谷中コミュニティセンターのことでできたすばらしい仲間のうち、松下さんが東大の修士を卒業されて博士課程に、藤倉さんが学位を取られたので、おいわい。仮設住宅は2年半でゴミになるどころか、高台移転や公営住宅の建設が進まないので、5年7年仮設住まいになる人たちが多そうとのこと。ゴミになるのではなくて、それは東南アジアとかに運ばれるのだそうな。ダイワハウスはじめプレハブメーカーは大儲け、神戸でも復興費の9割は兵庫県外に流出したという。東北でも「被災地のために使われる」税金は『被災地でもうける』ゼネコンやハウスメーカー、シンクタンク、コンサルタントなどのふところに入ることになる。またアパレル関係の仕事の酒井さんからは、震災時にダウンジャケットをきて歩くのはチャッカマンを着ているようなもので、綿やウールを着たほうがいい、という指摘もあり、中村さんは火鉢カフェの主宰者で、さまざまな熱源の必要を教えてくれたのでうちも火鉢を試してみることにして炭を買った。
‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ
1月22日 仮設は東南アジアへ
2013年2月26日 火曜日1月21日 震災日録
2013年2月26日 火曜日岩波新書『震災日録』を校正。ずっと映像ばかり取っていていれる写真がないことにあわてる。同行した方達から提供してもらう。2011年3月11日に東日本大震災が起こり、旅先で『世界』の清宮さんから5月号の緊急特集に書くことを求められた。なんといっていいかわからなくて、私は26日くらいまでの日録、見たこと聞いたこと考えたことを書いた。その後もブログで毎日のように書いて来た。『世界』にその後も7回連載したのでそれをまとめるつもりだったがやっぱりブログの日録を中心にしたほうが臨場感があった。しかしブログに書くのと新書になるのではやはり違う。今読み返すと気負いや興奮や勘違いもあるような気がするし、誰かの心を傷つけるのではないかと思う。とにかくメールなどを引用させていただいた方たちからは快く転載の許可をいただけた。いまは事象が複雑で、わかりにくく、分断も生まれているので、いまから刊行後の反響が気がおもいが、「そのとき感じたことを正直に書いたのだからしかたがない、何を言われても甘んじて受け止めよう」という気持ちになっている。架空のことを書く、昔のことを書くのとちがって、いまのことを書くのがどんなに難しいか、思い知った。
1月20日 商店街めぐり
2013年2月1日 金曜日朝、石巻から熊谷さんがきたので、早稲田の安井商店に案内したがお休み。東京案内は商店街が一番いい。ここは東日本大震災支援で東北各地のものをおいてくれている店。
しかたないので、早稲田構内の歴史的建造物を見学、じゅうぶんの大隈講堂、イギリスのグローブ坐を模した演劇博物館。グローブ坐は茅葺き屋根だったので熊谷さん大喜び。フランス人ソワジックさんも一緒に都電で巣鴨庚申塚、おばあちゃんの原宿はきょうも大にぎわい、マルジの赤パンとか、生姜湯、漢方薬、八つ目ウナギ、カリンののど飴、靴下かさねばき、ウエストゴムのモンペ、もうおじいさんおばあさん必需品ばかり、合い言葉は健康に年を取る。北上や雄勝も46パーセントが老人なのでこういうコンセプトで商店をやってみたらどうか。トキワ食堂でビールで白子やサバ味噌で満足。大ビン450円にはなける。更に地下鉄でハッピーロード大山へ。東上線で帰って仕事。
1月18日 丸の内はん亭
2013年2月1日 金曜日みんなが東京駅を見たいというので10時に待ち合わせ。北口から中央口、ステーションホテル入り口、中央郵便局、東京駅が出来る為に必要だった高架線、東京国際フォーラム、安田生命ビル、コンドルの三菱一号館、三菱ビル、行幸通り、丸ビル、銀行倶楽部、パレスサイド、工業倶楽部などをご案内。こうして見ると丸の内にも見るべき近代建築とその痕籍がある。みんな「昨日の新宿よりいいね、上品やね」そして最後、東京駅を見下ろす新丸ビル5階の丸の内はん亭で串揚げのランチ、2800円で前菜から始まり、串揚げ8本、生野菜、蓮根のポタージュ(絶品)ご飯に赤出し、コーヒーつきでお腹がいっぱいになった。みんな喜んでくれた。でも疲れさせたのではないだろうか?
