1月14日 尾の崎のスレート屋根

朝早い新幹線で石巻へ。あいにく雪。今回は東京駅の屋根のスレート使用問題に始まり、石巻のスレート産業復興の為に集まった募金をどこにどう渡すかを検討すること、石巻のNPOの活動情況の把握など。また東京から石巻の被災地を見学、交流するツアーのコースも考えたいということで総勢6人。学芸員、編集者、文化財保存専門家、翻訳家、音楽家など専門もいろいろ。仙台駅からバスで追波川運動公園のバス停まで。
そこから大川小学校の前で手を合わせ、尾の崎の坂下清子さんの家に向かうと、昼食前だったが、剥きたての牡蠣と冷や酒をふるまってくれた。「ここにはまだ電気、水道が来ていないし、民宿や食堂の営業はできないの。行政は昼はきてもいいけど、夜は泊まってはだめという。この前も大きな余震があった。津波は夜でなく昼来るかもしれないのに。ここまで車で来るのだって、途中なくなったひとの家のあった前を通る時、それぞれの顔を憶い出してごめんね、ごめんね、といいながら通る。そのもやもやがあって、なんとも気分が晴れないの」それでも牡蛎の養殖を続け、年内は牡蠣の発送で忙しく、年を越してやっと落ち着いたところと言う。みんなで牡蠣を頼む。その並びの神山家というスレートがわらの家をいま「ジャパンヘリテージ」の田辺さんたちが保存活用しようとしている。
お昼は熊谷産業の事務所で。考えれば被災したこの会社はどんなにたくさんのことをして来たことだろう。プレハブでの再興、東京駅スレート屋根の洗浄、白浜復興住宅の建設、壁面茅葺きの新しい事務所の建設、文化財救援の民間会社ジャパンヘリテージの立ち上げ、茅刈りの復興、ゲストハウスの運営、子どもたちの為の自然教育の場「りあすの森」、これからも流された旧北上町役場の復元、土地の木材とスレート屋根を使ったすみやすい住宅の設計、夢は膨らむばかりらしい。
事務所には熊谷さんがパリで買い付けて来た骨董家具や絨毯がしかれ、まるで『小公女』の屋根裏部屋のようにゴージャスになっていた。「みんな二束三文ですよ。運賃の方がうんと高くつきました」と笑うが、これだけの家具を即決でどんどん買える度胸は普通ない。そこで牡蠣のバタ焼きや蒸しガキをご馳走になった。
午後おそくなって里山の秋丸にむかうも雪深くて入れず。復興住宅の中を見せてもらう。追分温泉の道をバンで登れず困っていたら温泉のバスが来てくれて乗り換え。暖かい湯につかり、食べきれないほどのお魚、食後には渋谷さんという地元のミュージシャンの土地に根ざした歌をギターで。大竹丸という朝廷にたてついた東北の勇者の歌、「土偶」という縄文の歌。3月18日に橋浦小学校では避難民もいる体育館で卒業式が行われ、みんなでこの歌をうたって盛り上がったと言う。校長先生もよくやったなあ。
いま吉浜、相川、橋浦は校舎が助かった橋浦を統合でなく3校で使う。校長先生も3人、教頭も3人、というなかで部屋をわけあって使っていると言う。
それにしても瓦礫がきれいに片付いた分、元そこに集落があったことなど想像ができず、震災後4月にきたときの風景も憶い出され、初めて被災地に来たメンバーに、ここはこうだった、ああだった、と説明するのももどかしい。