へ戻れと命令。踊り子は舞台をキャンセルしてクビになり、彼の戦死の公報を見て絶望、生活のために街娼になる。しかし男は生きていた。もういちどやり直そうとするビビアン、しかし自分の過去を消すことはできない。身分を乗り越えて結婚しようという矢先、彼女はウォータールー橋で自動車に飛び込んで命を絶つ。鷗外の『舞姫』ではないが、当時のバレリーナもかなり差別される職業だったみたい。しかしこの男はばかだ。舞台に穴をあけさせたらどうなるかを予想できないのか? なぜ彼女に金を渡すなり、婚約者として自分の親族の庇護を受けさせるなりしないのか? してたら『哀愁』の映画は成立しません。結局、気配りのないピンぼっちゃま(ピンクの頰をしたエリート青年)ね。玉の輿ものはあの頃はやったけどね。『足長おじさん』も『麗しのサブリナ』も『マイフェアレディ』も。あんなご大層な家の嫁になるのも気詰まりだ。結婚しなくて正解かも。でもビビアンもロバートもボギーもみんな50代でなくなっているのよ。
3月10日
2013年4月3日 水曜日きょうは蔵の隣りの公園で餅つきがあるも、花粉と黄砂、すごい風で行けない。
奇妙な空の色、しきりと4号機が気になる。
古きよき時代のアメリカ映画。『カサブランカ』をむかし見たが、いまみるとさほどでもなかった。ハンフリー・ボガートの渋い色気がいい。それにしてもイングリッド・バーグマンのなんという美しさ。ビシー政権下の仏領カサブランカ、流れて来た曰く付きの人間たち。チェコのレジスタンス活動家の妻イングリッドは夫が死んだと思い、ハンフリーと恋に。しかし彼と駅で待ち合わすも、夫は生きていたとの報。けっこう長い手紙に「駅に私は行けません。許してください。私を捜さないで」とかいろいろ書いてあるのに字幕は「行けないわ」でおわり。
「パリへ逃げれば?」「パリへ?」も「ナチス占領下のパリへ?」というところまで訳さないと伝わらない。ハンフリーもアメリカ人だが抵抗運動に加担、でも今はカサブランカでカフェバーの経営者。最後、ハンフリーはドイツ人将校を殺してまで恋人とその旦那を逃がす。『君の瞳に乾杯』、もうとにかく脚本がすごい。「10年まえ君はなにしてた?」「歯の矯正をしていたわ」なんてね。
しかしこれは1942年のアメリカの反ナチプロパガンダ映画。そういわれるとあちこちみえみえ。ビシー水の瓶をわったりする隠喩。『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』は『時の過ぎ行くままに』じゃないか。それでジュリーは『カサブランカ』を歌い、ボギー、あんたの時代は良かった、と言ってるわけね。
3月9日
2013年4月3日 水曜日清林寺三重塔の現場をフランス人建築家ソワジックさんと見学。関東にはない飛鳥の塔である。足場に上がると隣りの光源寺さんで炊き出しの最中。いい匂いがしてきた。池袋のホームレス支援のためらしい。
夜、国分寺カフェスローで汐見稔幸さんと子育てについて対談、私の子育てなどとてもとても成功事例などといえるものではないのに。昭和26年生まれ、根津出身の方が来てくださって休憩時間に聞いたこと。
ここから郷土史報告!
「私の祖父は棒手振りで魚の行商をしていました。昭和2年に父が根津片町19番地で『花園』という魚やを始めました。父はモボというのかハイカラな人なので、魚やっぽい名前にしたくなかったんです。その電話番号は魚やなのにニククレ2990でした。貝やのシンちゃん、新富士そばやのユウちゃん、もう一人トクちゃんなんて仲良しでした。父は根津で民商を結成したんです。母は栃木の田舎から嫁いで根津の下町の商家で何もわからなかったのですが、小川さんて在日の方で生地やさんが何くれと世話をしてくれて恩人だと言っていました。貝やさんはいまお孫さんが貝料理の店をやっておられ、大黒煎餅も代が変わられてご盛業ですが、そのくらいしか残ってなくて、根津もかわりましたね。それでもあそこはなつかしいふるさとです」小耳に挟んだ話ですが根津を大事に思ってくださる方が新座にいてうれしいです。
そういえば根津の貝やさんで貝を買っていたのを見かけたドナルド・リチーさんがなくなられました。
wikiによれば
1924年、アメリカオハイオ州生まれ、少年時から映画に関心をもち、8ミリで作品を作った。1946年進駐軍の一員として来日、星条旗新聞に映画評を担当、その後帰国してコロンビア大学で学ぶ。1954年再来日、『ジャパンタイムス』に映画評、書評を執筆、1958年のThe Japanese Film: Art and Industry (共著)をはじめとして、日本映画を多く海外に紹介、1969−72はニューヨーク近代美術館の映画キュレーターをつとめたくさんの日本映画を紹介した。著書も多く翻訳されている。映画制作や小説・戯曲も書き、芝居の演出もするなど多才だった。2月19日都内の病院で死去、88歳。池之端住いの『源氏物語』翻訳家サイデンステッカーさんには何度かお目にかかったがリチーさんにはお目にかかるチャンスを逸した。谷根千英語版三号に三遊亭円朝について寄稿してくださっている。しかしリチーさんは谷根千のどのへんに住んでいたのだろう?