地方の人が東京へ来ると東京人がみんな早足でよく歩くのに驚く。すぐそこだからと言ってから20分も歩いた、と一本杉の人たちはびっくり。反対に私が地方へ行くとすぐそこだから、と車で20分くらいの居酒屋に連れて行かれ、タクシーなら3000円はかかるなあ、と思ってびっくり。そのくらいの意識の差がある。北海道の婚家で歩けばすぐそこのラーメン屋までわざわざ車庫から車を出して食べにいったのにも驚いた。
1月17日 戦争展を見る
2013年2月1日 金曜日鳥取大の家中さんとお昼ご飯。七尾一本杉通りがJTB旅の交流文化賞をとったので、授賞式に上京。新宿も見せるところもないが、高層ビル街、雪のあとで風身を切るごとく寒く、三角ビルの最上階からただで東京を見る。遠くに秩父や丹沢が見える。42階に総務省の戦争に関する施設あり。短期で軍人恩給をもらえない人、シベリア抑留になった人、満州から引き上げた人々の労苦を伝える為の施設とか。これを聞いたらソ連や社会主義に対する敵意がますだろうというばかりの説明。たしかにソ連が戦後に捕虜を酷使し死に至らしめたことは国際法違反だが、それなら中国の捕虜収容所の洗脳、アメリカの国際法違反の空襲や原爆投下、そもそも満州開拓と言う侵略政策をとった日本という国の間違いや、重慶爆撃、南京虐殺も展示しないと、いかにも日本人が被害者であるかのような印象を与える。説明員のおじいさんに失礼ながら一言「こういうことを引き起こしたのも日本の間違った膨張政策でないのですか」というと、おじいさん、色をなして、「そういってもあの頃は世界恐慌で職はなく、飢饉で娘を身売りするなど日本人は国内で食べて行くことができず、新たな大地を求めるしかなかった」という。では国内で行き詰まったら、国外に武力とともに出て行っていいということか。さすが鳥居正子さん、「まったくいまと同じ情況やね。こわいね」
1月16日 高村光太郎の詩碑
2013年2月1日 金曜日今日は渡辺さんの運転で、雄勝にもう一度行く。味噌作のわき水は底を抜いたペットボトルが指してあった。震災の時、多くの人を助けた水だ。その先には「高台への道」がある。津波の教訓を生かして造られていた。「今回、役に立ったのはお年寄り。どこにわき水があるかも年寄りが知っていた」と渡辺さん。
雄勝は法印神楽が国の無形文化財。これを奉納する神社に行ったら石神社とも書いてあった。石巻といい、ここは雄勝石が地名にしっかり刻まれている。
雄勝の復興商店街であんかけ焼きそばを食べる。私にはちょっと甘くて油っぽい。しかし一生懸命働いている家族に乾杯。時計屋さんはいちはやく加美町に家を借りた。きょうも雪道の渋滞で2時間かかったという。でもお客さんは少なく、店の一部を工房にし、獅子やビールの缶でキャップを作っていた。目覚まし時計とお肉屋で孫の手を買う。
女川では泥のなかに高村光太郎の碑を発見。女川の商店街を見る。
1月15日 雄勝の木村さん千葉さんと会う。
2013年2月1日 金曜日朝、早く宿を出て、雄勝に向かう。硯会館のところで雄勝天然スレートの木村満社長が待っていてくれる。ジーンズのジャケットを着て若々しく元気なのでほっとする。
「東京駅にうちのスレートが載ってほっとしました。いろいろお世話になりました。震災前に掘り出しておいたスレートもあります。ただ硯組合の職人も少なくなり、いまはスレートの皿やコースターと言った小さな実用的なものがよく売れて、その生産に追われて硯やスレート屋根まではまだまだ。でも若い職人を指導していますし、そのうち工場も建てたいと思っています」
