3月9日

清林寺三重塔の現場をフランス人建築家ソワジックさんと見学。関東にはない飛鳥の塔である。足場に上がると隣りの光源寺さんで炊き出しの最中。いい匂いがしてきた。池袋のホームレス支援のためらしい。
夜、国分寺カフェスローで汐見稔幸さんと子育てについて対談、私の子育てなどとてもとても成功事例などといえるものではないのに。昭和26年生まれ、根津出身の方が来てくださって休憩時間に聞いたこと。
ここから郷土史報告!
「私の祖父は棒手振りで魚の行商をしていました。昭和2年に父が根津片町19番地で『花園』という魚やを始めました。父はモボというのかハイカラな人なので、魚やっぽい名前にしたくなかったんです。その電話番号は魚やなのにニククレ2990でした。貝やのシンちゃん、新富士そばやのユウちゃん、もう一人トクちゃんなんて仲良しでした。父は根津で民商を結成したんです。母は栃木の田舎から嫁いで根津の下町の商家で何もわからなかったのですが、小川さんて在日の方で生地やさんが何くれと世話をしてくれて恩人だと言っていました。貝やさんはいまお孫さんが貝料理の店をやっておられ、大黒煎餅も代が変わられてご盛業ですが、そのくらいしか残ってなくて、根津もかわりましたね。それでもあそこはなつかしいふるさとです」小耳に挟んだ話ですが根津を大事に思ってくださる方が新座にいてうれしいです。

そういえば根津の貝やさんで貝を買っていたのを見かけたドナルド・リチーさんがなくなられました。
wikiによれば
1924年、アメリカオハイオ州生まれ、少年時から映画に関心をもち、8ミリで作品を作った。1946年進駐軍の一員として来日、星条旗新聞に映画評を担当、その後帰国してコロンビア大学で学ぶ。1954年再来日、『ジャパンタイムス』に映画評、書評を執筆、1958年のThe Japanese Film: Art and Industry (共著)をはじめとして、日本映画を多く海外に紹介、1969−72はニューヨーク近代美術館の映画キュレーターをつとめたくさんの日本映画を紹介した。著書も多く翻訳されている。映画制作や小説・戯曲も書き、芝居の演出もするなど多才だった。2月19日都内の病院で死去、88歳。池之端住いの『源氏物語』翻訳家サイデンステッカーさんには何度かお目にかかったがリチーさんにはお目にかかるチャンスを逸した。谷根千英語版三号に三遊亭円朝について寄稿してくださっている。しかしリチーさんは谷根千のどのへんに住んでいたのだろう?
『ガープの世界』アービング原作。人生って次ぎから次ぎへと災難が起こるものだな。ロビン・ウィリアムズの母親がグレン・クローズとは。