『ガープの世界』アービング原作。人生って次ぎから次ぎへと災難が起こるものだな。ロビン・ウィリアムズの母親がグレン・クローズとは。
3月9日 その2
2013年4月3日 水曜日息子は「日本は良いことをすると報われるどころか、損をする社会だ」という。満員の社内で女の人の背中にゴミがついていたので取ってあげたかったが、痴漢と間違われるのがいやでとうとう取れなかった。いつも後ろ向きに車両に乗り込んで手はあげてる。お兄ちゃんみたいに谷中墓地で迷っている子を近くの家に保護してご飯を食べさせたりしたら誘拐で捕まりかねない。お母さんみたいに時間を使って社会運動すれば政府や企業ににらまれ、売名だなんていわれて。
留学生に聞いた話。「西ヶ原の駅で怪我してたおれたおじいさんを見つけ、助け起こしたいが、なにか事件に巻き込まれるのも困るとおもって110番したら、突然パトカーが4方向から現れ、手をあげろ、と銃を向けられ、電信柱にへばりつけられた。そして身体中を探られ、長々と尋問された。結局おじいさんが意識を取り戻し、僕のせいで倒れたのでも汚したのでもないとわかるまでなん時間もかかり、しかもお礼も言われなかった。警察は犯罪を取り締まらなければならない、わかるだろ、となんどもいわれただけ」。この前もトルコ人の人に聞いた。「駅で女性が乱暴されそうになったのに仲裁にはいり、女性を助けたら駅員が来て警察が来て、とっつかまって調書を取られ、女性は何度もこの人が助けてくれたんです、と言っているのに聞く耳もたず、今回は許してやる、でもこれは警察の仕事だ、といって謝りも感謝もされなかった」と言っていた。
これ背の高い様子のいいアメリカ人だったら警察の対応は違うのだろう。アジア系の外国人への偏見がある。うちの子どもたちも自転車を盗難と思われ、パトカーに追いかけ回されたことが何度もあるらしい。「児童虐待をあれだけ見逃して、自分の自転車に乗っている人を追いかけ回すのはひどい」「しかもちょっとおいといただけの自転車を警察こそ持ってって。どっちが盗難だ」「バイクの騒音取り締まるほうが先なんじゃないの」
3月8日
2013年4月3日 水曜日夕方まで仕事。角田の面川さんのおいしいお米がきたので、母と弟に届けにいく。それからS邸でディナー。きょうはモンゴル人の院生が来てみんなで内モンゴルの暮しを聞く。父母は町で仕事をして、自分は大草原のゲルで祖父母に育てられた。ゲルは二時間で組み立てられ、冬は暖かく夏は涼しい。4歳から馬に乗れた。小学校は5キロ馬を駆けて通った。その馬と別れるのがつらくて高校を抜け出して帰ったら父親に殴られた。でも今では私有権が発達してみんな鉄条網などで土地をかこい出し、馬で草原を縦横無尽に走れない。内モンゴルはモンゴル語を縱に書く。外モンゴルはキリル文字を横に使う。中国語は大学に入るのには必要、話せるようになったのは日本に来て中国人と付き合ったから。内モンゴルの町は漢人が多く住んでいる。内モンゴル、モンゴル、ロシアの一部にモンゴル人はいて全部で800万人くらいかな。帰って教師になりたい、とのこと。映画を見るような話だった。
3月7日
2013年4月3日 水曜日半日仕事。『青鞜の冒険』を直しているがなかなか進まない。昼過ぎ、長い友だちのジョルダン・サンドさん夫妻が三鷹郊外にバーベキューによんでくれた。エゾシカのさっぱりした焼きもので赤ワインをたくさん飲んだ。ひろちゃんの娘のゆずちゃんがつくったシフォンケーキが好評。20年近く前に発祥した花粉症もこの何年かおさまって、なおったのかなと思ったが、今年は通常の7倍飛んでいてさすがに鼻がむずがゆい。薬屋さんがもうかる季節。晴れているのにスカイツリーが煙って見える。西日本は黄砂ですごいことになっているらしいし。新聞で見ると福島原発は相変らず上空から使用済み燃料プールが見えるし。核のゴミの処理方法を知らないで、なお再稼働とは信じられないことだ。安倍首相はあのA級戦犯の祖父を尊敬して日本を君主制にしようとしているのか。皇室の人権を考えてもやめたほうがいいと思う。
3月6日 上野駅の幕間
2013年4月3日 水曜日八ッ場ダムのことで写真家の本橋成一さんのところへ久しぶりに電話したら、お昼ご飯を食べにおいでよ、ということになり、東中野へ。とってもおいしいシチューとパンとサラダをいただいた。最近本橋成一写真集『上野駅の幕間』が平凡社から再刊されました。すばらしい本です。国鉄時代の駅がまだ民衆のものであった時代の。今みたいに金儲けばっかり考えてエキナカに何十軒も店が入っていない時代の。
駅長室はハードロックカフェになり、私が好きだった待ち合わせカフェは「被災地東北の物産を売る」とかいう大義名分で物販販売になってしまった。駅構内で徹夜したり、酒盛りしたり、フォークゲリラやったり、詩集を売ったりしたら業務妨害で今なら逮捕されてしまいそう(阪南大学の先生みたいに)。
駅は国民のものから、私企業のもうけの場になった。ぜひ、良き日の上野駅、出稼に来たまま、山谷に滞留して、古里に帰れなくなったおじちゃんたちが、ふるさとのなまりを聞きに来ていた駅をこの写真集で偲んでください。