雄勝支所に木村さんといくと、かつて東京駅保存の署名をたくさん集めてくださった千葉茂さんが次長の重責にあった。「雄勝では中心市街地がすべてやられ、支所、硯会館などの中心施設は使えず、病院で患者さんが40人なくなられ、医師や看護師も20人以上なくなりました。住民も4000人以上いたのが今1300人と4分の一です。この流出をとめることができません。ご覧の通りでここは仮庁舎、そっちの集会室では成人式が終わり、高台移転の説明会をやったりしていて。私は観光、産業も担当なのですが、いまのところ、住民の生活再建、高台移転地形に追われていて、文化財やスレート屋根まではなかなか手が回りません。雄勝の基幹産業は水産業、でも看板産業は硯やスレートなどの石です」スレート屋根の民家が流され、どんどん壊されて固有の景観がなくなっているような。「そうですね。桑浜小学校はNPOの方が買って活用の動きもあるようです。あれくらいしか残っていないのではないか。これからは交流人口が大事だと思うので、震災と津波のことを忘れずに東京からもどんどんきていただきたい」
そこから登米に行き、ウナギを食べ、みんなと別れた。私は運転してくれた豊沢さんと北上に戻り、2時に一度も行ったことのない上品の湯に落としてもらった。みんな仕事で忙しいので邪魔をしたくなく、一人にもなりたかった。
ここは『ふたごの湯』レストラン、直売場、などからなり、温泉に500円でつかる。鉄分と塩分を含む赤錆色の湯で、建物が木づくりで、照明もほの暗くとても落ち着く。
まるで山の中の温泉に来ているみたい。マッサージもしてもらって、休憩所でお茶を飲みながらぼんやりと大相撲を見ていた。6時ころ、携帯が鳴り、熊谷さんたちと『居心地』というその名の通りいごこちのいい居酒屋へ行く。このほのぐらさ、蛍光灯でなく、オレンジ色の光りと、三和土がいい。寒ブリ、ドンコ、ツブ貝のさしみ、柳カレイの焼きもの、おでん、串カツなどで熱燗。この日は復興住宅最上段で一人泊めてもらう。二枚ガラスなのでそう冷えもせず、ぐっすり眠った。
1月14日 尾の崎のスレート屋根
2013年2月1日 金曜日朝早い新幹線で石巻へ。あいにく雪。今回は東京駅の屋根のスレート使用問題に始まり、石巻のスレート産業復興の為に集まった募金をどこにどう渡すかを検討すること、石巻のNPOの活動情況の把握など。また東京から石巻の被災地を見学、交流するツアーのコースも考えたいということで総勢6人。学芸員、編集者、文化財保存専門家、翻訳家、音楽家など専門もいろいろ。仙台駅からバスで追波川運動公園のバス停まで。
そこから大川小学校の前で手を合わせ、尾の崎の坂下清子さんの家に向かうと、昼食前だったが、剥きたての牡蠣と冷や酒をふるまってくれた。「ここにはまだ電気、水道が来ていないし、民宿や食堂の営業はできないの。行政は昼はきてもいいけど、夜は泊まってはだめという。この前も大きな余震があった。津波は夜でなく昼来るかもしれないのに。ここまで車で来るのだって、途中なくなったひとの家のあった前を通る時、それぞれの顔を憶い出してごめんね、ごめんね、といいながら通る。そのもやもやがあって、なんとも気分が晴れないの」それでも牡蛎の養殖を続け、年内は牡蠣の発送で忙しく、年を越してやっと落ち着いたところと言う。みんなで牡蠣を頼む。その並びの神山家というスレートがわらの家をいま「ジャパンヘリテージ」の田辺さんたちが保存活用しようとしている。
お昼は熊谷産業の事務所で。考えれば被災したこの会社はどんなにたくさんのことをして来たことだろう。プレハブでの再興、東京駅スレート屋根の洗浄、白浜復興住宅の建設、壁面茅葺きの新しい事務所の建設、文化財救援の民間会社ジャパンヘリテージの立ち上げ、茅刈りの復興、ゲストハウスの運営、子どもたちの為の自然教育の場「りあすの森」、これからも流された旧北上町役場の復元、土地の木材とスレート屋根を使ったすみやすい住宅の設計、夢は膨らむばかりらしい。
事務所には熊谷さんがパリで買い付けて来た骨董家具や絨毯がしかれ、まるで『小公女』の屋根裏部屋のようにゴージャスになっていた。「みんな二束三文ですよ。運賃の方がうんと高くつきました」と笑うが、これだけの家具を即決でどんどん買える度胸は普通ない。そこで牡蠣のバタ焼きや蒸しガキをご馳走になった。
午後おそくなって里山の秋丸にむかうも雪深くて入れず。復興住宅の中を見せてもらう。追分温泉の道をバンで登れず困っていたら温泉のバスが来てくれて乗り換え。暖かい湯につかり、食べきれないほどのお魚、食後には渋谷さんという地元のミュージシャンの土地に根ざした歌をギターで。大竹丸という朝廷にたてついた東北の勇者の歌、「土偶」という縄文の歌。3月18日に橋浦小学校では避難民もいる体育館で卒業式が行われ、みんなでこの歌をうたって盛り上がったと言う。校長先生もよくやったなあ。
いま吉浜、相川、橋浦は校舎が助かった橋浦を統合でなく3校で使う。校長先生も3人、教頭も3人、というなかで部屋をわけあって使っていると言う。
それにしても瓦礫がきれいに片付いた分、元そこに集落があったことなど想像ができず、震災後4月にきたときの風景も憶い出され、初めて被災地に来たメンバーに、ここはこうだった、ああだった、と説明するのももどかしい。
1月13日 粗大ごみ
2013年2月1日 金曜日休みの日にうらうらとコーヒーを飲んでいると、廃品回収者の車がしょっちゅう来る。
選挙は一時だからがまんするが、これは毎週土日にきてうるさいったらない。ただで引き取ってくれるように思うと、これがなんでも5000円くらいかかる。値段を聞かないで、乗せてからお金がかかるとわかり、それじゃあいい、というと、元のところまで戻すのに3000円とかいうらしい。廃品は区の粗大ごみに出した方が安全だ。
廃品で憶い出したが、文京区は箱根の保養所を閉め、新潟のやまびこ荘もあまり使われていないようだが、あそこで福島の子どもたちの保養プログラムをすればいいのにね。
1月12日 ベストテン
2013年2月1日 金曜日きのう、伯母の家に電話をかけた時、従姉のヨーコちゃん(王朝継ぎ紙研究家)に「荻窪駅頭でジュリー聞いた?」と聞いてみると「もちろん!かっこよかったよ」という。「タイガース再結成だってね」「一緒に見に行こうか?ケイコちゃん(もう一人の従姉、大学の先生)も誘って」と盛り上がってしまった。
私のファン歴は途中40年ほど抜けているわけで、もちろん学生時代も、社会人になってからも聞いてはいたが、衣装についたハーケンクロイツでどん引きしておしまい。そのころは政治学徒でしたからな。
旧ファン時代のベストテン。危険な二人、勝手にしやがれ、憎みきれないろくでなし、時の過ぎ行くままに、カサブランカ・ダンディ、シーサイドバウンド、君だけに愛を、銀河のロマンス、モナリザの微笑(順不同)
しかしにわか新ファンとしてのベストテンは、灰とダイアモンド、そのキスがほしい、君をのせて、涙色の空、抱きしめたい、許されない愛、あなただけでいい、脱走兵、F.A.P.P、恨まないよ、わが窮状(順不同)、とまるで重ならない。
年ですね。そしてスローなバラードがいいね。